第2話
汽車に揺られ、辺境の片田舎へ赴く。
ミザン帝国の北部国境に位置するクダヴェル州はルイス村が、リメイの派遣地だった。
車窓から映る鬱蒼とした針葉樹林――黎明の森と、裾野を広げるレナンス山脈を前に、リメイは息苦しさを感じていた。
人口の多い中央都市セントラルよりも、ルイス村は人目が少ない。
辺境への派遣は願ってもないことだったが、よく考えると、辺境の村には独自のコミュニティが存在するものだ。
そこに馴染めるか否かが問題だ。
「うん、無理ね」
十中八九、村社会に馴染めるほど世渡りは得意ではない。そもそも学校からはそれを理由に追放されたようなものである。
そんな落第生のリメイが単身で派遣されて何を命じられたか、ということだが。
「准尉としての陣中訓練……だもの。最初から肩書きが悪すぎる」
士官学校を落第したリメイには【准尉】階級が与えられた。
名目は陣中訓練。その実、実地任務である。
卒業証のないリメイは下士官として働かされる。
士官学校で養育された者にとって、それは不名誉なことだ。それも人材不足による補填ではなく、閑古鳥すら鳴く辺境地への不必要な左遷。
名ばかり階級の底辺領主のもとで、こき使われるのが目に見えている。
やはり帝国陸軍はリメイを放ってはおかなかった。戦闘技術が優秀であれば、今後の駒として手綱を握る価値はあると判断しての左遷だろう。
いずれ前線に投入する機会が来るまでは飼い殺し。
軍人なんてそんなものだと、リメイは半ば開き直っていた。
村に着いたら、領主のエヴァンス子爵の邸宅を訪れることになっている。
汽車を降り、蔦だらけの駅改札を通過した。無人駅。酷い待遇に言葉もない。
久しぶりの澄み渡った空気だ。ガスマスクを外して思いっきり深呼吸しようと思い、リメイはマスクを外そうとした。
なめし革のベルトを外し、口を開けて息を思いっきり吸い込む。
「すー……」
「ふぇえええっ! 間に合ってなぁぁああいい!?」
「ぶっ……げほっげほっ」
幼い悲鳴が森のカラスを一斉に飛び上がらせた。
リメイは焦ってガスマスクを再装着した。
危ない。見られるところだった。
「汽車はもう行ってしまったですか? あっ、わたしの人生終わりました……」
改札前で一人しょんぼりと肩を落とす背の低い少女。
歳は、十七を迎えたリメイより十歳は若く見える。人生を諦めるにはまだ早すぎるだろう。
少女は洗濯の行き届いた割烹着とエプロンに身を包んでいた。リボンも付いた可愛げのある衣装である。
勘の鈍い人間でも、少女が誰かに仕える使用人だと察しがつくだろう。
「ねえ。あなた、エヴァンス少佐の家の……?」
「ふぇ? あぅ――」
少女はリメイを見上げると、じわりと目に涙を浮かべた。
驚かせてしまったか。これまで何度もガスマスクに対する様々な反応を見てきた。この少女も泣いて逃げ出すかもしれない。
「――良かったぁあああぁああ」
予想とは裏腹に少女は抱き着いてきた。
リメイの紺の軍服が涙や鼻水でぐしゃぐしゃに濡れていく。最悪だ。
「リメイ様ですね! 会えて良かったです。ありがとうございますぅう!」
「なによ……。もしかしてお迎え?」
「はいっ! わたし、エヴァンス家の侍女フウカと申します。リメイ様を閣下のお屋敷にご案内するため、お迎えに参りました」
「遅刻したみたいだったけど?」
「はぅ。ごめんなさいごめんなさい」
フウカはリメイに何度も頭を下げ、許しを乞うた。
「あぅ……あの、えっと……」
「ふふ、冗談よ。見なかったことにしてあげる」
リメイは頭をぽんぽんと叩いてフウカを慰めた。
田舎とはいえ、国境山脈付近の駐屯地だ。こんな幼い子を遣いに走らせるとは、ルイス村は少々警戒心が希薄すぎやしないか。
フウカが気の毒に思えた。
こちらです、と意気揚々と村を案内するフウカ。
針葉樹に囲まれた道を抜け、家々がぽつぽつと並ぶ村の姿を横目に、リメイは観察に耽る。まったく人の気配がない。
退屈そうなリメイを気遣い、フウカが声をかけた。
「リメイ様がお話に聞くより、ずっとお優しい方でよかったです」
「私のこと、なんて聞いてたの?」
「冷血の女傑。黒い白鳥。ゾウムシクイーン……」
「喧嘩売ってる?」
「はわぁあ! 滅相もありませんっ……聞いた通りを伝えたまででっ」
「黒い白鳥までは知っていたけど、ゾウムシは初めて聞いたわ」
「ゾウムシクイーン、ですよ」
「やっぱり喧嘩売ってるわね……」
フウカは侍女にしては致命的に気遣いが下手だ。
おそらくゾウムシとはガスマスクの印象ゆえだろう。
こんな悪評、リメイも気にはしていなかった。
学校での評判は自然と耳に届くものだ。校内でトラブルを起こしたことはないが、冷血女傑などと凶暴なあだ名が独り歩きするのは、仕方ないことだ。
リメイも不満を言えるほど、人脈は広くない。
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