二章「黎欠の殺人事件」
第7話
ある日、フウカに呼ばれて村を見て回ることになった。
ハダルの命令だった。
北部には敵の獣人種国家と国境を分断するレナンス山脈が聳え、周囲は深い黎明の森に覆われている。この天然の防壁により、物理的に隔離されたルイス村は、戦火が降り注ぐこともなく、平和を享受していた。
専ら、村人は林業や狩猟で生計を立てている。
若者が楽しめる場所は無いに等しい。村人も高齢者ばかりで、若い男女はすぐ村を出て戦争に向かうか、成功を望んでセントラルに旅立ってしまう。
憩いの場となる唯一の食堂『ダイナー』には酒場が併設されていた。
そこに入り浸る客も、残りの人生をどう過ごすか考えるために同じ境遇の村人を求めて立ち寄り、過去の武勇伝を語り合うだけ語って満足して立ち去るだけの老いぼれだけだ。
酒場ですら場末感が漂っている。
「――というわけだからさぁ、アンタが村に来てくれてよかった。歓迎するぜ」
熱烈に肩を叩いてきたのはダイナーの看板娘アンジェリカ。
あまりの豪快な叩き方にリメイはテーブルに頭を打ちそうになった。
粗暴な振る舞いを見せるアンジェリカだが、櫛を通した艶のある栗色の髪には気品を感じさせる。
田舎臭い従業員服も板についていた。
きっと真面目な性格でもあるのだろう。おそらくこの言動も、ダイナーを切り盛りする上で必要だったのだろうとリメイは瞬時に見破った。
気軽にアンジーと呼んでくれと言われるも、リメイは愛嬌のない女だ。
きっとそう呼ぶまで時間がかかる。
「こないだ遠目に見たときは、どんな高飛車な女がやってきたかと思ったがよぉ。近くで見ると愛嬌のある良い女じゃねえか。ま、この店に寄ってくれたんなら、あたしらはもう家族みたいなもんだ。よろしくな」
「家族……」戦災孤児には馴染みのない言葉だ。「少佐から許可が下りたら、また寄るわ」
弱みを悟られまいとリメイは肩肘を張った
「おう? ――あっはははは。軍人さんは四六時中か。大変だねぇ」
「リメイ様は誠実な方ですよ。毎朝ちゃんと任務をこなしているのです」
フウカが両手でホットミルクを冷ましながら呟いた。
ようやく飲める温度まで冷めたようで、カップを握って口をつけるが、それでも舌を出して熱そうにしている。
「へえ。そういや、リメイは何の任務で村に来たんだよ?」
「こっちが聞きたい……」
「うん?」
リメイが毎朝の任務を思い出し、自然と溜め息が出た。
「軍事機密。話せない」
「ははーん。でも田舎の情報網を舐めちゃいけねえ。どうせ隠しごとなんて無理無理。おまけに情報の中心地はここ、ダイナーよ。へへっ」
アンジェリカは得意げに鼻をすすった。
リメイはガスマスクの吸収缶を撫でる。隠しごとか。
村では常に誰かに見られていると考えた方がいい。ガスマスクを取るのはエヴァンス邸の自室だけにしようとリメイは決意を固めた。
今もせっかくダイナーに来たというのに、リメイはカウンターの椅子に座り、フウカが熱々のホットミルクを飲み終わるのを、ただ待っていた。
他の村人と喋ろうなどという気は沸いてこない。
「――情報が筒抜けなら、ダイナーにはもう立ち寄れないわね」
「そんなっ、つれねえなぁ。アンタが話したこと、あたしがバラすことはねえからさぁ。また来てくれよ。頼むよぉ」
アンジェリカは嘆いた。
暇な老いぼれ相手に、相当うんざりしているらしい。
「ふ、冗談よ。私も同世代の子がいると安心する。また来るわ」
リメイはフウカの喫食が終わる頃を見計らい、カウンターを離れた。
アンジェリカは嬉々としていたが、一方のリメイには別の意図があった。
情報の中心地。
ダイナーでは村の人々が鬱憤を織り交ぜ、様々な愚痴や相談を口々に語る。それが聞ける絶好の場所だ。来ない理由がない。
フウカと並んで店を出ると、ダイナーの裏口が騒がしかった。
様子を見に行こうと裏手に回ると、ちょうどアンジェリカも出てきたところだった。別れたばかりでさっそくの再会だ。
「お前がやったんだろ!」
「言いがかりだっ! テメェんとこの蛆が湧いた農場、金積まれたって入りたくもねえな!」
「なんだと!」
初老の男二人が揉めている。
片方はキャップ帽を被った皺の深い男で、もう片方は白髪が多く老いを感じさせた男だった。まだ老人というほどの歳でもないが、全盛期はとうに過ぎている。そんな風貌だった。
「大の男二人がどうしたってんだい? 喧嘩ならよそで頼むぜ。営業妨害だ」
「アンジーか。いやな、ラーシュの野郎が農場の羊を盗まれたって騒いでんだ。勝手に俺が犯人だって決めつけてやがる」
「羊を盗むなんてお前くらいしかいない!」
「勝手なこと言うなっ!」
キャップ帽の男が白髪の男にまた掴みかかろうとした。アンジェリカがキャップ帽をひったくって男の頭を叩き、止めた。
「ラーシュさん、証拠もねえのに決めつけはよくねえよ」
「アンジー、このエリクって男の性格を知ってんだろ? 黒人狼事件のせいで牧場が潰れてから、うちの農場に嫌がらせするのを生き甲斐にしているようなクズだ。羊泥棒だって、こいつが犯人に決まってる」
キャップ帽の男がラーシュ。白髪の男がエリク。
二人とも息が荒い。
いつまた取っ組み合いが始まるかわからない物々しい雰囲気だ。
「待って。羊一匹捕まえたとこで、エリクさんがどうすんのさ?」
「知らねえよ。捌いて腹の足しにするか、毛皮ひんむいて枕にしちまうか、なんだっていい。エリクは俺に嫌がらせができりゃあいいんだからよ」
「だから、お前――」
ラーシュが端を切って掴みかかろうとし、アンジェリカが止めた。
「やめなって! ちょうどいい。ここに新米の駐在兵さんががいるし、見てきてもらえばいいじゃねぇか」
アンジェリカはリメイを見た。
リメイの眉がぴくりと動く。
「私は村の保安官じゃないわ」
「ハダルん所の遣いいっぱしりなら、村の問題解決も仕事のうち。だろ?」
「もし少佐がそう命令したら動く」
「そう命令するように村全体で押しかけるぜ?」
「……うーん」
アンジェリカの勝ち気な性格は理解した。
このまま強情を貫いても意味もなく平行線を辿る。だろう。
リメイが目配せすると、フウカは困り果てて頭を押さえていた。
どうせ村を散歩していただけだ。リメイは紺の軍帽を被り直し、エリクとラーシュに付いていくことにした。
エリクの家を訪れると、荒れ果てた牧草地が目に飛び込んだ。伸びきった雑草。折れ曲がった柵。牧場はしばらく使われていないようだ。
「何があったの?」
「黒人狼だよ。ちょうど軍の戦車とパワードスーツがうちの牧場を通り道にしやがった。――補償と給付金は軍から貰っていたけどよ、そういう問題じゃねえ。この牧場は俺の人生だったんだ」
エリクは目を細め、充実していた過去を思い出しているようだった。
黄昏時の寂れた牧場は、どこか哀愁に満ちている。
現役を離れてしばらく経っているせいか、エリクは錆びた閂を重たそうに持ち上げて納屋の戸を開けた。
家や牧場を見て回ったが、盗まれた羊の痕跡も、屠殺された形跡もない。
濡れ衣だ。
そもそもエリクには羊を盗む体力すらなさそうだ。
同行していたラーシュは納得できない様子だったが、エリクが犯人である証拠が出てこず、悪態ながらに立ち去った。
「随分と因縁をつけられてるみたいね」
「……ラーシュも気が立ってんだ。ルイスの人間はいつも外敵に怯えて暮らしてる。黒人狼が出てから特にな。皆、次は自分の番かって怖がってんだよ」
「疑心暗鬼なのね」
「今では俺が避雷針だよ。村の人間の鬱憤は、身寄りのない俺に向けられてる。酷いもんだろ? こんな貧しいのに……」
エリクは自嘲気味に呟いた。
軍の補償金が足りないのだろうか。生活費に困っているなら少佐に直談判するのも手だと思うが――。
エリクは明るく笑って誤魔化した。
「ま、辺境の村にはよくある話だ。お嬢ちゃんも気をつけな。誰に突然恨まれるかわかったもんじゃない。こんな様子じゃ、また事件が起きるだろうよ」
エリクの予言は的中した。
皮肉にも、そう言った本人が最初の犠牲者となった。
翌日、エリクの遺体が発見された。
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