第24話



 暗闇に紛れるように、黒い服を纏う女が周囲を屋敷に近づいてきた。

 今日の追悼式で福音を朗読していたイチカだ。勤勉で親しみのある性格は、村の誰もが知っている。

 どうして森に――?

 しばらく様子を観察したが、イチカは隠れ忍ぶように屋敷に侵入した。窓から死角となり、もう目で追えそうにない。

 リメイはレッグホルスターから拳銃を抜いた。念のためだ。

 一階に下りると、追悼式の手伝いから解放された軍人たちが、酒瓶片手にロビーでおふざけ交じりに雑談していた。彼らは一時的に派遣されただけで、明日にはセントラルへ汽車で帰還する。

 今宵は出張業務が終わった最後の日で、羽目を外せる至福のひと時だ。気も緩んでいるのだろう。

 リメイはそんな彼らを後目に、目立たぬよう廊下を歩いた。

 最後にイチカを見た地点から予測して屋敷を探索し、すぐ彼女を見つけ出した。こそ泥のように身を隠しているが、素人も素人。リメイの尾行に気づかず、どこかを目指して屋敷を徘徊している。

 上階に昇り、辿り着いたのはハダルの書斎だった。

 まさか侵入者が現れると思わなかった軍部も、家宅捜索が終わった後も書斎を解放したままだった。イチカが書斎の扉を颯爽と開けて中に入った。

 リメイもその後を追う。

 少し時間を置き、部屋に突撃した。追い詰めるなら現行犯がいい。

「動かないで!」

「えっ……」

「なにしてるの。イチカさん?」

「リメイちゃん! こっ、これはその……」

 イチカは灯りも点けぬまま、月明かりを頼りに書斎の机の引き出しから茶封筒を摘まみ出すところだった。

「少佐は拘留中だけど、だからって空き巣していいわけじゃない」

「……」

 銃口を向けてリメイは近づいた。

「どうしてここに? 都合の悪いものでもあるの?」

「それは……。えーっと……」

「動かない! その封筒、見せて」

「あ、これはダメ。絶対にダメなのよ」

 イチカは銃を向けられていることもお構いなしに、腕を伸ばしてリメイから茶封筒を遠ざけた。

「あっ、この! なんで動くのよ! 撃つわよ?」

 必死に手を伸ばすリメイ。背丈の差で届かなかった。

「これだけは見られたくないっ。リメイちゃんのお願いでもダメ。絶対っ」

「お願いじゃなくて命令なんだけど!」

 イチカはひらりひらりと封筒を逃がす。リメイは銃の存在も忘れてイチカの腕を掴み、無理やり奪い取ろうと力を込めて引っ張った。

「んぎぎぎぎ……」

「うぐぐぐぐ……」

 両者一歩も譲らない。

 茶封筒の中身である写真がチラリと視界に映る。

「あああああっ! 見ないでぇぇええ!」

 慌てたイチカが力任せに押し込んだ結果、二人は床に倒れた。

「いたた……もう、なんなのよ」

 どれほど見られたくない代物なのか。余程重要な手がかりなのだろう。

 件の封筒は転倒の反動で、中の写真が床一面に散らばってしまっている。

「ああああっ!」

「ん……?」

 リメイが散らばった写真を一つ取り上げる。――それはイチカの着替えの様子を隠し撮りしたような写真だった。

 他の写真にも目を向けてみる。

 イチカが教会で祈りを捧げる姿。

 イチカが私服で買い物を楽しむ姿。

 教会の花壇の手入れをする姿を背後から収め、お尻のラインをくっきり映したような下劣な写真まであった。他にもまだ際どい写真もある。

「これ、盗撮……?」

 イチカの容姿やスタイルを考えれば、村で恋愛感情を抱く者がいても不思議ではない。ただでさえ華の少ない田舎だ。

「イチカさん、ストーカー被害に遭ってたの?」

「う、ううう……うぁああああぁぁん!」

 子どものように泣き出した修道女を慰める術をリメイも知らない。

 日頃から聖職者として毅然に振る舞うイチカだが、その積み上げた品格も一度崩れてしまえば、氷雪のように脆い。

 茶目っ気すら見せていた大人の余裕を持つイチカはそこにはいなかった。

「ふぇええぇぇえええぇぇぇええん!」

「お、落ち着いてよ、イチカさん」

 リメイも士官学校で似たような目に遭った。

 盗撮された背景は違えど、人間の汚さは身を以て体感している。ルイス村へ赴任されるに至ったのも、それがきっかけだ。

「こんなものがなんでハダル少佐の書斎に?」

 イチカが泣き止んだ頃を見計らい、追及した。

「ひくっ……うくっ……。私……エリクさんに付きまとわれてて……」

「エリクさん……が?」

 イチカは涙ながら首を縦に振った。

 驚いた。最初の犠牲者からイチカは嫌がらせを受けていたのだ。――生き甲斐を失った男が、鬱憤を発散するかのように下劣な行為に走ることは珍しくない。

「少佐は……」リメイは瞬時に察した。「そうか。弱みを握ってたのね」

 ハダルの性格を考えれば、概ね予想がつく。

 卑劣な犯行の証拠を握り、不当な条件を突きつけていたのかもしれない。例えば、エリクに対する補償金の給付を引き下げていたとか。

 ――問題は、盗撮の場合、その証拠が被害者の弱みにもなることだ。

「私はハダルさんに写真を捨てるよう言ったの……」

 イチカは、しおらしい声で告白した。

「そりゃこんな写真、残されたくないしね」

「でもダメだって言われたわ。エリクさんをゆすれなくなるって言われて……。私は自分のこんな醜態をダシに使われるなんて嫌だったのにっ……」

「まさかイチカさんも少佐から何か要求された?」

「まだ何も……。でも、そのうち何か言われると思って怖かった。あの人、たまに私をギラついた眼で見ることがあって……」

 ハダルには嗜虐性がある。特にフウカのような弱い立場の少女を甚振って興奮するような女だ。イチカも候補だった可能性は十分にあった。

「まさかラーシュさんも盗撮に関わっていたとか?」

「私が彼に相談して……」

 イチカは蚊の鳴くような声で告げた。

 二人の仲が険悪になった理由――。

「以来、ラーシュさんもよく話しかけてくるようになったわ。心を開いたと思われたのかしら。エリクさんと昔から交流あるって聞いてたから相談したのに、勘違いされたみたい」

「それって……」

 一人の女を巡った男同士のいがみ合いだったのか。

 どちらも決して褒められる行いではない。

 片や盗撮。片や付きまとい。被害者のイチカもさぞ気に病んだことだろう。

「モテるんだね……」

「この村ではね」

 深い溜め息をつくイチカ。

「ラーシュさんが押さえてくれた写真、気づいたらハダルさんに渡ってて……」

「なるほど」リメイは呻吟した。「二人が険悪な理由も、本当は知ってたんだ」

「リメイちゃんには教えたくなかったから――」

 この村は狂っている。それも元を辿れば、黒人狼事件が発端だった。

 牧場の廃業。ストーカー行為。亀裂の入った関係。

 巡り巡って領主の圧政に繋がった。

 イチカにはエリクとラーシュに恨みがあり、ハダルに罪を被せる意義もある。

「――イチカさんだったのね。疑われないように証拠を奪いに来たんだ」

「えっ……」

 イチカは惚けた反応を示した。

「え、って……。今さら惚けないでよ」

「私が二人を殺したって言いたいの?」

「うん。イチカさんが真犯人なんでしょ?」

 リメイは真に迫る表情でイチカを睨んだ。月明かりが差し込む書斎は、独白にぴったりの舞台だ。――けれどイチカは首を振る。

「違う。神に誓ってそんなことはしないよ」

「でも、ここに忍び込んだのは証拠を隠すために……」

「証拠といえば証拠だけど。――というか私、疑われても仕方ない状況だね」

「当然でしょっ」

 リメイは、シスターの能天気さに拍子抜けした。ここまで動機らしい動機を語っておいて、犯人ではないとは……。

 追い打ちをかけるように、イチカは頓珍漢なことを言い出した。

「ハダルさんが犯人ってことで事件は解決したんじゃないの?」

「そうじゃない。少佐は拘留されたけど、殺人犯と決まったわけじゃない」

 拘留はフウカへの傷害罪の容疑でだ。たまたま凶器が見つかり、殺人の嫌疑にもかけられているだけである。

「そうだ。凶器……!」

 リメイは思い出したようにイチカの手を引き、月明かりの下に曝した。

 手の平を強引に開いて入念に観察する――。

「爪、綺麗だ……」

「どうしたの急に? 主に仕える身なんだから、爪の手入れは当然じゃない」

 リメイの推理が正しければ、犯人は人間ではない。

 獣人種や鳥人種、魚人種のような特徴的な爪を持つ種族が怪しい。

 イチカのそれは白魚のように綺麗だった。そもそも彼女が犯人なら遺体が手元にある状態で、犯行の証拠となりそうな傷を放っておくまい。

「イチカさん、村に亜人種が暮らしているって情報は知らない?」

「リメイちゃんまで人狼を……」

 イチカは頬に手を当て、嘆くように溜め息をついた。人狼の噂に否定的だったからこそ、二人は意気投合できたのだ。

「私は部外者だから知らないけれど、ハダルさんなら知ってるかもね」

「少佐はもうセントラルに護送されてるわ」

「でも、ほら――」

 イチカは部屋の入り口まで歩き、書斎の灯りを点けた。

「ここなら情報があるんじゃないかな?」

 イチカは舌をぺろりと出した。

 確かに情報の山だ。他人の書斎を無断で漁るのは気が引けるが……とはいえ、既に軍当局が捜索した後。火事場泥棒のようだが、盗み見程度ならハダルも諦めてくれるだろう。

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