第6話
「ふぅ……」
広い湯舟にどっぷり浸かり、足を伸ばす。
極楽だった。
「自己啓発って……堕落しろって意味?」
ルイスに派遣したレヒドを思い、独り言ちた。
学校での蹴落とし合いに揉まれ、すれていたリメイの心には穏やかな感情が戻りつつある。
生来プライドが高く、突出した戦闘能力を持つリメイは、気づけば学校では孤立したまま、成績競走に呑み込まれていた。
落第という烙印は、競走の裏で仕組まれた痴態の捏造のせいだ。
人間社会で生き残るには、妬みや嫉みを避ける世渡り術も必要だった。
反面、ここではそんな窮屈さがない。なんと恵まれた陣中訓練だろうか。
このままルイス村を出たくなくなってしまうかもしれない。
湯舟を出ようと腰を上げると、脱衣所から誰かの気配を感じた。
「誰?」
「わたしです。フウカですよ。お背中を流そうと思いまして」
「はっ!? 何よ急に。入ってこないでっ」
リメイは慌てて湯舟の中に戻った。
今はガスマスクがない。そうでなくとも全身が素っ裸で、知り合って間もない少女と裸で対峙する気は更々ない。
「でもリメイ様も村に来てから、まだ気を張ってるみたいですから、少しでも寛いでもらおうと思って」
「もう十分良くしてもらってるわ」
「そうですか? なんだかいつも表情が硬いですよ」
「生まれつき! 気遣いはいいからあっち行って」
「まぁまぁ、そんなこと仰らずに――」
「入っちゃダメぇぇ!」
フウカは警告も無視して風呂場に入ってきた。
その小さい体はバスタオルを巻くだけで胴体のほとんどを隠している。
桶とボディスポンジのようなものまで抱えて準備万端だ。
「あれ? リメイ様?」
フウカは浴槽に鼻まで浸かるリメイを見て小首を傾げた。
「息できるんですか、それ?」
「ブクブクブクブク」
「じーーっ」
フウカはふざけて我慢対決を始めてしまった。
不意打ちで息が続かないと判断したリメイは、諦めて豪快に浴槽を飛び出し、飛び散る飛沫に紛れてフウカの背後を取った。
「はぁ……はぁ……」
「変わった入浴方法をされるんですね?」
「うん。学校で流行ってたのよ。それじゃあね」
リメイは風呂場から逃げようとしたが、フウカに腕を掴まれた。
「ぐっ」
苛立ったリメイは振り向き際に壁にかけていたタオルを口に巻き、簡易マスクとした。
「もうっ何なのよ! これも少佐の命令だっていうわけ?」
「ひっ……命令じゃないです。わたしが勝手にやっただけですけど……。もしかして、ご迷惑でしたか……?」
フウカは涙目になり始めた。
タオル一枚でそんな表情を見せられてはリメイも冷静になっていく。
「はぁ……。まったく」
悪気はないのだろうが、どこかフウカには不躾な一面があった。
「わかったわよ……」
諦めたリメイは大人しく風呂椅子に座って背を向けた。
フウカは嬉しそうに背中に回り、スポンジを泡立てて優しく洗い始める。
「どうですか? 痒いところがあったら教えてくださいね」
さっさと終わらせて脱衣所に戻りたい。
この羞恥に耐えていたリメイだが、ふと疑問に思うことがあった。
主人でもない相手に何故ここまで献身的に尽くすのか。村人への親切もそうだが、リメイの場合はまだ知り合って間もない。
「――私に何かをしてほしいの?」
「はい?」
不意な質問をぶつけてしまっただろうか。フウカはきょとんとしている。
「見返りが欲しくてやってるの、って聞いてるの」
「見返り、ですか……」
フウカの茫然とした返答に毒気を抜かれる。
屋敷に来た初日、フウカはハダルに厳しく当たられていた。実は反骨心があり、ハダルの叱責を逃れたいという意図があるのではないかと邪推した。
しかし、フウカは明るく返事した。
「別にないですよ?」お湯をリメイに掛け、フウカは続ける。「強いて言うなら、リメイ様に早くエヴァンス邸……いえ、ルイス村に馴染んでほしいんですよ。それが見返りです」
「それは見返りにならない。あなたの得にならないでしょう」
フウカは惚けて「そうですか?」と聞き返した。
仕上げにタオルで水滴を拭い終わった。
リメイは気にせず質問を重ねた。
「あなた、村人にも親切よね?」
フウカはほくそ笑んで下を向く。恥ずかしいようだ。
「村に思い入れでもあるの?」
「思い入れ……ってほどじゃないですが、わたしは一年前、ハダル様に雇われてルイスに来ました。よそ者のわたしを村の人たちはすぐ受け入れてくれたんです。それが嬉しくて」
なるほど、と相槌を打った。村の寛容さはリメイも感じていたことだ。
会って間もないフウカの過去に深入りするほどリメイも無粋ではない。だが、それだけ恩を感じているなら、きっと壮絶な経験を経て、村に流れ着いたのかもしれない。
まだ年端も行かない少女だ。
リメイと同じ戦災孤児の可能性だってある。
ともすれば、仲間としてフウカとはもっと親しくなれそうな気がした。
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