第7話 もたらされるもの

「──【水玉】。…………お、おぉう」


 現在、俺の手のひらの上には全長1メートルほどの巨大な水塊が浮かんでいる。


 ただ球形の水塊を出現させるだけの初級水魔法【水玉】。

 元は手のひらサイズだったはずの水塊が今はとてつもなく大きくなって見える。


 魔穴の拡張により、魔法の規模というか、スケールというか、とにかく色々なことが段違いになったようだ。


 これが、あの強烈な痛みに耐えた対価らしかった。


 一見すると結果オーライな感じに思えるが、そう上手くも行かず、中々に不利益をこうむる点もあった。

 いわゆるデメリットってやつだ。


 まず、デュークの言っていた通り魔法を発動する時に放出される魔力量が多くなった。


 その結果、魔法の威力が上がったりしているのだが、その代償として常時の魔力放出ですらガス欠を起こすようになってしまった。


 詳しく言うと、魔素の変換と魔力の放出は呼吸のように生理的に行われているのだが、その片方の魔力放出のみが活発化したことで、もう一方の魔素の変換スピードが追いついていないのが現状である。


 そのせいで失神から目覚めた今でも若干の不調が続いている。


 デュークいわく「少しすれば肉体の方が適応する」とのことで、現に今多少なら魔法の行使が可能になっている。


 それで冒頭に至るわけだが……正直この成果を見れば今までの苦労は忘れてもいいかもしれない。


 それほどまでに凄まじい上がり幅なのである。

 だって、大きさだけ見ても前回と比べて十数倍とかだぞ?


 これじゃ、今までの無詠唱の練習の合間に試行錯誤して頑張っていた魔力増強訓練がチンケなものに思えてくるではないか。

 自分の体に『お前は間違っている』と言われているようなものだ。普通に後悔必至である。


 魔穴を拡張したことによる最大のデメリット、それは俺が密かに頑張っていた魔力関連の努力が水の泡になったことだった。


 つまり、それを差し引けば最高の結果なのである。本当にそれさえ差し引けば。


 しかし、もう二度とあるか分からない第二の人生を無駄にした感が凄い。

 俺は今、自分への怒りと罪悪感ではち切れそうである。


「……はぁー、どのみち今となっては取り返しはつかんし、前向きに考えるか…………はぁ……」


 相当残念だったのか、自分の口からほぼ無意識にため息が漏れる。


 ……しかし、こうやってクヨクヨしてる方が時間の無駄だよな。


 気を確かに、まだ後が無くなったわけじゃない。今ここから学んで、これを活用してけばいいんだ。

 そう自分を諭し、なんとか平静を保つ。


 そんな感じで巨大な水塊を前に考え込んでいた俺だが、コンコンコンという控えめなノック音で現実に引き戻される。


『──失礼します、新しく入ったメイドのシーシャと言います。アレス様いらっしゃいますか?』


 新人?珍しい……というか初めてじゃないか?


 この屋敷のメイド長であるナターシャは部下に鬼ほど厳しいらしく、いつだったかメイドたちの愚痴のこぼし合いを目撃したことがある。


 それ故にこの屋敷に使用人としての経験がない人は適応しづらく、ある程度歳を重ねたベテランのメイドさんしかいない。


 まぁ、単純にここは公爵家の屋敷なので働くにはそれ相応の経歴を要するのかもしれないが。


 そんな感じで、ここ数年で俺の中のメイドという職業は若くてキャピキャピした感じではなく、前世で言う家政婦みたいなものに変わっていた。


 声からすると若そうだが、女性の容姿と声音は時々当てにならない時があるということを前世で学んでいたので、もしかしたら新人と言ってもある程度お年を召した妙齢のおば……ご夫人なのかもしれない。


「ちょっと待ってくれ、すぐ行く」


 未だ手のひらの上に鎮座する水塊を引っ込め、駆け足で扉へ向かう。


 扉を開くと、目の前には髪を短めに切りそろえた、いわゆるボブカットの少女がいた。

 少女は見覚えのあるメイド服を着ており、それは彼女の体に反して少し大きく、若干ダボッとしていた。


 ……若いな。

 さっきまでの思考はなんだったんだと言わんばかりに普通に若い……というか幼い。

 十歳とかそこらだと思う。


 まぁ、今はそんなことよりも……


「で、何の用だ?」

「あっ、お食事の準備が完了しましたので……」

「分かった。準備でき次第すぐに行く」

「承知しました。では、失礼します」


 新人メイド改めシーシャはそう言ったのち、恭しく頭を下げ、扉を締めた。


 ……凄いな。

 ナターシャと比べて若干言動や行動に未熟さを感じはするが、とても十歳やそこらの少女とは思えないほどに大人びている。


 異世界の子供ってみんなこんなんなのか?だとしたら末恐ろしいぞ。


 ……さて、いつまでも感嘆するのは止めて、腹も減っているのでさっさと服装を正して部屋を出る。


 歩いている道中、未だ癒えない自分の体調を測る。


 まだそこまで体力が回復している訳でもないので、明日明後日くらいまではまだ悪体調だろうか。


 とりあえず寝さえすればある程度楽になるだろう。

 たとえ世界が変わろうが、睡眠は傷も疲れも癒してくれる身近で最高な治療術なのである。

 睡眠バンザイ!ということで今日は早めに寝よう。


 そんなことを考えながら、食卓に続く大きな扉を開けた。


 ◇◇◇



「──“魔格付け”?」


 それはいつものように家族や使用人の入り交じる食事部屋の中で父が言い放ったものだった。


「あぁ、明日に設けられる子息令嬢の魔力測定の場だ。私たちは明日の昼頃に向かうことになっている」


 ……いや、唐突すぎるだろ。

 俺が若干嫌そうというか、非難するような目を向けると、父はスっと目線をずらして「色々あって伝えるのが遅くなった」と言った。

 いや、まぁいいんだけどさ……。


 そんなやり取りをしていると、何を思ったのか父の隣に座る母の瞳が輝いた。


「では、明日は早く起きておめかししなければですね。アレス、久々に一緒に寝ますか?」

「遠慮しときます」


 薄々察していた通りの言葉だったため、ほぼ反射的な返答ではあるが母の望みの阻止に成功する。


 アレスガワはまだ5歳で可愛いざかりの男の子なので、母の気持ちも分からないでもないのだが、中身の俺は前世と今世合わせて年齢的には成人済みのいい歳した男である。


 アレスとしての記憶があるため母を女性として見てはいないが、母に抱かれて寝るのはどこか小っ恥ずかしいものがある。


 なので母には申し訳ないが早めに親離れさせてもらうことにしたのだ。

 俺には3歳児の記憶があるだけで、俺自身の心は全くもって子供じゃないんでね。


 その後、母が頬を膨らまして若干ふてたこと以外は何事もなく食事は進んだ。

 唐突に入った“魔格付け”という謎の予定を明日に控えながら。

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