0.8丁前の悟り

わたしは吉本隆明という、もう10年くらい前に亡くなった思想家が好きで、吉本さんの言ったことはだいたい信じる。理屈が通ってなくても信じる(というか、吉本さんの言うことはだいたい理屈が通ってない)。だからほとんど宗教だと思う。


吉本さんがかつて言った言葉で、「どんなことでも10年毎日やると必ず一丁前になる」というのがある。「間違ってたら俺の首やるよ」とまで言ってた。もう死んじゃってるからいずれにしても首はもらえないけれど(いらない)、わたしは吉本さんの言葉を信じて毎日書いている。


今のところ、毎日小説を書き始めて7年11ヶ月だ。来月(2023年9月)で8年になる。計算でいえば、だいたい0.8丁前まで来てることになる。別にたいへんなことではなくて、書く時間は毎日30分から1時間くらいだ。忙しいときは10分くらい書いてみて、ノルマ達成にしてしまうこともある。書く時間よりも、「毎日書く」の方に吉本さんは重点を置いていたから、教えに反しているわけではない。とにかく切れ目無しに毎日だ。お盆も正月も二日酔いの朝も書いてたし、出張のときはホテルや飛行機の中で書いていた。


8年近くやってみて、小説がものすごく書けるようになったという感じはしない。相変わらず同じようなパッとしない作品ばかり書いてるなあ、という気もする。ただ、以前に比べると、「こっちに行ったら小説がダメになる」という勘は働きやすくなった。


小説を書くことはいろんな風に例えることができる。家を建てることに例えることもできるし、植物を育てることに例えることもできる。今回は、雪だるまをつくることに例えてみよう。


小さな雪玉を転がして雪だるまをつくるとき、一方向にばかり押していくと、球体じゃなくてでっかい俵みたいなのになってしまう。俵は転がしにくく、押しても引いても動かない。小説も同じで、一方向にばかり物語を展開していこうとすると、すぐに書き進められなくなってしまう。


極端な例を出せば、登場人物が自分のつらかった過去をひたすら語り続けるような小説だ。そういう小説を書く人は多そうだし、わたしも似たようなことをやってみたことがあるけれど、すぐ飽きてしまった。「こういうことがあった」という事実とそれに対するコメントを書いたら後はもう何も書くことが無くなってしまうのだ。


うまいこと雪玉を転がすためには、別の方向にも転がす力が必要だ。たとえば、ブツブツ暗い過去を語る主人公を茶化す人を入れるとかだ。あるいは、暗い過去を語る人は脇役にしておいて、別のもっと平凡な人を主人公にするとかでもいい。登場人物を増やすとつじつま合わせに苦労するようになるけれど、小説の運動が複雑になるので、その分、雪玉がまんべんなく転がってくれる。その意味では、むしろ初心者は登場人物がたくさん出てくる小説を書いた方が楽かもしれない。あちこちで論理的な破綻が生じやすくなるけれど、まあ、そんなの気にしなければいいだけの話だし。つじつま合わせが好きだったら、小説なんか書かないで簿記の勉強でもしてればいいのだ。


小説で大事なのは、最初につくった小さな雪玉をうまく転がす仕組みをいかにつくるかだと思う。雪玉がうまく転がるのであれば、立派なプロットなんて必要ない。まじめに毎日書いているだけで勝手に小説になってくれるからだ。登場人物がたくさんいても、その人たちがやけに物わかりのいい人たちばかりだと、雪玉は上手く転がってくれない。むしろ、主人公の言うことをことごとく全否定してくるような人がいた方が、雪玉は転がる。そういうパターンを最初の数行~十数行くらいでつくることができたら、あとはそのパターンを少しずつ変奏しながら繰り返せばいい。


よく、小説の良し悪しは最初の書き出しを読めばわかる、という人がいるけれど、それは本当だと思う。つまり、雪玉がきちんと転がるようなパターンが書き出しの時点できちんと現れているかどうか、ということだ。7年11ヶ月小説を書き続けて理解したことのひとつは、小説において大事なのはプロットではなくパターンだということだ。

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