第29話
いつから此処にいて、いつまで此処にいるのだろう。
リメイの心はとっくの昔に坑道で死んでいた。
「あっ……、あぁ……あ……」
手榴弾の爆発によって崖下に閉じ込められた。
心の拠り所だったガスマスクもない。腹部の出血も酷い。手探りで周辺を探るが、瓦礫に触れるばかりで役に立ちそうなものは見つからなかった。
リメイの肉体もついに心と同じように死ぬのだろうか。
体が朽ち果てれば、二人の父親にも会えるだろうか。
「別に、平気……平気だよ。こんなのっ……」
平然とやり過ごすためのおまじない。それは呪詛の言葉だ。
「はっ…………平気……だっ……て」
息を吸い込むたびに命が擦り切れるような錯覚に陥る。
リメイの体からは刻一刻と血が滴り落ちているが、腹の傷口よりも重傷だったのは、暗闇に置き去りにしたはずの心と再び巡り合ってしまったことだ。
フウカとは友達になれそうな気がしていた。
心を失っていたリメイにとって、その隙間を埋めるような温もりがあったのだ。
もしかしたらフウカ自身が言うように、彼女の境遇がリメイと近しいもので、互いの嗅覚がそれを感じ合っていたからかもしれない。
――それを裏切られたのだ。
『なんで泣いてんだ?』
涙の訳も今ならわかる。結局、リメイはずっと一人だった。形見のガスマスクも孤独を紛らわせていただけ。
士官学校で向けられた心無い言葉。
忘れてしまいたい悲しい記憶。
嗚咽はガスマスクの内側で押し殺していた。しかし、今はそれがない……。
「はっ……はぁ……はぁ……」
手が痙攣していく。息をいくら吸っても肺に届かない。
鉱夫たちの死臭がリメイの嗅覚を奪う。
「平気……。平気じゃ……」
号哭が心の奥から湧き上がる。
「平気じゃ、ない! ……こんなの全然、平気じゃないっ!」
その蓋が外れた途端、リメイはみすぼらしく泣き喚いた。
瓦礫に叫声が虚しく反響した。今にも圧し潰されそうな錯覚に襲われる。
「ああああ、助けっ……助けて! 誰かぁぁぁ! ああああ!」
もう疲れた。誰か助けて。坑道(くらやみ)から連れ出して。
「あぁぁああぁあっ――――」
突然、土塊から剛腕が瓦礫の蓋を壊して伸びてきた。
「――――あ」
現れた手がリメイの顔を優しく包む。手を介して伝わる温もりが、力加減が、その腕の主の感情を伝えてきた。
――大丈夫だから安心しろ、と。
「アイク……」
次第に落ち着きを取り戻し、大きな手に包まれながら正常な呼吸を取り戻す。
その手に纏う岩肌の匂いは、故郷の鉱山を思い出した。
崩落した坑道で、死んでも尚、ガスマスクを娘の口に押し当て続けた父親の意思を思い出す。まだ、諦める訳にはいかない。
涙が頬を伝い、剛腕に吸い込まれるように消えていった――。
瓦礫が取り払われ、リメイは外に出ることができた。
力が入らず、四つん這いのままだ。
「はぁ……」リメイは顔を上げて恩人を見る。「ありがとう、アイク」
「礼を言ってる場合か?」
アイクの視線は、ぽたりぽたりと血が滴るリメイの腹に向いていた。
「そうね……。腰に力が入らない。でも致命傷じゃない」
リメイは痰を呑み込み、ゆっくり深呼吸した。
口の封印は解かれている。幸か不幸か、澄み渡った森の空気をたっぷり吸い込むことができ、本来の自然治癒力を取り戻せている。
出血が多く眩暈もするが、思考はクリアだった。
「洗ったらどうだ?」
アイクは温泉の湯を顎で示す。
「……そうさせてもらうわ」
軍服を早々に脱ぎ捨て下着姿になり、温泉に半身を浸けながら、傷の酷い腹部に湯をかけた。血と一緒に暗澹たる心の泥濘も洗われていく。
後ろを振り向くと、アイクはそっぽを向いて胡坐をかいていた。
がさつな性格だが、紳士な一面もある。
きっと彼は優しいのだ。
「……」
ふと、彼の手の温もりを思い出し、自身の頬を撫でた。
朧気だった心の輪郭を思い出させてくれたアイクを想うと、途端に恥ずかしくなって顔が火照り出した。
「――しっかりしろ、私っ」
仕上げに顔を洗い、気合いを入れて両頬を叩く。
軍服を絞って水気を切り、身に纏った。裂けてしまった丈は、胸の下で縛って固定する。スカートの端を千切り、包帯替わりに腹に巻く。
臍周りが少し露出するが、気にしたって仕方ない。
「おまたせ。準備完了よ」
「おう。歩けるのか?」
リメイはわずかの逡巡のあと、観念したように呟いた。
「歩けない……」
アイクはにやりと笑い、いつもより素直な華奢な女を抱きかかえた。
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