第23話


 村人の反響は上々だった。アイクのことは問題ない。それよりも――。

 リメイは庭園のベンチに座るフウカに声をかけた。気持ちも一番晴れ晴れしていそうなフウカが、浮かない顔で虚空を眺めている。

「どうしたの、フウカ?」

「……本当に、よかったんでしょうか」

 親睦会の中心にいる大男をフウカは眺めている。

「彼の存在は隠しきれない。いずれ知れ渡るわ」

「でもハダル様の方針では隷血種は秘匿にしようと……」

「驚いた。あんな目に遭っても少佐の肩は持つんだ?」

「わたしのご主人様ですから」

 跡が残るほど虐待された相手に向ける言葉とは思えなかった。

「見上げた忠誠心ね」

 リメイは呆れたように呟き、悲嘆にくれるフウカを皮肉って続けた。

「拷問部屋では泣き叫んでたじゃない」

「それはそれですっ。ハダル様は領主として慕っていました。エヴァンス家は昔からルイスを治める古株領主ですし、隷血種の存在も後々のトラブルを予想して隠していたんですよ!」

「どうかしら。あの様子を見ると、そうは見えないけど」

 リメイは目配せした。

 村人が親しげにアイクを囲っている。若い偉丈夫は村でも重宝されるようだ。

「きっと良くないことが起きます。絶対に」

「もう起きていたと思うけど……」

 殺人以上に悪いことが起きるだろうか。フウカの感性はよくわからない。


 追悼式と親睦会は夕暮れとともにお開きとなった。

 三々五々で解散した老人が多く、最後まで残ったのは酔い潰れたアンジェリカだけだ。介抱が必要な彼女をリメイが屋敷の一室に運び、寝かせた。

 スカートも捲れ、口も半開き。乙女にしては無防備すぎる姿だ。

 普段は勝ち気な彼女だが、こうして見るとまだ年端もいかぬ少女だ。そのまま部屋に放っておくのも不憫に思い、リメイは椅子に座って見守ることにした。

「もう大丈夫……よね?」

 平穏な雰囲気に僅かながら感じる不安。

 その正体がわからず、リメイは戸惑いながら腕を組んで考えた。

 人狼に対する村の不安は今日で拭い去ることができたはずだ。その手応えは感じている。黒人狼事件以降、鬱屈としていた村の空気も良くなるだろう。

 二つの殺人事件もハダルの犯行として捜査が進んでいる。

 凶器が屋敷の肉切り包丁だと判明したのだ。他の誰かが侵入して包丁を盗んだとも考えにくい。

 ――しかし、何か見落としている気がする。

 これまで村で見聞きしたことを整理すると、不審な点がいくつかあった。

 例えば、目の前で無防備に眠り込むアンジェリカ。彼女はエリクやラーシュの二人がダイナーで揉め事を起こす度にうんざりしていた。エリクが死ぬ前日も二人は喧嘩しており、厄介払いするようにリメイを農場へ向かわせた。

 しかも、エリクの死後に行われた村裁判では遅刻。

 直後にラーシュの死体が発見されたが、偶然としてはタイミングがおかしい。


 次に、フウカ。

 ハダルに日々虐待を受けていた彼女だが、地下の拷問部屋に出入りしていたこともあり、凶器は入手しやすい環境にあった。

 犯行動機は見当たらないが、それはハダルも同じである。

 むしろ村人に献身的に接していた彼女の方が、住民との間でトラブルを抱えていた可能性も考えられないだろうか。


 そして、イチカもそうだ。

 殺人とは無縁な聖職者で、人当たりが良さそうな性格をしている。反面、エリクとラーシュの喧嘩の原因について何気なく尋ねたときは怪しい反応を見せた。二人のことで、他の人が知らない秘密を抱えていそうな様子だ。


 まだ真相はわからない。

 ハダルが犯人ならホワイダニットが判然としない。

 リメイは探偵ではないが、この霞みがかった違和感に薄気味悪さを覚えた。白黒はっきりさせたい性分が心を揺さぶる。

「……」

 アンジェリカの様子を観察する。

 この女が殺人を犯すように見えるだろうか? ――些か無防備すぎる。

 当初は最も被害者二人と身近で、他の住民と違って人を殺す体力もありそうに思えたが、あらためて眺めていると猜疑心も薄れてしまう。

「うう〜……」

 微睡んだまま瞳を開けて、天井を仰ぐアンジェリカ。

 まだ酔いが残っているようだ。

「おはようアンジー。大丈夫?」

「リメェ……」

「このまま屋敷に泊まっていく?」

 夜道を歩かせて自宅に帰らせるのは心配だ。

 リメイが布団をかけようとアンジェリカの上に身を乗り出すと、突然首元に手を伸ばされた。驚いたリメイは反射的に手を叩き落とそうとするも、首と肩を両手で鷲掴みにされ、身動きが取れなくなった。

 握力が強い。おまけに顔も近い。

 これがアンジェリカの策略か? ――酔ったように見せかけて油断させ、ターゲットが接近したところで犯行に及ぶ。リメイは自身の未熟さを悔やむも、その後悔は一瞬にして杞憂に終わった。

「リメェ……お前、かわいいな」

 その発言に、リメイは凍りついた。

「はっ……なに言ってんの。離して」

「あたしは、お前を疑って食糧庫に閉じ込めて……」

 アンジェリカは胡乱な目で好き勝手に語っている。

「もう気にしてないわ」

「一度でいいからそのマスクの下、見せてくれ。チューしよ」

「えっ、ええ! ちょ、ちょっと……!」

 ガスマスクの固定具に手を回されそうになり、咄嗟に手を払い落とした。

 同性に迫られるのは初めてではないが、不意打ちもあってリメイは狼狽した。

 力任せにアンジェリカを突き飛ばす。

 貴族ご用達のふかふかベッドに押し込まれたアンジェリカは、そのまま気を失ったように再び眠りこけてしまった。まったく勝手である。

 呆れたリメイは赤面したまま廊下に飛び出し、呼吸を整えた。

「ああ、もう。なんで私ばっかりこんな……」

 嘆きながら廊下の窓辺に崩れるように寄りかかる。

 鷲掴みにされた肩がじわりと痛んだ――。

 その痛みではっとなる。肩の付け根。被害者二人と同じ位置だ。抱えていた違和感の正体に気づく。

 対象の体を固定するなら、両肩に杭か釘を打ち込むものだろう。殺害が目的なら、暴れないように体の位置をしっかり固定するものだ。

 それでも片方の肩にだけ傷ができた理由は、固定具によるものではなく、ただ単純に鷲掴みにしたからではないだろうか。

 被害者の肩を掴み、もう片方の手で肉切り包丁を横一閃に払う。そうすれば二人の死体に残されたような傷が出来る。

 ただの人間が鷲掴みにしただけでは皮膚に穴は空かない。だからこそ杭で固定したと勘違いした。もし人外の力で鷲掴みにしたら……?

「人間の仕業じゃない?」

 閉鎖的な環境が人間の仕業だと思い込ませていた。

 違う。亜人種の仕業だ。人間ではない何かが村に潜んでいる。

 伝説に残る人狼のように――。


 では、誰が……。

 人外の存在と言ってまず思い浮かぶのは、アイクだ。

 彼が二人を殺したとしたら、どうだろう。森の廃戦車置き場からいつでも動けるアイクなら犯行は可能。ラーシュの死体発見時には現場にも居合わせた。

 ただ、アイクの手指は大きすぎる。彼が人の肩を鷲掴みにした場合、指先で穴を空けるどころか骨ごと砕いてしまうだろう。

「ということは……」

 心がざわつく。その心情を反映するように森の木々が激しく揺れていた。

 今夜は風が強い。ふと二階の窓から森を見下ろすと、たくさんのカラスが飛び立つ様子が見えた。風ではなく、鳥のざわめきが木々を揺らしていたのだ。

 式典中、アイクも鳥がざわついていると言っていた。

 あの男の嗅覚は何かを感じ取っている。

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