第17話
アイクに抱えられ、黎明の森の奥――彼お手製の温泉に逃げ込んだ。
よく考えずにその剛腕に身を委ねたリメイだが、抱えられた後でお姫様抱っこをされていることに気づき、後悔と羞恥に耐えた。
「ふう……。さてと」
温泉の傍に降り立ち、自然を装って森の奥を見やる。温泉の熱気が火照りを誤魔化してくれるかもしれない。
「どうするんだ? リメー」
「もちろん、殺人犯を探す」
「目星は?」
「あるわ。私はアンジェリカが怪しいと思う」
リメイと接触のある村人の中では、アンジェリカが最も疑わしい。
彼女はエリクの死後に開かれた夜の集会にも遅れてやってきた。ラーシュ殺害に及ぶ時間はあったのだ。
その彼女が今ではリメイを犯人と決めつけ、村中に吹聴して回っているのだから、これ以上に真犯人らしい行動を取る存在は彼女の他にいない。
「ただ、動機もわからないし、決定的な証拠もない」
「俺が直接その女の匂いを嗅げば断定できるぞ。人間の血の匂いは独特だ。あんな殺し方をすれば数日は染みつくだろう」
「え……?」リメイは眉を顰め、想像した。「ダメダメ。それはできない」
「どうしてだ?」
「一つ。あなたが表舞台に立つと村が大騒ぎ。アンジェリカが犯人じゃなかったら周りを混乱させるだけ。二つ。あなたの嗅覚は証拠にはならない」
「そうか? 自慢の鼻なんだが――」
「あなたが真実を喋ってるか、誰にも証明できないでしょ」
アイクの五感がいくら優れていても、それは主観だ。客観的に証明できる物を突きつけるか、本人の自供を誘わなければ犯人だと決めつけることはできない。
リメイがそう説明すると、アイクはつまらなさそうに顔を顰めた。
「人間の鈍感さは面倒くさいな」
「……はぁ」
相棒がこの調子では先が思いやられる。
彼が最強の隷血種でも、それを扱える軍師がいなければ、彼の真価は発揮できないのだろう。――今はリメイがその役目を担う時。
士官学校の成績を鑑みるにリメイは兵士向きだ。自信はない。
だが数奇にも、今の状況は士官学校の校外訓練に相応しい舞台だった。
「証拠集めは地道にやっていくしかないわね」
アイク曰く、エヴァンスの人間は彼の存在を隠蔽するため、アンジェリカが目撃した存在は、表向きはまた別の未確認生物だと騒ぎ始めたらしい。
直に、村では厳戒態勢が敷かれるだろう。
「これからどうする?」
「……」
リメイは沈思黙考した。何も思いつかない。
温泉に戻ったことも愚策だった。ここからでは森の木々が邪魔をして村の様子がわからない。
「うーん」
「上から眺めてみるか?」
リメイが周囲を見回す様子を見て、アイクがそう提案した。
「滑り台のために作った山がある」
「滑り台……?」
アイクは手招きしてリメイを連れていった。嬉しそうな仕草は、まるで秘密基地に友達を正体する無邪気な少年のようだ。
温泉のすぐ傍に一ヵ所だけ小山があった。
その脇には穴が掘られ、中に入ると階段がある。昇っていくと、小山の天辺に辿り着いた。その高さは針葉樹の上にまで到達している。
ここからなら村の様子が一望できた。
「この山を手作業で作ったってワケ?」
「凄いだろう?」
「暇だったのね……」
「滑り台付きの温泉の方が楽しいはずだっ」
「……」
仁王立ちで言い放つアイク。
どんな幼少期を過ごしたのだろう。
彼をただの野生児と決めつけるには情動の発達が顕著すぎる。きっと人間文化の下、親に愛情を注がれて育った隷血種なのだ。
多くの隷血種とは、その性格を分かつ――。
リメイも同じだった。
小山の頂上からレナンス山脈の霊峰を望む。あの山脈の向こうには野蛮な獣人種が縄張りを張っている。リメイもアイクも、祖先を辿れば、あちらの住人だったのだ。
「この村は小さい。小さいから怖がる」
アイクが隣で呟いた。
その通り、村人に対する聞き込みは望み薄だろう。
ただでさえ村は噂が回るのが早い。リメイが殺人犯という噂もすぐ広まり、怯えられる違いない。そうなる前に行動に出たいが……。
「ひとまず、今のうちにできることをしましょう」
「腹ごしらえか?」
「違う。……なんでそうなるのよ」
ふと視界に錆びた大鐘が映った。教会だ。あそこなら村とも距離が遠い。
「そうだ。教会には二人目の遺体も運ばれているはずだし、シスターから話を聞き出すのも今しかないわ」
「ヘチマハウスだな」
「糸瓜?」
「壁の蔦から糸瓜が生えていて、よく食べに行く」
「至る所で挑戦的なことをしているのね……」
肉の墓を作ったり、温泉を作ったり、勝手に糸瓜を食べたり。
同じ隷血でもその自由奔放さは到底真似できそうにない。
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