閑話 公爵子息
始まりは義兄の頼みだった。
「私の息子の面倒を見て欲しい」
そう言われた。
彼は7年ほど前に姉を娶り、その4年後に待望の息子を授かっていた。
その息子の名前は“アレス”と言うらしかった。
どうせ姉が付けたのだろうと思っていたのだが、意外にも義兄の名付けらしい。
姉夫婦にはその息子の他に息子より2年早く産んだ娘がいるのだが、意外や意外、あの常時人を近づけさせないオーラを纏っている公爵家当主の義兄はその姉弟のことを大層溺愛しているらしく、どうすれば子供たちに威厳を見せられるかとか、子供が喜ぶ贈り物はなんだろうがとか、色々なアドバイスを求められると姉が言っていた。
そこから姉の毎度おなじみ夫自慢が始まり、クネクネし出したところから真面目に聞くのをやめた。
その光景と相変わらずのラブラブっぷりに安堵すると共に若干の吐き気を覚えたのはご愛嬌である。
さて、そんな妻子を持って僕の第一印象をぶっ壊してくれた義兄、アグロスに頼まれたのは彼の一人息子、アレスの家庭教師であった。
魔法、知識、礼儀。将来、貴族として必要になることを教えてくれときた。
娘の時には頼まれてなかったので、多分何らかの不都合が起こったんだろうな、というのは想像に難くない。
家庭教師の件を承諾すると、僕は実家暮らしで彼らの家からは程遠かったので、住み込みで働くこととなった。
荷物をまとめ、馬車に乗り、姉夫婦の屋敷に着いた頃にはもう日が沈みかけていた。
そのため、その日はもう寝ようと思ったのだが、なんとなく顔合わせだけでもしとこうという気分になり、気付くとアレスくんの部屋をノックしていた。
姉の言う感じだと相当甘やかされているようだから、中々のワガママボーイが顔を出すと思っていたのだが、実際に姿を現したのは3歳にしては妙に大人びている少年だった。
自ら扉を開け、流れるように着席を促し、自己紹介をすればちゃんと返してくれる。
3歳にしては上出来過ぎる態度だった。
もしや、僕は義兄がこれを自慢するためだけに呼び出されたのか?と思ったが、流石に無さそうかつ失礼だったので僕は考えるのをやめた。
本来ならここで退散して明日に備えようと思っていたのだが、もう少しだけ彼と話してみたい気分になって、あんな時間から次の日からの授業の説明を始めてしまった。
とりあえず、魔法に関しては実物を見せながら説明した方がいいだろうと思い、【水玉】を唱えたのだが……どうやら逆効果だったようだ。
彼はさっきまでの大人びた様子とは打って変わって、キラキラとした年相応の子供のような瞳で【水玉】を見つめている。
彼は見るからに魔法が好きで、まさに『やっと魔法が学べる!』というような顔をしていた。
……そこまでは良かったのだが、明らかに僕の説明は耳に入っていない。
まぁでも、素直に将来有望だと思った。
全体的に見て子供の時点で魔法にのめり込む者は少ない。
僕の知り合いである魔法好きの大多数が大人に近付いた時点でその奥深さに気付き、極めようと躍起になった者たちだ。
それは子供の視点になって考えてみたら当たり前のことで、何が嬉しくて詠唱とか言う小難しい文章を覚えて火や水を発生させなきゃならんのだ。と思う。
火はおこせばいいし、水はそこら辺から汲んでくればいい。
魔法は別に日常生活に無くていいものなのだ。
……と、平民であればそう切り捨てられるのだが、貴族となればそうはいかない。
まぁ、何故魔法を鍛えるかと言われれば、ただの貴族同士の見栄張り合戦のためなのだが。
平和な世の中で何代も続いた貴族連中は次第にそういうことで有利を取ろうとする。
過去には王族が
まぁ、そんなことはどうでもいいな。
一応自衛に使えたりもするし、そういう事にしとこう。
義兄はそんな馬鹿みたいな理由ではないと思ってはいたが、一応聞いてみると、予想外なことに理由の一つとしては挙げられるのだそう。
公爵家、更にはリタニアの子息として魔法が使えないというのは将来あの子の身の危険に繋がるため。
しかし、本人に明らかな拒絶があれば取り辞めようとしていたらしい。
たとえリタニアの家名に泥を塗ることになろうとも、我が子の意思を尊重する。
あの人はそういう人になったらしい。
さて、アレスくんの家庭教師として働いて少しすると、彼は魔法の無詠唱について勉強し始めた。
と言っても、僕の前で大っぴらにするのではなく、隠れてコソコソとであるが。
ちなみに、本人は隠しているつもりだったっぽいが、生憎と僕自身の感が結構鋭いことと彼の演技が下手だったこともあってすぐ分かった。
しかし別に悪いことでも無いので陰から暖かく見守らせてもらっていたのだが、自分でももう誤魔化しきれないと思ったのか少ししてアレスくん自ら白状してきた。
そこからは微力ながら僕もアドバイス役として参加しつつ二人で一緒に試行錯誤して来た。
そして、僕がアレスくん……いや、アレス様の家庭教師に赴任してから2年が経ち、彼が5歳にまで成長して現在に至る。
少し前までもっちりしていた顔が少しシュッとした……気がしないでもない。
まだ5歳なのだ、彼は。
それなのに、まだ未完成ながら無詠唱を習得し、挙句の果てに魔力視なんてものも発現してしまった。
ちなみに彼は今、魔穴拡張による痛みで失神して寝込んでいる。
当然の代償だろう。あれはそこら辺ですっ転んだ程度の痛みとは次元が違う。
ちなみに、訓練していた中庭から彼の部屋までは僕が抱えて運んできた。
当たり前だが、彼の体はあまり力が強いとは言えない僕でも持ち運べるほどに軽かった。
今見えている寝顔もとても可愛らしく、否が応でも彼の年齢を感じさせる。
……しかし、最近、彼に何か強烈で年不相応な覚悟を感じる。
彼が頑張る姿を見る時、必ずと言っていいほどひしひしとした雰囲気を感じるのだ。
理由も内容も分からないが、彼に何かあったのは確実だろう。
それが何であれ、大人として……いや、師匠とし て、彼を手伝えることがあれば手伝ってやりたいと思う。
が、おそらく彼自身がそれを望んでいない。
僕と彼はこの2年間で決して安くない絆を結んできたはずだ。……僕の自意識過剰でなければ。
少なくとも軽い相談なら今まで何度も受けてきたし、情けないことにこちらからしたことも数回ある。
それなのに、今回に限って気持ちはあるのに伝えないということは彼自身が自分の中で消化したい悩み、または願望なのだろう。
異常、とでも言おうか。彼は子供が背負うべきでは無いほどに重い何かを背負っている。
……本当に、どうして彼が未だ5歳児なのか。呆れてものも言えない。
今思えば、出会った当初から彼は他の子とどこかが違った。
あの年齢にしては妙に大人びた態度、言動。明らかに不自然だ。
しかし、おかしいとは思わない。
あれが彼の姿なんだと思うし、最初の頃はどこかよそよそしかったが、最近になってようやく砕けた口調で接してくれるようになった。
彼という人間を信頼するにはそれだけで十分だ。
とにかく、彼は他人の助けを望んでいない。
それならば僕にできることなどただ彼の行く末を見守り、挫折しそうな時に少し励ますことくらいだろう。
……それも、姉のように彼が将来適任な人を見つけてくれれば、その時にその人に譲るとしよう。
「……ま、精々それまで君の師匠バカで居させてもらうよ」
少し前までの迫真の悶絶が嘘だったかのようにすやすやと眠る少年の側に立ちながら、そう呟いた。
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