第10話
リメイは屋敷に帰る前に、念のため、森の廃戦車を確認しに行った。
アイクは元の状態で大人しく座っており、特段変わった様子はない。
担いでいた砲塔も車体の上に綺麗に載せられている。鎖の拘束を無意味だと悟らせないよう振る舞っているのだ。
あの青年もなかなか狡賢く、強かだとリメイは思った。
それにしても動き回れるなら何故逃げない……?
直接本人に聞いても教えてはくれなかったが、何か理由がありそうだ。
拘束されていると思われた方が、都合がいいのだろうか。それこそ住人や家畜を惨殺した後も、疑いの目が向けられないようにするため……とか。
住人を気軽に襲いに行けるあの場所は、居座るには好都合。
「……やめよう」
リメイは首をぶるぶると振って邪推を振り払った。
村で惨殺事件が頻発すれば、ハダルもアイクを処分するはずだ。
彼の犯行の可否はともかく、こんな不穏な事件の最中、アイクの存在が知れ渡れば領主として糾弾される。そう予見する程度には、彼も知能があるはずだ。
リメイは屋敷の自室で過ごすことにした。
しかし、どうにも落ち着かない。人が死んだことに動揺しているのではない。『黒人狼』という言葉がどうも心の泥濘を掻き乱す。
人々が語る黒人狼はアイクのことだろう。
軍が隠した三種隷血の姿を、村人が好き勝手に妄想しているのだ。
リメイは書斎に向かった。
ハダルの厚意で、自由に書斎を閲覧していいことになっている。
ルイスは地理的に閉ざされた帝国北部の森林地帯。その成り立ちは、かつてミザン帝国が一つの国家として統治される以前に勃発した内陸戦争の疎開地が起源とされている。
当時、レナンス山脈の向こうの獣人種や巨人種の脅威よりも人間同士の闘いを、平和主義者たちは恐れた。
その戦いから逃げた末裔が今のルイスの住人である――。
リメイは史書と文献を読み漁った。『黒人狼伝説』に関する本を見つけ、本棚の前で立ち読みを始めた。
――森で、美しい黒銀の毛並みを持つ獣が保護された。
――村人は獣を村で育てることにした。
――獣が棲みつくようになってから村人が一人、また一人と死んでいく。
――獣は災いの象徴として忌み嫌われ、殺された。
――以来、森の奥には黒い獣の怨念が彷徨い歩いている。
――獣は復讐を狙っているぞ。気をつけろ。時には人の姿を借りて現れる。
内容をまとめると『黒人狼伝説』とは、よそ者には常に警戒心を持って接するように、という教訓を込めたお伽噺が由来のようである。
疎開者にはありがちな閉鎖的な思想が窺える。
本を閉じ、リメイは書斎の椅子に座った。
リメイもよそ者だ。物騒な事件が続けば、村人もいずれ警戒するかもしれない。
「リメイ様〜! こちらですかぁ?」
陰鬱とした気分を晴らすように書斎に、明るい声が飛び込んできた。フウカだ。
「どうしたの?」
「閣下がお呼びですっ」
ハダルの呼び出しか。心当たりはある。
軍帽を目深に被り、即座にハダルの部屋へ向かった。
部屋にノックをして短い返事を確認して入ると、ハダルは窓辺に立て扇子を忙しなく扇いでいた。焦燥感を窺わせる。
「うぬぬ……」
ハダルは何かを言いあぐねている。リメイは上官の言葉を待った。
「今朝殺された農夫の話、知ってる?」
エリクのことだろう。ハダルは名前すら知らないのか。
「たまたま現場に居合わせました」
「……まずいわ。隷血の存在を嗅ぎつけられたら軍本部の判断を待つ暇なく、民衆は押しかけてくるはずだわ」
ハダルは下唇を噛んでいた。
今にもその厚化粧が剥がれ落ちそうだ。
「そうしたら、あなたの仕事もなくなる! あなたが帰らないといけないわ!」
「はい……?」
突然声を張り上げたハダルの様子にリメイは戸惑った。
脅しとも取れる物言いだが、ハダルの方が切迫しているように感じられた。退屈な餌やり任務から離れるだけなのだから思い残りはないのだが。
「リメイ、命令よ。遺体を確認してきなさい」
「今朝、見てきま……」
言いかけてから、リメイは察した。
エリクの死体より、鑑識結果と村の人々の反応が気になるのだろう。
「了解。教会に行ってきます」
「素直で良い子ね。今度たーっぷりご褒美をあげるわ」
「はぁ……」
上官の命令を聞くのは当然だと思うが。
リメイは困惑と同時に、ハダルの不審な態度を怪訝に思った。
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