小説なんて書いている場合なのか?
勉強すると小説が書けなくなる。これも吉本隆明さんのことばだ。たしか、吉本さんの娘さん(吉本ばなな)がデビューしたくらいのとき、こういうアドバイスをしたらしい。言われた本人がその教えを守ったかどうかは知らないけれど、吉本ばななはまだ第一線で活躍している。
小説をたくさん読むと小説が書けるようになる、というありふれた幻想がある。これが幻想なのは、事実、そんなことはないからだ。文学部で文学研究をしている人たちは、常人には信じられないほどの分量の小説を読んでいる。でも、文学研究者で小説家としても成功している人はあまり多くない。専門家受けする小説を書く人はいるけれど、普通の人にも届く作品を書けている人はほぼ皆無なのではないか。
わたしの本職は社会科学系の研究者なのだけど(そろそろやめたいと思っている)、社会科学の世界でも、勉強ばかりしている人はあまりいい論文を書けてないと思う。既存研究の整理が異様に綿密な割に、研究テーマがショボい。ものすごくマニアックなところをほじくり返して、ほとんどどうでも良いところだけで既存研究とのちがいを強調しようとする。
本当に大事なのはアイデアなのだ。自分で何もアイデアを出さないで、他人がやった研究の微バージョンアップ版をつくったところで、そんなことには誰も感心しない。
小説にしても、研究にしても、「訳知り顔」になってはいけないのだと思う。たくさん勉強して、業界のことを知り尽くしたような気になって、他人の仕事をあれこれ批評するだけでは、何も生み出せない。もちろん、ずっとやっていれば自然と知識はついてしまう。それでも、素人の視線を忘れてはいけない。勉強なんて簡単だ。ただ読めばいいのだから。本当に難しいのは、どんなに知識を身につけても素人であり続けることなのだ。
素人であり続けるためには、疑い続ける姿勢が必要だ。小説を読んだり書いたりしながらも、どこかで小説を疑っているべきなのだ。「わたしは小説に命をささげます!」なんてことを言うべきではない。震災のあと、小説が書けなくなったとか、音楽がつくれなくなった、という人たちの話を聞いたことがあるけれど、とても健全だと思う。「小説なんて書いている場合なのか?」という姿勢は忘れたくない。
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