小説療法

他の人がどういう動機で小説を書くのかわたしは知らないけれど、だいたいの場合、わたしは心が弱ってるときに書きたくなる。


好きな音楽を聴いたり、好きな漫画を読んだりしても何も感じない。夜中目を覚ますと、なぜだか不安で呼吸ができなくなるような圧迫感を覚える。自分がこれまでやってきたことには何の価値も無くて、かけがえのない人生をすべて無駄に過ごしてしまったような後悔の念につきまとわれる。軽い鬱みたいなものだと思う(本当の鬱の人の体験談を読むと、こんなものでは済まないみたいだけど)。


そういうときに、自分の内面をひたすら掘っていくような文章を書くと、心が静まる。というよりも、自分が楽になれるように何も考えずに書いていったらこんなことばかり書いてしまう。


小説も、小説を書こうという姿勢で書いているのではなく、自分の欲しい言葉をただ書き連ねているだけだ。自分の欲しい言葉といっても、「心配ないよ」とか「君はひとりじゃない」とか、そういう励ましの言葉を書いても何の慰めにもならない。そういう言葉も含めて、全ては無意味だと思えてしまうのだから。「誰かに言って欲しい言葉」というよりも、「自分にしっくりくる言葉」という方が正確かもしれない。何をもって「しっくりくる」のかは、頭で考えてもわからない。けっきょくそれは心の問題なのだ。


わたしはプロットもキャラ設定も何も考えずに小説を書き始める。面白い物語が書きたいわけではなく、しっくりくる言葉が欲しいだけだからだ。日常生活の中でなんとなく頭に浮かんだ言葉が種みたいなもので、その種をiPhoneにメモっておく。そして、その何の種なのかよくわからないものを蒔いてみて、なるべく成長の邪魔をしないように控えめにお世話をする。「百姓は米を作るのではなく田んぼを作るのだ」という言葉があるけど、それにちょっと似ている。人間には米そのものは作れない。それと同じ意味で、人間には小説そのものは作れないのだ。


小説でなくて、こういうエッセイみたいなものを書くのでも少しは気持ちが楽になる。それでも、小説に比べると頭で書いている部分が大きいので、なんとなく窮屈な感じがする。それで、小説もチマチマと書いている。小説の方が言葉が自由に動いてくれるので、自分が思ってもみなかったような「しっくりくる言葉」が生まれる確率が高くなるからだ。わたしが小説を書く理由は、煎じ詰めれば確率の問題なのだ。

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