第26話


 朝焼けの眩しさと温もりで目が醒めた。

 ソファから体を起こそうとしたリメイは、謎の重みに気づく。

 イチカが上から覆い被さった状態で眠っていた。

「なっ、ちょっと。イチカさん!」

 リメイは豊満な胸に押し潰されて身動きが取れなくなっていた。男なら大喜びな状況だが、リメイも女であり、同性愛者でもない。

「はっ……」

 慌てて頬や口元を触る。ガスマスクがなかった。

 すぐ傍のテーブルの上に置かれている。

 イチカが外したのだろう。半ば過呼吸になりかけたリメイは、足掻いてソファから抜け出し、手を伸ばしてガスマスクを掴んだ。

 深呼吸してガスマスクを装着する。

「すぅーー……はぁ……」

 災難だ。きっと気を利かせたイチカが外してくれたのだろう。

 気遣いは嬉しいが、リメイは寝るときですら、ガスマスクは外したくない。これは精神的な問題もある。付けていないと落ち着かない。

「うん?」

 テーブルの上に、とある資料が置かれていた。

 ガスマスクを重石として置いていたようで、リメイに見せたかったのだということを察した。資料は誰かの履歴書だった。

「これ……」

 リメイは資料を読み、すべてに納得した。

 真犯人がわかった。村の連続殺人事件はまだ終わっていない。


 ――わぁぁぁぁぁ!?


 突然、遠くから絶叫がこだました。

 早朝の悲鳴。まるで第一の殺人を思い出す。

「うーん……なぁに?」

 イチカが欠伸をしながら目を覚ました。

「イチカさん、屋敷の軍人に帰るなって伝えて! レヒドに言えば早いわ!」

「どこに行くのリメイちゃん!」

 寝ぐせを手櫛で軽く整え、リメイは颯爽と部屋を飛び出した。


 少し考えれば、真犯人にもっと早く気づけたかもしれない。

 最初の殺人が起こった後、ハダルはリメイの帰還を嫌がり、殺人事件の調査を命じた。――リメイも、コレクションの一つだったのだろう。

 長い廊下を曲がり、玄関ホールの広い階段を下る。

 この洋館は差し詰め、ペットを閉じ込めるための檻だ。

 ハダルはただの動物では飽き足らず、亜人種にまで固執するようになった。

 黒人狼事件がきっかけだったのか、それ以前に亜人種に関心があったかはわからないが、希少な巨人種の隷血を捕らえたハダルが、他の隷血種もコレクションにしたいと考えたとしても不思議ではない。

 リメイは獣人種の隷血種だからこそハダルに迎え入れられた。落第生であるリメイが縁も所縁もない土地に、好待遇で派遣された理由はそれだ。

 書斎で見つけた履歴書の束には、リメイの分もあった。

 隷血であることは当然承知のこと。では、巨人種(アイク)、獣人種(リメイ)だけで満足できるか。――否。

 付箋を貼られていたように他の隷血種にも手をつけていた。

『――小鳥ちゃん』

 地下室で聞いたあのハダルの言葉は、形容ではない。


 玄関ホールでは二階の手すりを跳び越え、一階に降り立った。

 そのまま扉を開けて外に飛び出す。

 庭園には他にも悲鳴を聞きつけた軍関係者が騒然としていた。リメイは彼らの隙間を縫うように駆け抜け、森の奥へと向かう。

 これだけ屋敷に宿泊した軍人が外に居るのに、レヒドを見かけない。

 嫌な予感がする――。


 悲鳴は、村の中央広場の方角からだ。

 リメイが辿り着く頃には、広場に人だかりができていた。騒然とする人混みを掻き分け、中心に飛び込む。

 血だまりの中にレヒドが倒れていた。

「嘘――」

 リメイは顔面蒼白でその体を抱きかかえた。

「ねぇ、ちょっと! 冗談でしょ! ――レヒド!」

 長身を揺さぶると軍服に染みた血がどろりと流れた。既に息絶えている。

「そんな……」

 どうしてレヒドが殺害される必要があったのか。

 彼とルイス村の接点は、この数日の追悼式しかなかったはずだ。

 何の恨みがあって――。

 肩の付け根にエリクやラーシュの死体と同じ小さな傷ができている。

 手口は同じ。犯人は同一人物だ。

 ただ、凶器は違う。肉切り包丁は押収されていたせいか、傷口は大型の刃で切り裂かれたものではなく、小型ナイフで滅多刺しにされたようになっていた。

 レヒドもさぞ苦しかっただろう。

 ――感情が込み上げる。

 レヒドはパフィリカ共和国での鉱山事故をきっかけに孤児となったリメイを 保護し、士官学校へ入学させてくれた保護者のような存在だった。

 その関係は、父親と娘のそれに近い。

 事故で塞ぎ込み、愛想の悪いリメイにも、絶えず親身に接してくれる良い父親だった。今となっては、リメイも反抗的態度を取ることもあったが、父親として尊敬する気持ちは忘れたことがない。

 それがこんな形で突然、決別するなんて……。

 受け入れがたい現実を実感するにつれ、目には涙が浮かび上がってきた。

 実父の形見であるガスマスクも、人前で決して外そうとしないリメイに、外せるようになるまでそのままでいいと優しく諭してくれた。規律や儀礼を重んじる軍上層部に無理を言い、リメイの装備は特例的な配慮をしてもらえるように取り計らってくれたのだ。

「あ……っ……ああ……」

 声にならない慟哭を上げる。

 もう犯人は誰か、はっきりしていた。

「っ……!」

 歯を食いしばり、口をきつく結んで泣き叫ぶことに堪えた。

 軍服の上着を脱ぎ、恩師であり義父でもある男の遺体にかけた。

「村のみなさんは家に戻って、戸締まりをしっかりしてて」

 そう群衆に告げると、誰かが訊ねた。

「でも、人狼が怖くて家にいても不安じゃよ」

「――人狼はもう誰も襲わないわ」

 リメイは忌ま忌ましげに答えると、踵を返して屋敷の方に向かって歩いた。足は震えている。これが恐怖か武者震いか、リメイにはわからない。

 だが、口から漏れ出た名前には憎しみが込められていた。

「フウカ……」

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