一章「麗傑の落第生」

第1話


 リメイはもう何度目かと思える教官の呼び出しにうんざりしながら、扉をノックした。

 入りなさい、という淡泊な返事を確認し、ドアノブを掴む。

 手首に力が入らない。気合いを入れるために一呼吸置いた。

 ――ああ、放校だろうか。部屋で言い渡される現実を想像して嫌気が差す。

 いや、しかし追放宣告であれば、それはそれで満足だ。

 リメイは己を譲らなかった。士官学校の在籍と己の矜持。どちらを取ったかと問われたとき、後者を守り抜いたと誇れる結果にはなるだろう。

 自身をそう鼓舞させ、ドアノブを回す。

 部屋の奥、デスクに両肘をついて指を組み合わせる教官のレヒドがいた。

 落ち窪んだ双眸は冷徹にリメイを射止めている。

「相変わらず、か」

 レヒドは、リメイの下顎を見て呟いた。

 漆黒の排気弁となめし革のベルト。鼠色の吸収缶。――ガスマスク。

 流麗に肩まで伸びた金髪に琥珀色の瞳。その高潔な顔貌に似合わない武骨なそのマスクを、リメイは十年も欠かさず着用している。凛とした端整な顔立ちに、口元を覆う物騒なガスマスクという組み合わせは悪目立ちしていた。

 彼女は悪い意味でミザン帝国陸軍士官学校において一目置かれていた。

「君は……落第だ」

 レヒドは広いデスクに資料を投げ出した。

 顔写真付きの履歴書に不合格の烙印が押されている。

 リメイは泰然として、あぁやはり、と諦観の眼差しでそれを眺めた。

「不服かね?」レヒドは両手を組み直す。「……私も上には掛け合ったんだが。今回ばかりはどうにもならないよ」

「――別に、平気よ」

 ガスマスクから乾いた声が漏れる。

 不服に思っても、リメイはいつも澄ましたように受け流す癖があった。

「どうしていつもそうなんだ? もう少し素直になれば、君の優秀さは受け入れてもらえる。卒業だって簡単。軍でも将官に昇り詰める実力だってあるはずだ」

「お褒めに預かり、光栄です。教官」

 リメイは視線を逸らし、皮肉のように言い返した。

 士官学校の学科は上から数えて四番目。百数名いる生徒の中では上位だった。

 本科となる近接戦術、射撃や器械体操といった戦闘技術においても、ガスマスク常備というハンディキャップを背負っても尚、他の生徒と比べ、群を抜いて優秀だった。

 そんな彼女が落第となった原因――。

 それはひとえに協調性が皆無であることに起因する。

 本来、士官学校とは軍の将校となる人材を育てる教育機関だ。統率力を求められる役務に、協調性のない人間など要らない。

 軍部の決定も妥当な判断と云えよう。

「はぁ……。本当に勿体ない」

 リメイの変わらない態度を見て、レヒドは深い溜め息をついた。


 レヒドは、彼女を娘のように育ててきた。

 落第という結果にも酷く落胆している。技能試験官にもリメイがどれほど優秀な人材かアピールし、これまで何度も及第点で通してもらってきた。

 だが、やはり卒業が差し迫った時期に来て、このまま彼女に尉官階級を授与させるには【不適性】という判定が下された。

 リメイのような戦闘技術に長けるだけなら、下士官が関の山である。

「言っておくけど、成績のためにガスマスクを取る気はないからね」

「いや、それは……。そこじゃないんだ。君は――」レヒドはじれったそうに首を振る。「いいか、リメイ」

 義父の立場としてレヒドは言い直した。

 レヒドはリメイを幼少の頃から養子として引き取り、育ててきた。彼女の生い立ちに同情し、強く言うことは避けてきた。

 しかし、今は状況が違う。

「ただでさえ、お前は目立つ。成績や戦闘技術だけじゃない。その見てくれだってな――」

「はぁ? ……気持ち悪」

 教官兼後見人に色目を使われたように思えて、リメイは寒気がした。

「違う。こういう報告も上がってくるんだよ」

 レヒドは書類のバインダーから写真を摘まみ出しデスクに投げた。

 写真には、別の女生徒が背後からリメイに抱きつき、胸を揉みしだく姿が隠し撮りされていた。見る人によっては二人の仲を疑う者もいるだろう。

「ここは軍直轄の教育機関だ。不純交遊が発見されれば、即座に挙げられてしまう。私が教官でよかったよ」

 この件は揉み消しておいた、とレヒドは付け加えた。

 心外だった。スキャンダル調に映された写真だが、これはいつも言い寄ってくる女生徒が、リメイがガスマスクを取る昼食時を狙って、校外まで尾行されたときに撮られたものだ。

 特段、この生徒と何か関係があるわけではない。

 実際、他にも言い寄る女生徒は多い。愛想の悪いリメイは、男子には不人気でも、女子にはカリスマ的な魅力を支持されていた。

「……不純って、これのどこが? 私は被害者だし」

「事実関係の問題じゃないんだ。これ一つで上官の印象も変わる」


 学校は競争社会だ。

 出る杭を打たんとする他の生徒が目を見張っている。

 リメイは目を閉じ、深く溜め息をついた。ガスマスクから呼気の擦れる音がゆっくり流れていく。

 いっそ諦めがついたとも言える。

 こんなことに振り回されるなら、士官学校でこれ以上キャリアを思い描くことはできない。将校階級など、こちらから願い下げである。

 脱力した瞼を開き、眠たげな目を向けるリメイ。

「……はいはい。わかりました。じゃあ」

「これからのことだが――」

 レヒドは引き出しから一冊のパンフレットを引っ張り出した。

「これから? 私にこれからなんてあるの?」

 ガスマスクから霞んだ声が漏れる。リメイは覚悟していた。


 世界中で人魔入り乱れる戦争が起こっている――。

 狼のような敏捷性を誇る獣人種(ウルフミーズ)。

 岩石のような力強さを誇る巨人種(ギガントミーズ)。

 翼を生やした空の支配者、鳥人種(レイヴンハワー)。

 鰓呼吸で大洋を支配する魚人種(サーハギアン)。

 これら多種族による亜人国家と人間国家はそれぞれ戦争状態にある。

 人間族によって構成され、亜人国家に対抗するミザン帝国は、巨大陸ラウダ大陸の内陸を領土とし、山脈や砂漠、大河によって国境を維持していた。

 それゆえ国防の要は陸軍で、未来の将官を養成する士官学校の役目も極めて重要だ。


 リメイも戦災孤児の一人だ。

 本来なら兵役に就き、駒の一つとして命を燃やすだけだった彼女が、その才能を見出され、士官学校入学まで面倒を見てくれたのが義父のレヒドである。彼には感謝している。

 だが、これ以上世話になれば、恩人の首を絞めることにも繋がりかねない。

「――前線でも何でも、あとは自分で志願して往くから」

 家出を告げる娘のように言い放ち、リメイは踵を返した。

 どうせ現地に赴くなら辺境がいい。ひと気の多い場所では、また奇異の目を向けられるだけだ。

 団体行動とか、まざまざ鬱陶しい。

「待て。試験は落第だが、君にはまだ任務がある」

「任務? なにそれ。退学じゃないの、私」

「救済措置だよ。特例の校外教練で、少し自己啓発に励んでもらおうと思って」

「自己啓発ぅ……? うげ……」

 聞きたくもない言葉だった。

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