三章「隷血のフレンドシップ」

第15話


 朝日が昇っても、ニワトリ娘は来なかった。

 いつも早朝に鹿肉を運んでくるその娘を、アイクは朝を告げる鳥に因んで『ニワトリ娘』と呼んでいた。ガスマスクも嘴に見えるから、ぴったりだ。

 鳥人種との隷血だったら完璧だったのに、とたまに惜しくも思う。

 そんなニワトリが今朝は鳴きに来ない――。

 不審に思ったアイクは廃戦車の場所から離れることにした。

 廃戦車の砲塔を担ぎ、立ち上がる。

 この鉄屑も都合のいい得物だ。武器要らずのアイクだが、人間の真似事で鈍器をフルスイングしてみると、存外気持ちがいい。


 エヴァンス邸の庭園が見える木の陰から様子を窺った。

 ちょうど村人が血相を変えて門を叩き、詰め寄っている。

 その数、十人弱はいる。まだ血気も盛んな初老の男たちを引き連れ、村唯一の食堂の看板娘が叫んだ。

「ハダル! 出てきやがれっ!」

 昔から領主への不満が爆発したときの農民たちの活力は凄まじい。彼らのような農夫がクーデターを起こす姿をアイクもかつて目撃したことがある。

「ど、どどどど、どど、どうしたのですか、皆さん」

 朝食の仕込みをしていたフウカが現れた。

 アンジェリカが門の鉄柵を掴み、声を荒らげる。

「チビ公! ハダルを出せ。昨日今日だけで村がおかしいぞっ」

「閣下はお休みしてますので……。ど、どうかお引き取り願えませんか……?」

「願えねえよ! 二人も死んでんだぞ?」

「はわわ……また見つかったんですね」

「そうだ。エリクさんの次はラーシュさんだ。全部お宅んとこの黒人狼がやったんだろうが!」

「ウルフヘジン?」

 フウカは素っ頓狂のような声を上げた。

「……あたしはこの目で見た。森でリメイが親しげにデカブツと話してんのをよ。そのデカブツはとんでもないジャンプ力で森の奥に消えていきやがった。あれは間違いない。ウルフヘジンだ」

「あ……っ! そ、そそそれは……えーと……。ちょっとお待ちください!」

 フウカは目を回しながら屋敷へ引っ込んだ。

 面白いことになってきた、とアイクは事態を見守っていた。

 しばらくして、申し訳程度の化粧をしたハダルが出てきた。寝起きで急造だったのか、化粧乗りが悪い。

「ご安心ください、皆さん。黒人狼なんてお伽噺ですわ。ありもしない与太話はもう終わりにしましょう。ねぇ?」

 ハダルは嘘を通そうとしていた。

 ルイスの人間は嘘つきばかりだ。アイクが人間社会に身を置くのは、嘘つき同士が同じ環境で生きる滑稽な姿に好奇心を抱いたからだ。

 人間は嘘で溢れているからこそ嘘に鈍感だ。

 アイクにとっては人間の挙動は愚鈍そのものだ。案の定、アイクが演じる偽の拘束演技はハダルにもフウカにも見破られていない。

「ハダルさん。アンタ、絶対に隠してることがあるだろ?」

「隠す? 一体、何を隠せるというのかしら? 我が屋敷には村の有識者を定期的に招いて内覧させてましてよ? 隠し事なんて何一つありませんわ」

「そんな形だけのアピールに騙されるか!」

「では、えーっと……」ハダルは記憶を辿っている。「ベアトリスさん?」

「アンジェリカだ!」

「でしたね。アンジェリカさん、ご覧になりますか? 我が屋敷を」

 名前すら覚えられていない事に不満がさらに積もったアンジェリカだが。上等だと腕まくりしながら門に手をかけた。

「あっ、ああ。アンソニアさん。ごめんなさい今は――」

「ア・ン・ジェ・リ・カ!」

「ですわね。アンジェリカさん。ほら、世間には常識というものがあるでしょう? 朝っぱらから突然やってきた来客を家に上げるなんて、そんな失礼なこと、できませんわ。私は由緒正しきエヴァンス家の当主ですわよ」

 ハダルは迷惑そうに鉄柵門を押さえた。寄せられた顔の深い皺が今では浮き彫りになっている。

「ね? 来客は丁重に……準備をした上で……持て成さないと……っ」

「準備されたら抜き打ちの意味がなくなっちまうぜ」

「ふふ、抜き打ち? 何のテストかしら……ほほほ……」

 ハダルの愛想笑いも限界を迎えていた。

 おろおろしていたフウカだが、機転を利かせて耳打ちした。光明を得たハダルは鉄柵門を押さえる手を放す。

 雪崩れ込む村人たち。

「いいでしょう、皆さん。今日は特別ご招待ですわ」

「いてて。なんか急に胡散臭くなりやがったな……」

「私はちょっとお召し替えをして参りますので、あとはフウカに申しつけてくださる? それではご免あそばせ〜!」

「あっ、おい!」

 ハダルは逃げるように屋敷内へ消えていった。

 取り残されたフウカは狼狽えながらも大仰に手を挙げ、押しかけた人たちを邸内に案内した。村人も日頃のフウカを思い出し、振り上げた拳の行き場を失って困っていた。


 ――アイクは屋敷の壁に耳をそばだてた。

 巨人種譲りの触覚と獣人種譲りの聴覚で、視界が遮られても中の情景を思い描くことができる。フウカは十人弱を相手に洋館の中を説明していた。

 エヴァンス邸はおよそ百年前に建てられた館に改修を重ね、かろうじて今でも人が住めるようにしてある古い館だ。

 長らく放置された部屋もあり、フウカが案内する部屋もその一つだ。

 百年以上前、まだ旧時代の統治をされていたクダヴェル州の領主は、罪人や捕虜を拷問にかける地下室を屋敷に用意していた。

 エヴァンス邸もその様式に倣って建造されている。

「みなさんには誤解を与えないために、一年前に捕獲された正体不明のそれをどう処分したか、お伝えしてませんでした。ですが、こちらを見ていただければ、言わずもがなかと……」

 声の反響を頼りに、アイクは外から地下室の位置を予測して回り込む。

 軒下の一角に、横長の小さな窓を見つけた。地下室の換気口だろう。あまりに低く、アイクは這いつくばってようやく覗き込むことができた。

「うげ……なんじゃこりゃ」

 アンジェリカが顔を顰めた。

 地下室の扉からすぐ階段が壁に沿って伸び、階下の机には無味乾燥とした拷問器具が並べられていた。

 磔の台座。吊し棒。三角木馬。肉切り包丁。他にも凶器の数々が木製の台に並べられている。

「一年前、黒人狼事件で捕らえられた正体不明の新種。当然、軍はその生態や特性を調べるため、ここにその新種の生物を縛り付け、様々な実験をしました」

 フウカは低い声音で語った。

 普段の舌足らずな口とは雲泥の差だ。

「様々な実験って……なんだよ?」

 固唾を飲んだアンジェリカが問う。

「わたしも知りません……。ですが、息絶えるまで調べ尽くしたそうですよ」

 嘘だ。地下室からは血の臭いがしない。

 アイクも洋館の地下室の存在など初めて知ったし、小窓から覗いて見るかぎり、拷問器具も一年前どころか最近まで使われていた形跡すらある。

「つまり、ウルフヘジンはもう死んじまったってことかい?」

「みなさんが黒人狼と呼ぶ存在は……です」

「ってことは、あたしが見た影はまた別の奴ってことじゃねぇか。そっちの方が問題だ!」

「なのでエヴァンスもすぐ調査を始めますからっ」

「そういうことなら早く村の人たちに注意して回らねえと! ――いや待て。それじゃあリメイは一体……」

 アンジェリカは怪訝な顔を浮かべた。

「リメイ様が何か……?」

「あいつがその人狼と仲良さそうに話してたって言っただろうがっ」

「あ、あ……ああ! そうでしたね」

 フウカが調子を合わせて相槌を打つが、焦る素振りは隠しきれていない。まさか世話を命じたのがハダルだとは口が裂けても言えまい。

「チビ公はあたしと一緒に来い。ダイナーの食糧庫に閉じ込めてる」

「えっ、リメイ様を?」

「今回の事件、あの新参者が一番怪しい。きっと黒人狼の仲間だ」

 フウカは複雑な表情を浮かべた。

 疑いを晴らしたいが、アンジェリカは有無を言わさぬ雰囲気がある。落ち着かせるためには、一緒にダイナーへ向かう他なかった――。

「あら皆さん。モーニングティーを用意しましたわ。どうかしら?」

 村人一行が地下室から出てきたところを、ハダルが声をかけた。

「気分じゃねえ! それより軍部にリメイの身元をちゃんと確認させろ!」

「……フウカちゃん、どういうこと?」

「閣下……事情は後で話します!」

 ハダルは目を瞬かせて彼女たちを見送った。


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