レイケツリベンジ

胡麻かるび

序章「冷血の脱走劇」

プロローグ

 木々が鬱蒼と生い茂る有り明けの森林地帯。

 その森は隣接する東のレナンス山脈が日出を遮り、いつまでも夜明けが来ないことから『黎明(ディルクロロ)の森』と呼ばれていた。


 普段は静寂に包まれているその森で、けたたましく銃声の残響がこだました。

 音から逃げように森を駆る獣――。

 銃声は、その獣に向けられたものだ。

 幸いにも樹冠の帳が死角をつくり、身を隠すには好条件だ。軍の研究所からなんとか脱走を試み、その獣はようやくここまで辿り着いた。


 ――あの場所は、もう嫌だ。生きて安寧の地を探したい。


 頭上には空を駆る人工兵器がサーチライトで地上を照らしている。樹上に跳び出すのは良策とは言い難かった。一方、地上では、足場の悪い森林でも抜群の軌道性を誇る二足歩行型パワードスーツが闊歩している。

 じわりじわりと獣は追い詰められていた。

 火炎放射器を握るパワードスーツは時折、照明代わりのつもりか、木々を焼き払い、逃げた獣を牽制していた。

「はぁっ……はぁっ……」

 銃創が塞がらない。

 血が足りず、意識も朦朧してきた。

 逃げ切れない。――獣は覚悟した。

 ここまで逃げてこられたのは奇跡のようなものだ。

 だからこそ、その奇跡を逃したくない。もし捕まってしまえば、二度と新鮮な空気を吸うことはできないだろう。

 せめて歩兵だけでも足止めできれば、闇に紛れて逃げ切れる可能性はある。

 あとは、自分自身の力を信じるのみ。

 獣は近くにいた蛇を鷲掴みにして、歩兵隊の前に躍り出た。

「標的、現れました!」

 パワードスーツの後に続く戦車の拡声器から警戒が呼びかけられ、一斉に照準はその獣に向けられた。

「構え! ……ふふ、まだ撃っちゃダメよ」

 将官と思しき先頭の女が口元を歪ませていた。

 獣には相手の出方を待っている余裕はない。掴んでいた蛇を女に投げつけようと腕を振りかぶる。

「――ねぇ、自由になりたい?」

 女の言葉で獣の動きがぴたりと止まる。

「……」

「自由になりたいわよねぇ?」

「ハダル隊長!?」

「いいから黙ってなさい」

 ハダルと呼ばれた女は隣のパワードスーツに乗る部下の声を遮り、続けた。

「私があなたを逃がしてあげる。ただし、条件があって――」

 提示された条件は悪いものではなかった。

 女に従えば、今よりかは自由になれるだろう。研究施設の窮屈な生活と、繰り返される実験の数々から解放されるのだ。魅力的な提案だ。

 それに、追い詰められた今の状況では選択の余地はない。

「どう?」

 ハダルは不敵な笑みを浮かべて尋ねた。

 交渉を受けるには不利な状況だ。むしろ、その提案は強制のようなものに思える。 ただ、縋るしかなかった。

「……」

 獣はこくりと頷き、自身の腕に噛みついていた蛇を投げ捨てた。

 やがて黎明の森に静寂が戻る。

「ふふ、いい子ね」

 最後に女の妖艶な笑みを見た獣は、まるでスイッチが切れた人形のように、その場に倒れた。

 兵士たちは銃口を向けながら近づき、その獣――隷血種の戦闘不能を確認し終えると、身柄をすぐ戦車の甲板に鎖で縛りつけた。

 隷血種。――人と人ならざる亜人種の間に生まれた半人半獣をそう呼ぶ。

 隷血種は自然界で生まれたとしても、人為的に生まれたとしても、人間と亜人のどちらのコミュニティにも居場所はなく、別種族の文明に隷属して生きることを余儀なくされる。その悲運を嘆いた生物学者が『隷血』と命名した。

 現在のような戦時下では、片方の種族の駒として戦地に投入され、生物兵器としてその生涯を終えるのだ。

 ハダルは舌なめずりしながら、回収した隷血種を眺めた。

「ふふ、調教し甲斐がありそう」

 隣の兵士はハダルの所作に身震いした。

 願わくば、戦争が終わったら、悲しい運命を背負わされた隷血種たちにも平穏が訪れますように――。

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