見つめる人間

三鹿ショート

見つめる人間

 大学の構内には、季節を感ずることができる場所が存在している。

 ゆえに、花見の時季などは酒を片手にした学生で溢れていることが多い。

 それ以外の季節は、読書をする人間や友人と談笑する学生が長椅子を使用しているのだが、彼女は本を手にすることもなく、一人で座っているだけだった。

 彼女は行き交う学生たちを見つめるばかりで、一時間ほどそのように過ごした後、その場を去って行く。

 他にすることがない暇な人間なのだろうかと考えていたが、そのような彼女を眺めている私もまた、同じような人間である。


***


 常のように彼女を眺めていたところ、彼女に声をかける人間が現われた。

 誘われることに慣れていないのか、彼女は困惑している様子である。

 彼女が他の人間の所有物と化すことに対して、とやかく言うことができる立場ではないが、困っている人間を見過ごすことはできなかった。

 ゆえに、私は知り合いを装って、彼女に声をかけた。

 私が姿を現すと、彼女に声をかけていた人間たちは残念そうな様子でその場を去って行った。

 彼らの姿が無くなることを確認してから、私は彼女に頭を下げた。

「あなたが困っている様子だったために、思わず口を出してしまいました。余計な世話だったのならば、謝罪します」

 私がそう告げると、彼女は首を左右に振った。

「迷惑ではありません。むしろ、助かりました。あのように声をかけられることは初めてだったものですから、どのように反応すれば良いのか、悩んでいたのです」

 この会話を切っ掛けに、私は自己紹介をした。

 彼女は己の名前を即座に口にしたものの、所属している学部については少しばかり悩んだような様子を見せた後、私と同じ学部の人間だと告げた。

 だが、私は彼女の姿を同じ講義で見たことがない。

 同じ学部ならば、何処かですれ違ったこともあるのではないかと考えたが、誰がどの講義を受講するのかなど個人の自由であるために、見たことがないということは、それほど珍しくもなかった。

 それから我々は、この長椅子で会話をするようになった。

 時には私の友人を交えて食事をすることもあったのだが、彼女は全てにおいて、まるで初めて体験したかのような反応を見せていた。

 友人が存在していないことが理由なのだろうかと、私は同情してしまった。


***


 その後も、彼女とは交流を続けていたが、結局、同じ講義を受講することはなかった。

 やがて学生という身分を失うことになる式に出席した際に、彼女の姿を探したのだが、発見することができなかった。

 会場は多くの学生で満ちているために、仕方の無いことである。

 しかし、祝いの言葉だけでも伝えたかった。


***


 私は、大学の近くに存在する会社に就職することになった。

 だが、私は自分が想像していたよりも仕事が出来る人間ではなかったらしく、首にされることはなかったが、閑職にまわされることになった。

 会社の地下に追いやられたその部署の扉を開けた私は、目を疑った。

 其処では、彼女が働いていたからだ。

 彼女もまた私の姿に驚いたらしく、目を見開いた。

 此処で働いていることなど知らなかったということを伝えると、彼女は勢いよく頭を下げた。

 それから彼女が口にしたのは、これまで虚言を吐いていたということだった。


***


 いわく、彼女は私が通っていた大学の人間ではなく、私と交流していたときから、既にこの会社で働いていたらしい。

 休憩時間に大学を訪れては、行き交う学生たちを眺めていたということだった。

 何故そのようなことをしていたのかといえば、自分が手に入れることが出来なかった時間を、少しでも味わいたかったということらしい。

 彼女は、家族を支えるために進学することを諦めていた。

 家族のことを思うと仕方の無いことだと自分に言い聞かせていたが、やがてその支える家族がこの世を去ると、途端に人生の目的を見失ったような気がしたらしい。

 そんなとき、学生たちが騒ぐ声を耳にした。

 自分とは異なり、彼らは人生を楽しんでいる様子だった。

 自分にもこのような未来が存在したのだろうかと考えているうちに、彼女は例の長椅子に座り、学生たちの日常を眺めるようになった。

 今さら手に入れることなど出来ないのだと思うと、彼女は涙を流しそうになった。

 そんなとき、私と知り合った。

 まるで普通の学生のようなやり取りをしたために、彼女は何時失うのか分からなくとも、それまでは学生としての生活を楽しもうと決めたのだった。

 騙していることに対して後ろめたさを覚えていたものの、彼女にとって私や私の友人たちとの時間は、これまでの人生の中で最も楽しいものだったらしい。

 しかし、何時までもそのようなことをしているわけにはいかなかった。

 私が大学を去ると同時に、彼女は作られた自分を捨て、これまで通りの生活に戻ることを決めた。

 それでも、大学で過ごした時間を思い出す度に、口元が緩むのだった。


***


 彼女から事情を説明されたが、騙されていたことに対して私が怒りを覚えることはなかった。

 それどころか、彼女が楽しんでいたのならばそれで良いと思ったのである。

 彼女が味わってきた苦労がどれほどのものなのかは知らないが、それを少しでも軽くするための力になれていたのならば、光栄だった。

 私がそれを伝えると、彼女は笑みを見せながら、再び頭を下げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見つめる人間 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ