第20話


 少し前、リメイは凶器の証拠を掴むためにエヴァンス邸に戻っていた。

 もしエリクやラーシュの死体にあった穴と同じ直径の杭があれば、真犯人はエヴァンス邸の人間の誰かということになる。

 屋敷のテラスでハダルが優雅に紅茶を飲んでいたため、死角から忍び込んだ。

 アイクは間違いなく足音で気づかれると思い、外に待機させる。

 地下室はリメイも毎朝、鹿の肉を取るときに立ち寄っていた部屋だ、拷問器具は視界には映っていたが、古い洋館のため、そういう物もあるだろうと気にも留めていなかった。

 倉庫のような扱いの地下室は、扉に鍵もかかっていない。簡単に侵入できた。

 リメイは鉄製扉を開けて中へ入り、壁に沿うように昇降階段を下って、拷問器具の数々を調べ始めた。

 殺傷兵器は銃器が主流となった昨今、大型の刃物を見るのは珍しい。

 リメイは手早く、肩を打ちつける杭がないかを調べたが、それらしい物は見当たらなかった。杭の形状をした器具はあるのだが、農地の測量にでも使っていたような木杭であり、人に打ち付けたら大穴が空く大きさだ。

 木杭なら返り血で血痕が残るだろうが、それも確認できなかった。

「早とちりだったのかな?」

 リメイは肩を落とした。

「ほら、こっちに来なさい!」

「いっ、痛いですっ」

 突然、頭上の鉄製扉が開き、ハダルの怒声が耳に飛び込んできた。

 リメイは焦って身を隠せそうな木箱の中に入り込んだ。華奢な体型のリメイが隠れ潜むには十分な広さだ。

 視界が遮られていたため、何が行われているかは音で想像するしかなかったが、ハダルがフウカの体を拘束し、縄で宙に吊し上げたことは理解した。

 繰り広げられているのは、一方的な虐待だ。

 リメイはガスマスクの呼気の音が漏れないように息を押し殺す。

 顔を出して周囲を覗くと、ハダルが鞭でフウカを叩いている姿が見えた。

 主従関係とはいえ、ここまで酷い体罰は見るに堪えない。

 白熱したハダルはとうとう切れ物まで取り出す始末。肉を削ぎ落とすための大きな肉切り包丁だ。さすがに止めなければフウカの生死が危うい。

 ここまで見れば、村で二人を殺した犯人もハダルのように思えてくる。

 とにかく今はフウカを助けることの方が先決だ。

「――少佐、そこまでです」

 ハダルはリメイの登場に戸惑っていたが、すぐ気を取り直した。

「あらぁ」頬に手を当てるハダル。「こっちから探す手間が省けたわね」

 虐待の熱が冷めやらぬようで、淫蕩な目には狂気を孕んだままだ。

「ちなみに、体罰はフウカの雇用契約に含まれてますか?」

「……は?」

 リメイは虐待の正当性を追及した。

 奥で吊されたフウカがふるふると首を振る。ハダルは笑い始めた。

「ふふふ、あははははっ! 雇用契約に含まれてるかですって? 可笑しなことを訊く子ねぇ。そんなワケないじゃない」

 そんな契約書にサインをする物好きがいれば、ぜひ雇ってみたいとすらハダルは思う。しかし、ハダルが求めているのはマゾヒストではない。

 嫌がる獲物を甚振ることこそが至高。特に、か弱い小動物のような少女がいい。

「――なら、これは軍規違反だ。一般市民への暴力は認められてない」

「だったらどうするっていうの?」

「あなたを軍当局に突き出す」

 リメイは凛然とした態度で拳を構えた。上官の下士官の関係は終わりだ。

「まさかとは思うけれど、私に歯向かおうって? 丸腰で?」ハダルは嘲笑うように手を振った。「ちょっと冗談は止してよ。威勢がいいのは認めるけど」

「あなたは領有権も階級も剥奪される。それで終わりよ」

「……」

 ハダルの表情が一瞬で冷徹なものに変貌していく。リメイは臆せず続けた。

「村人たちを殺した罪も償うといいわ」

「何の話かしら?」

「惚けなくていい。エリクとラーシュの腹を裂いて殺したのもあなたでしょ。その手に持ってる肉切り包丁でやったんだ」

 刃渡りの長さは十分。鑑識にかければ、はっきりすることだ。

 この際、左肩の傷のことは後回しだ。

「訳のわからない戯言に付き合うのはウンザリ。落第生って聞いて拾ってあげたのに、あなたはやっぱりダメ。――不合格」

 ハダルは素早く背中の裏に隠したサブマシンガンを取り、構えた。

「……っ!」

 リメイは瞬時に判断し、姿勢を低くした。

 間髪入れず、容赦のない銃弾が連射される。リメイの足元に向けて。

 足を狙って身動きを取れなくさせることは予想していた。

 リメイは跳び、壁を蹴ってバク宙をすると、ハダルの真横に着地する。

 士官学校では、本科の成績はトップクラスだったリメイだ。目も良く、銃口の向きから弾道を読み、銃撃を躱すくらい訳もない。

 リメイは下から足を突き上げ、ハダルの顎を狙った。――寸前でハダルは顔を逸らし、その一蹴を躱す。

「この小娘っ……!」

 腐っても陸軍少佐。ハダルも基本的な体術は心得ている。

 短機関銃を鈍器として、リメイの足を叩こうと振りかぶった。リメイは前転しながら躱し、続く銃弾掃射を避けながら距離を取った。

 俊敏な動きで隅の机に飛び込み、机を蹴り返すことで裏側に隠れ潜んだ。

「名ばかりの階級だと思ったけど、しぶといわね」

 悪態をつくリメイ。せめて銃があれば対抗しやすいが、今は丸腰。身を隠す机も銃弾で徐々に崩れていく。このままでは時間の問題だ。

 刹那、頭上から轟音が響いた――。

 見上げると、アイクが鉄扉が蹴って押し入ってきたところだった。

「なんで来たのよ、あいつ!」

「隷血?」

 リメイも驚いたが、ハダルの方がもっと驚いていた。

 アイクは地下室の状況を瞬時に察すると、階段を使わず床まで飛び降りた。

 パニックになったハダルは悲鳴を上げて短機関銃を撃ち続ける。アイクは躱すことなく、正面から銃撃をすべて浴びた。

 腕だけ忙しなく動いていたが、速すぎてリメイの動体視力でも追いかけるのがようやくだ。やがて弾切れを起こして銃弾の雨が止んだ。

 アイクが両手を開くと、掴んだ弾丸がその場に落ちていく。カランカランと小気味のいい音が地下室に響いた。

「は……。どうして……」

 驚異的な動きにハダルは戦意喪失した。

 機関銃の弾をすべて掴むなど、獣人種の反射神経、巨人種の強靭な外皮、人間の器用さを併せ持つアイクならではの芸当だった。

 リメイは机の裏から出てアイクに文句を垂れた。

「ちょっと! 待ってなさいって言ったでしょ。どうして来たのよっ」

「銃声が聴こえた。リメーが危ないと思った」

「あのね、私はお姫様じゃないんだから守ってもらう必要なんてない。いい?」

「そ、そうか。わかった……」

 アイクはしゅんとしていた。

 超人的なパワーを持つ未知の生物すら説教して手懐けるこの女は何者だと、ハダルは愕然としてぺたりと腰を落とした。短機関銃が床に転がり滑る。

 その音が雌雄が決する合図となった。

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