峠を越える。なにかしら、ひとつの節目を越えるということなのでしょうか。物理的にも、精神的にも。峠に隔てられた別世界へ入るかわりに、今までいた世界に(一時的にせよ)別れを告げる。峠の向こうを知った自分は、知らなかった自分とは別のもの。
引用されている詩、視覚的にわかりやすくダイナミックな迫力がありながら、静かですね。私は、風景が綴じ合うという表現に圧倒されました。
山を上下すると書いて峠、というのも象徴的ですね。
作者からの返信
コメント、レビューありがとうございます。
この詩、凄く印象に残っているんですよね。当時は人生というものを教えられたというくらいに膝を打ちましたが、なんだか欲張りになったのでしょうね。「何かを得るためとはいえ、何かを失いたくない」なんて思うようになっちやって。
「峠」という漢字も、この詩で覚えた記憶があります。
御殿場アウトレットモールを思い浮かべでしまいました(小高い場所に建つホテルに向かって階段状に店がある)
中学の時の教科書に載っていたこちら、特に印象的な詩だったのでしょうね。この詩を発表することで皮肉なことに作者の感慨は訣別するものではなく、誰からの眼にも見える道標になったという下りがよいです。
深く孤独を味わった者ならば、家族をもったとしても、それ以後も自分の中の孤独を振り返り、振り返り、折に触れて眺めるものではないかと思うのです。
そこには家族はいません。峠に一人でいるだけです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
詩としては非常に理解しやすい部類の詩ですし、簡潔なタイトルと明白な比喩で、中学生が学習するには最適だったのでしょうね。私も中学時代は素直に詩の内容を理解して「そういうモノなのだな」と、何かを得るには何かを犠牲にするのだと納得したものです。
それが今では「何かを犠牲にして得たものに価値を持たせると同時に、犠牲にしたそれを失った行為は仕方のない事だったと思い込むことで自己の正当性を保つ」と理解していますから、時は人をひねくれさせるのですね。
人生、どの地点であってもひとり立つ峠であって、頭上には天碧、後ろには過去、前方には未来があるものなのでしょう。
読ませて頂きました。
取り上げた詩はどことなく高村光太郎「道程」を思い起こさせます。
主人公氏は一体今まで何と決別してきたのか?家族に対して「太陽や月であってくれ」と思うあたりに、そこはかとない寂しさを感じます。
>砂嵐?
そういや今時のTVにはそんなものはなかった、私も年喰ったなーww
作者からの返信
コメントありがとうございます。
我ながらなかなか読み解く(読み取る)のが難しい作品だと思います。
参加企画が「伝奇」を指定しているため、敢えて「よー分からん不思議っぽさ」に成分を振りましたから。
その中で主人公の寂しさを汲み取ったのはおそらく共感からではないでしょうか。
本来孤独である人間というものが得た家族。それを失う恐怖と襲ってくる寂しさへの憂い。突如砂嵐の中に放り込まれるような不安。
孤独ではない人ほど抱くそういった感情を込めて私自身も描きましたので。
ちなみに全文引用した「峠」は私の中学時代の教科書に掲載されていた作品です。今の時代の考え方には合わない作品かも知れませんね。
読むのが遅くなってしまってすみません、いつかの「ショッピングモール伝奇」企画へのご参加ありがとうございました!
「ショッピングモールのある景色」と「峠」の詩をフックに、過去と現在と未来との繋がりを示唆するような構成に引き込まれました。
叙情的で切ない伝奇小説、大変素晴らしかったです!
作者からの返信
忘れた頃にコメントありがとうございます。
いや、本当に忘れています。どんな内容だったのか。
なるほど三題噺と絡めて書いていましたね。それで「峠」の詩か。
って、作者自作を忘れすぎ問題。てへへい