第5話


 北部の山脈国境まで遥々赴き、言い渡された指令は隷血種への餌やり。

 リメイは、てっきり自分の戦闘技術を買われ、下士官としてルイス村に部隊派遣されたのかと勘違いしていたが、どうやら思い上がりだったようである。

 ルイス駐屯地には小隊すら存在しないと云う事実が後で発覚した。

 戦線があるわけでも、重要施設があるわけでもない。

 正真正銘、未知の種族への餌当番係――。


「これのどこが自己啓発だっていうのよ……」

 赴任日から一晩明かし、記念すべき任務初日となった。

 エヴァンス邸で住み込むことになったリメイは、早朝、地下保冷室に用意された生の鹿肉を引っ張り出していた。

 その最中、レヒド教官の言葉を思い出し、悪態をついた。


 隷血種への食餌は、朝一回のみ。

 一食の摂取量は十二キログラム。血抜きした鹿肉の四足を丸々食べさせる。

 リメイは縄で縛った鹿の四足を担ぎ、廃戦車の場所まで向かった。

 詳細な与え方までは聞いていない。それどころか、食事の注意点を把握している者は一人もいなかった。

 獣人と巨人の生態から想像して、生肉を勝手に平らげるだろうとの予想から、この餌付け方法だと決められている。

 リメイは隷血の男の前に、無造作に肉を放り投げた。

 男から反応はない。うな垂れたままだ。

 木陰に置かれた簡素なパイプ椅子を見つけ、近くで広げて足を組み、座る。

 見張り用の椅子だろう。

「……食べたら?」

 言葉が通じるかはわからないが、うな垂れたままの男に話しかけてみた。

 案の定、反応はない。

「ふむ……」

 小一時間ほど待ったが、ついぞ男は肉に手を出さなかった。

 エヴァンス邸の朝食時間も迫っている。

 リメイは男が鹿肉を食べるのを見届けることなく、その場を立ち去ることにした。腹が空けば食べるだろう。

 また昼にでも様子を見に来ればいい。

 リメイは食堂で朝食のトレイだけ受け取って自室に戻った。昼まで自習も兼ねた読書や屋敷内の探索をして過ごし、昼にはまた森の廃戦車に戻る。

「あれ、食べたんだ」

 鹿肉は綺麗さっぱりなくなっていた。

 大腿骨すら残っていない。男は相変わらず首を垂れた状態で無反応だったが、一応食事を取っていることに満足してリメイは立ち去った。


 次の日も同じだった。

 早朝に持って行った肉に男は反応しない。しかし、昼に様子を見に来ると、肉は綺麗さっぱりなくなっている。その次の日も、そのまた次の日も。

 食事の姿を見られたくないのか。――リメイはそう考えた。

 気持ちはわかる。リメイの場合、ガスマスクを取った姿を人に見られたくないというだけで、テーブルマナーに劣等感を抱いているわけではない。

 誇りを捨てきれず、孤高の食卓を選んだというまでだ。

 きっとこの隷血種も同じだろう。

 人間に捕まり、身動きが取れない。惨めだ。せめて肉を貪る姿は見せまいと、抵抗しているのだ。それこそがこの男の矜持。

 リメイはそう判断し、毎朝の肉運びを続けた。


 勿論、餌付け任務は口外禁止だ。

 森の廃戦車や庭園のパワードスーツが物語っているように、ルイス村で大規模な戦闘があったことは村人も知っている。

 その戦闘は、山脈を横断して紛れ込んだ獣人一頭を排除するために行われ、排除も完了したことに表向きではなっていた。

 だが、村人も馬鹿ではない。

 獣人一頭の排除にしては大掛かりすぎると気づいている。

 きっと獣人ではない正体不明の何かが森に迷い込んだのだと噂されるようになった。その事件を村の伝承になぞらえ、『黒人狼事件』と呼んでいた。

 件の隷血種が生きて囚われていると知られた日には村人もパニックを起こすことだろう。


 屋敷での生活は好待遇そのものだった。

 三階建ての広い洋館には、当主ハダルと侍女フウカ以外では、使用人が数名いる程度だ。

 部屋を持て余し、誰も使わない三階では埃の臭いすら充満している。

 ハダルですら当主部屋を二階に移し、私室と書斎も構えている。

 リメイの部屋も二階に割り当てられ、フウカを含む使用人たちは一階に住んでいた。

 閑散とした屋敷では、私生活も人目に困ることはなかった。

 リメイにはそれが有り難い。

 食事は一階の食堂に用意されるが、膝を突き合わせて食べる必要もなく、リメイは、ほとんど自室に料理を運んで本を読みながら食べている。

 気楽に邸宅生活を満喫していた。

 おまけに任務は、隷血種の大男への餌当番のみ。

 試験や厳しい訓練が山のように課せられた士官学校の生活より楽だった。

 これでは体が鈍る――。

 戦闘技術に誇りがあったリメイは、鍛錬のために自主トレーニングに励もうと考えた。庭園の外周を走り込み、放棄されたパワードスーツのアームを使って懸垂や宙づりでの腹筋運動も取り組んだ。


 夕暮れ。視線を感じて庭園から屋敷を見上げると、二階テラスから鍛錬に励むリメイを観察するように眺めるハダルの存在に気づいた。

 目が合い、ハダルはにこやかな表情を浮かべ、優雅に手を振った。

 敬礼で返すリメイ。

 だが、内心では薄気味悪さを感じた。

「リメイ様〜!」

 声に気づき、視線をそのまま下げると、フウカが玄関前で呼んでいる。

「鍛錬、お疲れ様です。あの、お風呂の用意ができておりますので、良かったらどうぞ」

「少佐が先でしょう。私は最後でいいわ」

「いえいえ、これも閣下のご厚意ですので」

「少佐の?」

「汗はすぐ流してしまった方がいいです。お肌に良くないですよ」

「私、軍人だからね」

 汗臭い環境には慣れている。

 士官学校でも夜の入浴は最後にしていた。ガスマスクの鉄壁を守るために――。

「少佐の命令と言ったら、どうされますか?」

「うーん、そうきたか……」

 気高く振る舞うリメイの日常を解きほぐすような仕打ちだ。

 労いと言えば聞こえはいい。だが、極楽に漬け、油断したリメイの弱みを握って懐柔しようという気ではないかと警戒していた。

 そういうつまりなら、甚だ甘い算段である。

 その程度の策に嵌まるリメイではないと知らしめてやろう。

 もちろん命令は忠実に守るが――。

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