第22話


「本気で?」

 日がどっぷり沈み、外は暗くなっていた。

 食堂の窓にはリメイとレヒドの姿が反射している。

「ああ。私も予想外だよ。どちらにしろルイス村には軍の関係者が見張っておく必要があるんだ。頼まれてくれないか?」

「うーん……」

 レヒドの相談はシンプル。任務を続けてほしいというものだった。

 隷血種――アイクの飼育役の任務である。

「もちろん私もしばらくここで君をサポートする。とにかく彼は君じゃないと嫌がって暴れるみたいでね。ここまで懐くなんて、一体何をしたんだ?」

「別に、何も――。……うん、普通に肉を投げ与えていただけよ」

 運んだ食餌は一つも食べてくれなかったが。

 リメイは腕を組んで考えた。

 フウカも居る。ルイス村での生活にも満足していて願ってもないことだが、どうしても任務内容が気に食わなかった。

「気乗りしないわね……」

「そこをなんとかっ」

「飼育係は嫌。それ以外の世話なら引き受けてもいい」

「本当か? ……うん? それ以外の世話?」

 レヒドは眉を顰めた。

 実験サンプルに食餌を与える以外の世話があるとは考えていなかった。

「条件が二つあるわ」

「なんだ?」

「まず、それだけ重要任務なら、私にちゃんとした階級を頂戴」

 レヒドは待っていましたとばかりに部下を呼びつけた。

 軍服の男が盆を運んでくる。そこには厚紙が置かれていた。レヒドが厚紙を取り上げると、リメイに差し出した。卒業証だった。

「そう来るだろうと思った。今回の件もある。君の士官学校の卒業を認めよう」

 さぁ持っていけ、とレヒドは卒業証をリメイの前に滑らせた。

「話が早いのね。じゃあ二つ目だけど」

「なんだ? できるかぎりのことは手配する」

 随分と気前がいい。アイクは相当価値のある存在なのだろう。

 なら、この提案は受けてもらわなければならない。

「あの男、村の人たちに紹介させて?」


 二つ目は慎重に検討された。

 アイクの存在は軍でも一部の人間が知る極秘事項。それをルイス村の住民に公表してしまうという提案は、簡単に呑めるものではなかった。

 しかし、村の人口は百人にも満たない。

 その八割が高齢者で、村から情報が出回る可能性は少ない上に、隠蔽の仕方は他にもある。

 後日、被害者の追悼式が軍主催で開かれた。

 追悼式とともに軍とルイス村の親睦会を開き、そのとき新米兵としてアイクを紹介させる。機密である隷血種を一介の兵士として偽装してしまうのだ。


「――二人は生前、良きライバルであり、良き友であり、ルイスでは誰もが知る良き隣人でした。ダイナーの常連で、苦境でも前向きに過ごす姿を見せられ、隣人たちも、彼らのおかげで賑わいを感じていたことでしょう。本当に惜しい人を亡くしました」

 追悼式ではイチカが教会代表で福音を朗読した。不慣れな様子で読んでいたが、彼女の綺麗な声は屋敷の庭園によく通る。

 福音の朗読が終わり、参列者で賛美歌を歌って追悼式は終わった。

 追悼の後、親睦会に移る。

 リメイは出番が回る前、アイクと最終の打ち合わせに向かった。レヒドも心配そうにリメイの後を追おうと席を立つが、村の老婆に捕まって身動きが取れなくなっていた。

「軍人さん、あたしゃ息子夫婦がセントラルに出ちまってね、あたしを棺に入れてくれるもんがおらんのじゃ……。今日みたいな葬式はまた軍人さんが開いてくれるんかいね?」

「お婆さん、今回、彼ら二人は不慮の別れだったので……」

 レヒドも困り果てる様子を見てリメイはほくそ笑み、森に向かった。木々に身を潜めていたアイクは、リメイを見て文句を垂らした。

「リメー。ずるいな。お前だけ格好が変わらない」

「当然じゃない。軍人なんだから一張羅でいいのよ」

「こんな息苦しい服、よく平気だな……」

 アイクは急遽仕立てた専用の軍服を窮屈そうに着て、襟をしきりに引っ張っている。すぐ破いてしまいそうだ。せめて今日だけは保ってほしい。

「さ、練習した台詞、言ってみて」

「ジブンはミザン帝国リクグン、一兵卒のアイクでアリマス」

「うん。完璧ね」

 満足げにリメイは頷く。この程度の台詞の仕込みに苦労はなかった。

「いい? 私がアイクって呼んだら、それを言うのよ」

「俺は馬鹿じゃねえ」

「知ってるわ。だから変な騒ぎは起こさないでよね」

「騒ぎを起こすのはいつもリメーだ。俺はじっとしているのは得意だ」

 アイクは両腕を組み、不服そうにリメイを睨む。

「よく考えると……そうね……」

「な? 世話が焼けるのはお前の方だ」

「ま、それも今日でお終い。お披露目が終われば、あなたは村を自由に歩き回れるようになるんだから、トラブルを起こすかもしれないわ」

「トラブルが起きてほしいみたいな言い方だ」

「別に、そういうわけじゃないけど……」

 リメイが口を窄める様子を見て、アイクは満足そうに笑顔を向けた。

 ――やはりリメイは自分の判断は間違っていないと確信した。

 この隷血の男は村に興味があるのだ。いつでも逃げ出せる状態でも、森の廃戦車の場所から離れなかった理由はそれしか思いつかない。

 ひょっとするとリメイより世渡り上手かもしれない。


 庭園での宴会ではレヒドが進行を務め、リメイの挨拶に移った。

 せっかく多くの村人が参加しているのだ。

 ハダルの処罰が落ち着くまで、今後もルイス村に残って、レヒドとともに領主代理として滞在することを伝え、挨拶を終えた。

 村人が笑顔とともに拍手を送る。次はアイクの番だ。

「――また、一方で我々陸軍はルイス村の信頼回復のため、その不安を少しでも払うべく、新たな兵士を配備することにしました」

 レヒドが演台のマイクに向かって声を張り上げる。

「新米兵でありますが、怪力が自慢な男です。どうぞ見かけた際には何なりと申し付けてやってください。荷物運びでも農作業でも鹿狩りでも、一通りの体力仕事は手伝えます」

「アイク!」

 リメイが森の茂みに向かって声をかけた。

 打ち合わせでは、アイクがここで颯爽と現れ、自己紹介を済ませる予定だが、なかなか出てこない。

 しびれを切らしたリメイは、苛立った様子で森に入っていく。

 せっかくのお披露目と軍の信頼回復に繋がる親睦会だというのに、締まりのない態度でいられたら取り戻せる信頼も取り戻せない。

 まさかこの期に及んで逃げ出したとか。

 そんな臆病な男ではないと思うが万が一にも……と一抹の不安を覚えたリメイだが、予想は幸いにも裏切られ、アイクは森の奥を睨んで立っていた。

「なにしてるの? 早く来なさい」

「待て。森の様子がおかしい。鳥がざわついてる」

「あのね。みんな待ってるんだから、先にこっちを済ませて」

 マイペースは今に始まったことではない。

 とはいえ、打ち合わせまでしたのにこんな風体では先が思いやられた。

 リメイはアイクを引きずり出そうとしたが、体長三メートルの巨体を華奢な少女が力ずくで動かすことは困難を極める。

「はーやーくーしーなーさーいー!」

 微動だにしない彼の名をリメイは叱りつけるように呼んだ。

「アイク!」

「むうん?」アイクは思い出したように森に敬礼する。「ジブンはミザン帝国リクグン、一兵卒のアイクでアリマス」

「やっぱり馬鹿でしょ……」

 気を取り直したアイクをやっとのことでリメイは庭園に引き連れた。

 木の枝葉にも届く大男に、参列した村人も目を丸くさせる。

 しかし、その仰天も最初だけだった。狙い通り、アイクの人柄は好評で、続く歓談の場でも彼を怖れる者はいなかった。

「――なぁ、アンタ、以前からこの村に来てたんじゃねえか?」

 アンジェリカが立食の場でアイクに絡んだ。

 アイクはきょとんとした顔で迎える。

「そうだな。俺は一年くらい前から――」

「ああっ、一週間前だったかな。赴任前から何度か来ていたものね」

 すかさずリメイが割って入り、正直すぎる男の返答を遮った。

 一年前からいることが明るみに出れば、当時の黒人狼事件と関連を疑われる。

 アンジェリカは訝しんだ目を向けていた。

「じゃあ、あたしが森で見たウルフヘジンはアンタだったってこと?」

「……」

 アイクは返答せず、リメイに目配せした。

 また下手に喋って怒られることを危惧しているらしい。

 リメイは首を縦に振り「思い込みって怖いわね」と白を切った。

 アンジェリカは疑いの目を向けていたが、少し考えて腑に落ちたのか、表情がぱっと明るくなった。

「なーんだぁ。そういうことかよ。あたしはてっきり軍がウルフヘジンの存在を隠蔽して、飼い馴らしてる最中なのかと思ってたよ」

 疑って悪かったな、とアイクの肩を叩くアンジェリカ。

 リメイはほっと胸を撫でおろし、赦しの意味も込めて微笑み返した。

 アンジェリカはアイクの屈強な筋肉を突いて遊び始め、しまいには酒を浴びせるように飲ませて、競い合っていた。

 しばらくするとアンジェリカが先に飲み潰れた。

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