第31話


 二人は庭園へと移動し、それぞれ行動を開始した。

 その間、激しく争うアイクとフウカの追走劇の音が響き渡っていた。


 作戦はある――。

 フウカは縄張り意識が強く、巣と決めた土地に固執する。

 ガルムンド基地で人工的に生まれた隷血種のフウカは、故郷を求めていた。その執着心は鳥人種のそれを遥かに凌駕している。

 村で起きた三件の殺人の動機もそれが理由だった。

 機知に富み、その愛らしい姿で油断させ、人を扇動する――。

 そんな怪物が、この状況で次に取る行動は概ね予想がついた。

「その傷、本当に大丈夫なのか?」

 アンジェリカはリメイを気遣った。

「ええ。私、実は隷血なの。獣人種の血が混じってるから傷の治りも早い」

「な……」

 リメイの唐突な告白に、アンジェリカは一瞬驚いた。

 しかし、今になってそう告白した意図を察し、戸惑いは一瞬に留めた。

「……頼もしいじゃねえか」

「ふふ。任せといて。そっちも頼んだわよ」

 親指を立てて庭園の門へ駆け出すアンジェリカ。

 始めから隷血種だと伝えておけば、疑惑の目も向けられなかったかもしれない。

 リメイは屋敷の裏口から二階へ向かった。

 強がってみせたが、銃撃された腹部は重傷だ。自然治癒力が高いといっても獣人種も不死身の怪物ではない。

 壁に寄りかかりながら足早で目的の部屋へ向かう。

 ハダルの書斎。イチカの姿はなかった。

 もし居てくれたらと思ったが、もう日も傾く時間帯。この時分で騒然とした屋敷に待機しているとも思えない。

 リメイは書斎の証拠を回収し、次の目的地へ向かった。



 アイクの力は人間離れしている。フウカとの追走劇は短期決戦で終われば、アイクに軍配が上がったが、長期戦に持ち込まれると話は別だった。

「リメイ様はどうされたのですか?」

 フウカが突如として質問を投げかけた。

 アイクは答えず、ただ夢中でフウカを追いかける。

「まさか瓦礫の中に見捨てたとか? さすが隷血。無情ですねぇ」

 その煽るような言葉もアイクの耳には届かない。

 だが、そうやって時間稼ぎをされるうちに壁中が穴だらけになり、アイクが掴まれそうな壁はなくなった。

 無理に突進を続ければ、フウカの独壇場になるだろう。

「さてさて、こんなところでよさそうですね」

 フウカは天井の梁に止まると、玄関ホールを俯瞰して満足げに呟いた。

 破壊された屋敷は、なかなか風情溢れる景観になった。ハダルが見たら絶叫を上げたことだろう。

「お馬鹿な巨人種さん。これを見た村の人がどう思うか、考えませんでした?」

「むうん? ここには俺とお前しかいない」

「そうでした。では、呼んできましょうか」

 フウカは天井の梁から滑空し、壁の大穴から外に飛び出した。

 庭園の門の傍に降り立つと割烹着の布をびりびり破き、透明感のある素肌を際どい部分まで晒し、よろよろとした足取りで村の方へ駆けていった。

「たっ、助けてくださいっ、誰かぁ〜!」

 あわや悲劇に見舞われたヒロインのなりふり。

 無垢な少女が着衣を乱し、助けを求めて逃げ惑っていれば、誰もがその身を案ずるだろう。

 フウカはいつもの手口で村人を言葉巧みに味方につけるつもりだ。

 あえてアイクの猛追に付き合っていたのも、フウカが一方的に襲われたことを演出するためのフェイクだ。

 如何な偉丈夫の男も村で迫害されれば、この村で生きていくことはできない。ましてや軍の新人と紹介を受けたばかりだ。

 不祥事が発覚して追放できれば、万事うまくいくのだ。

「誰か〜! あの大柄の軍人さんがぁー! 助けてください〜!」

 フウカは人目を引くように声を張り上げながら大通りを駆けた。

 だが、誰も家から出てこない。

 普段なら呑気な村人が甲斐甲斐しく可哀想なフウカに声をかけるはずなのに。

「助けてぇぇえ! 誰かー! いないですかぁあ!」

 広場にフウカの悲鳴が虚しく響く。

 おかしい……。フウカは悲鳴を止めた。


 ――そういえば、朝に一人殺していた。

 いよいよ村人も怖がって家に閉じ籠もっているのだろうか。

 否。それなら猶のことフウカの悲鳴を聞いたら駆けつけるはずだ。この一年、献身的に尽くしてきた村人が、孫娘のような存在を見捨てるとも思えない。

「まさか逃がされました……?」

 野放しにしたリメイの思惑だろうか。だが、手負いの彼女が短時間で村人全員に声をかけて避難させたとは考えにくい。あるいはアンジェリカの暗躍か。

 いずれにせよ、こうなれば屋敷に戻るしかない。

 フウカが踵を返すと、大通りの真ん中にリメイが立っていた。

「まだ生きていたんですね。しぶとい人です」

 リメイの腹から滲み出た血は、彼女の衣類を真っ赤に染めていた。

 一向に血が止まる気配がない。

「――村裁判へようこそ。フウカ」

 苦痛に顔を歪ませたまま、リメイは唸りながら言い放つ。

「裁判? ああ、村の皆さんが開く井戸端会議のことですか?」

 フウカは嘲るように笑った。

「あんなのが裁判だなんて、笑っちゃいますね。ルイスが平和な証拠です」

「そう。その平和を、あなたが奪ったのよ」

「わたしが? まさか。わたしは村を愛しています。平和を守るためなら何だってします」

「あなたが思う平和のために、でしょ?」

 フウカは不愉快そうに眉を顰めた。リメイは畳みかけるように言い放つ。

「あなたは三人も人を殺した。この村を思い通りにするために殺したんだ。私の父さんも……」

 リメイは歯軋りを立てた。

「だから裁く。この裁判で。村を愛するあなたには相応しい舞台でしょ」

「リメイ様お一人で?」 

「一人じゃない――」

 がさりと茂みから巨躯の男がフウカの背後に飛び出した。

 挟まれて退路を奪われたフウカだが、可笑しそうに笑い出した。

「あははっ、何の意味があるんです? わたしをお二人で追及したところで、村の人たちはどちらに味方すると思いますか?」

 勝ち誇ったような高笑いを、リメイは堂々と無視した。

「――第一の犯行。牧場を深夜に訪れ、家から出てきたエリクさんを、エヴァンス邸の地下室から盗んだ肉切り包丁で殺害。手口は、片手のかぎ爪でエリクさんの肩を掴み、逃げられないように固定した状態で横一文字に腹部を斬りつける。殺害の動機は……」

 リメイはハダルの書斎から持ち出した証拠を掲げた。

 陸軍特別補償金の受領証。

「エリクさんは黒人狼事件以来、牧場を廃業に追い込まれて生活に困窮していた。軍の補償金を貰っていたはずなのに」

 リメイは初めてエリクと接触し、廃牧場を訪問した日を思い出した。

 決して生活は楽そうではなかった。

「それが、わたしと何の関係があるんですか?」

「エリクさんには補償金が届いていなかったんでしょう? 少佐に脅されて横領されていた。その証拠が、これ」

 リメイは証拠写真を提示した。例の盗撮写真だ。

「これはエリクさんの罪。職を失い、生き甲斐を失ったエリクさんは、縋るように教会に通い始め、シスター・イチカと出会った。彼はイチカさんの包容力に惹かれ、ストーカー行為に走る。――そうですね? イチカさん」

 リメイは視線を別の茂みに向けた。イチカが現れる。その表情は暗かった。

「はい……」

 フウカは突然のイチカの登場に、僅かながら動揺した。

 ここに来る前、リメイが教会から呼びつけていたのだろう。

 ――問題ない。イチカは村の住人ではないし、派遣期間が過ぎれば消え去る部外者。フウカの立場は揺らがない。

 リメイは続けた。

「この盗撮をきっかけにエリクさんは少佐から脅され、補償金が横領されることになる。受給証を取り上げた少佐は私腹を肥やした。……これは少佐の罪」

「知ってますよ。わたしも一応、侍女ですから」

 フウカは平静を装って返事した。

「この件でエリクさんは追い詰められた。生活資金を失い、領主に弱みを握られ、結果的に素行が悪くなる。村で悪いことが起きれば、住民もまずエリクさんに疑惑の目を向けた。例えば、羊の窃盗とか」

 ラーシュとの喧嘩も直に見せられた。フウカもその場に居合わせている。

「居場所を無くしたエリクさんは村を出る覚悟までしていた。それを匂わす発言もしていた。一緒に聞いていたでしょ?」

「はい。一緒にいましたから」

「でも、最終的に殺された。彼が死んだら少佐も不都合なのに。むしろ、追い詰められたエリクさんの方が、誰かを殺してもおかしくなかったくらいよ」

 真っ直ぐフウカを睨む。

 リメイは人間が合理的ではないことを知っている。

 しかし合理的でないのは、何も人間だけではない。今こうして対峙しているフウカという人外も、人間の基準では異常性を秘めているのだ。

 リメイは淡々と次の犯行を暴いた。

「――第二の犯行。殺害の手口はエリクさんと一緒。農場を訪れ、家に押し入って肉斬り包丁でラーシュさんを殺害。犯行の動機はこれ」

 次の証拠を突きつける。書斎から見つけた村の防災装置増設の嘆願書。

 差出人はラーシュだった。

「ラーシュさんもまた黒人狼事件の間接的な被害者だった。エリクさんの牧場が潰れたことを知り、同じ目に遭わないように村や農場を守ることばかり考えるようになった」

 嘆願書には、黎明の森への危機感に始まり、山火事、崖崩れなどに備え、防災設備の強化を願い入れる文言が含まれていた。

 見張りのために警備員も雇いたい旨も書かれている。

「農場の安全確保と他の住民に対する猜疑心で、エリクさんは村の人たちとの不和が続いた。中でもエリクさんが目の敵にされていたようね」

 猜疑心に囚われたラーシュは気性が荒くなっていく。

 エリクが黒人狼事件の被害者だった。――次は自分の番では?

 追い詰められた精神状態で癒やしを求め、イチカを求めた。エリクと同じだ。

「ラーシュさんも、村に不穏な空気をもたらす原因になっていた。そして同じ犯行手口で殺害される。二人を殺す動機があるのは本当にイチカだけだと思う?」

 問いかけは誰に対してのものか。

 リメイは最初からフウカのことしか見ていない。

 これは裁判だ。真相究明ではなく、被告の罪を明らかにする弾劾の場。

「二人が死んで都合がいいのは……あなたでしょう。フウカ」

「……」

 フウカは答えない。鷹のような黒々とした瞳孔を向けている。

「ルイス村の平和を愛するあなたにとって、不穏分子のエリクとラーシュを殺せば平和を取り戻せる」

 村の平和のために、村人を殺す――。

 倫理観を欠いた隷血種だからこその動機。――ハウダニット。

 フウカの基準では、平和と人命は天秤にかけられるのだ。彼女がやったことを人間の尺度で説明するなら、ただの『掃除』である。

 汚れがあったら拭き取る程度のこと。掃除(ころ)してしまえばいい。

「私はあなたの殺害手口(ハウダニット)がわかった後も、殺害動機(ホワイダニット)が全くわからなかった。当然よね。人間の感性では、平和のために人を殺すなんて、そんな異常な発想はない」

 リメイは凄然と言い放った。

「でも、あなたはレイケツ種――人間の成り損ないだから」

 突きつけられた言葉をそっくりそのまま突き返す。

 人に紛れ込んだ『人狼』がもたらした異常な連続殺人。故に、殺害の動機がまるで理解できない。

「第三の犯行は……」

 リメイは言い淀んだ。

 レヒドを思うと、犯行手口を語ることは憚れた。

 しかも、第三の殺人に関しては動機も判然としていない。

 リメイを連れていかれることが不本意だからと語っていたが、それは彼女の巣とは関係のない話。レヒドはいずれ村を離れる予定だったし、『掃除』という感覚とは、少し事情が異なるように思えた。

「リメイ様、もう結構ですよ。わたしは人間の成り損ない。あの男を殺した動機はきっと理解されないでしょう」

「……認めるのね」

「ふふ。何を今さら? 最初からわたしが殺したと白状してますが?」

「そう――」

 その言質が欲しかった。

「だから、これに何の意味があるんです?」フウカはすまし顔で続けた。「わたしの勝利は揺るぎません。屋敷は軍人の大男に襲われて半壊。たまたま居合わせた可哀想な侍女も襲われて、この有様です」

 フウカは両手を広げて、びりびりに破けた服装を強調する。

「どう見ても、あなたたちが悪者ですよ」

 確かに腕っぷしで解決しようとすれば、フウカの演技と舌に負けるだろう。

 人狼は追い詰めたら余計に嘯くだけだ。

「だから裁判を開いたのよ」

「はい? こんな部外者だけの裁判に何の意味が――」

「一人じゃない――。そう言ったでしょ」

 その言葉を皮切りに、茂みからアンジェリカが飛び出てきた。

「え……」

 フウカは凍りついた。

 イチカが現れた時点で気づくべきだった。次々に森の茂みから村人が困惑した表情で出てくる。すべて見られていたのである。

「フウカちゃん、本当なのかい……?」

「まさかフウカちゃんが人殺しなんて……」

「今まで私たちを騙していたのかえ?」

 村人が皆々、眉を寄せてフウカを見ている。

 拒絶と忌避の感情を込めた双眸の数々がフウカを取り囲んでいる。その景色はガルムンド基地で過ごした試験体としての日々を彷彿とさせた。

「……あ……ああ……」

 フウカの動悸が激しくなっていく。

「残念賞。隷血種を見くびったあなたの負けよ」

「ああああ……ああ、あああああ……っ」

 フウカは逃げるしかなかった。形振り構わず翼を広げ、空高く翔ける。

 ルイス村という巣を追放された鳥に行く当てはない。

 空だけが唯一残された退路である。

「――逃がすか」

 それもかつての話。――鳥人種の占有領域に力が及ぶ超人がいた。

「アイク、お手!」

 リメイが駆け寄って命じる。アイクは巨腕を下ろし、小柄な主人が乗り込んだことを確認してから問いかけた。

「傷は平気か?」

 その意図は理解している。

「平気じゃないわよっ……」

「むうん?」

 リメイはあっさりと否定した。

 悲痛に顔を歪め、声を出すだけでも腹が痛む。

 そんな状態でこんな真似、自分らしからぬ無謀だという自覚もある。

「でも、やらないと……。私が怪物を生み出した。ここで終わったら後悔する」

「そうか。だったら遠慮はしねぇ」

 リメイは巨掌にしゃがんで身構えた。

 立ち上がるアイク。大空を飛び去る怪物を睨み、狙いをつけた。

 距離は目算、二百程度。山の方へと飛んでいく。とっくにジャンプでは届かない高さに到達し、いくらアイクとて届かない高度だ。

 だが、三種隷血の力を真っ直ぐ乗せれば――。

 リメイは深呼吸した。澄み渡った空気が体に染み渡り、五感が研ぎ澄まされる。

「さぁ早く!」リメイが発破をかける。

 アイクは三歩の助走で跳んだ。

「飛べ。リメー」

 掌に載せたリメイを、アイクは思いきり投げた。

 力を一身に受けて空へと飛び立つ――。

「……っ!」

 脚の反動と風圧で身が捩れそうだった。

 一気にフウカとの距離が縮まっていく。狙いは正確。飛び去るフウカに直線を描いて迫り、リメイは叫んだ。

「フウカ!」

「……はわっ!?」

 振り返ると、そこには瞳を赤く輝かせる金獅子の姿があった。

 この高度で追いつかれるなど考えもしなかったフウカは不意を突かれ、頭が真っ白になった。

 フウカの背を掴まえた。

 二人は揉み合いながら落下した。

 羽根を散らし、森の樹冠まで高度を下げていく。

 やがてフウカも抵抗を止めた。

「――わたし、気づいちゃいました」

 血眼で翼を押さえるリメイに、フウカは諦観の境地で呟いた。

「憧れてたんです。だから殺しました」

「……?」

 告白の意図を咀嚼する前に、樹々の枝葉が二人の視界を遮った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る