座敷わらしの殺人

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座敷わらしの殺人

 子供の頃、私は度々座敷わらしを見かけることがあった。

 両親には見えていないようだったけど、それが私の妄想だと思ったのか、本物の座敷わらしだと思ったのかは定かではないが、別段追い払おうという話にはならず。


「それが本当に座敷わらしだったなら、おうちが幸せになるらしいわよ」

 と、そう言って笑っていた。


 私はもちろん本物だと思っていたし、実際に家庭は円満に栄えていった。


 少し大きな家に引っ越すことになって、それから私は座敷わらしを見ていない。

 きっとあの家に置き去りにしてしまったのだ。


 それが原因だろうか────



「今日は帰ってくるの?」

 私は父にメッセージを送る。

 最近の父は忙しくしており、なかなか家に戻ってこない。

 父は隠しているようだが、会社の経営がうまく行かず借金があるのだとか。

 夜中に母とその件について喧嘩をしているのを聞いてしまった。


「母さんも今日はパートで遅くなるって」

 返事はなかったが、追加でメッセージを送ってみる。


 羽振りの良い時に買ったこの一戸建ては、一人で居るには広すぎる。

 怖いとは思わない。

 ただ寂しさが、電気のついていない部屋から忍び寄って来るようで、気持ちの悪さだけが漂う。

 それを振り払うように、あちらこちらの電気を点けたまま私はシャワーを浴びに行った。


 あの頃は良かった。

 なんて若干22歳の私が言うには早いかもしれない。

 しかし、まだ前の家に住んでいた頃は、狭い部屋で家族三人、顔を付き合わせて食事を取り、一緒に布団に入って寝るのが当たり前だった。

 それがどれだけ幸せなことか。

 家族の顔を思い浮かべながらシャワーを浴びる。


「どうしてこうなっちゃったのかな」


 ため息を石鹸の泡と共に洗い流して。

 上がる頃には「仕方がない」と自分を言いくるめるのだった。


 部屋に戻ると、携帯で父からの返信がないことを確認して、私は通話ボタンを押した。

 父ではない、最近できた彼氏。

 私は家庭の愚痴を吐き出し、夜遅くまで話続けたのだった。



 翌日──私は仕事を休んだ。


「少し熱があるみたいね」

 母が幼い頃のように私のおでこに手をくっつけて、当て推量で熱を測る。

 それがまるで子供の頃のようで少し嬉しかった。

「昨日長風呂しちゃったからかも」

 本当はその後ずっと起きていて電話をしていたからだろうが、彼氏が居ることなど両親は知らない。

 隠しているわけではないが、言うタイミングが無かった。


「何か食べられそうなもの買ってくるから由美は寝てなさい」

「ありがとう」


 私が昼に仕事に行き、母は夕方からパートに出ているため、顔を会わせる時間は殆ど無い。

 母が私を想って、心配してくれたり買い物に行ったり、そういう直接的な接点に、少しだけ心の空虚な部分が埋まった気がする。



 薬が効いたのか、少しうとうとしていた頃。

 玄関の呼び鈴が鳴った。


 時計を見ると1時間ほど経っていた。

 母もそろそろ戻ってくるはずだが……

 暫く寝たからか、心が軽くなったのが原因か、体も少し軽く感じたので玄関まで行くことにした。


「どなたですか?」

「定期購買のお届けです、奥さんいらっしゃいますか?」

 インターホン越しに男性の声。

 きっと母が最近買い始めた、体に良いとか言う健康食品だろう。

 とりあえず受け取っておくことにしよう。


「今開けますね」

 玄関へ向かうと、ステンドグラスをあしらった扉の向こうに、箱を持った男性の姿が映った。

 なんの疑問も持たずに私は鍵を開ける。


「お届け物です──ここにサインを」

 言われるがままにペンを受け取り、名前を書く。

「君は娘さんかな?」

 下を向いていた私に、配達員の男が声をかけてくる。

 私は部屋着だし、あまり初対面の人と話したい方ではないため、怪訝な表情になってしまったかもしれない。


「あ、いつもお母さんが受け取りに出てくるので、つい……」

 私の眼力に、しどろもどろになっている男から、荷物を引ったくる。


「来週もお邪魔しますと、お母様へお伝えください」

 そう、頭を下げた瞬間だった。


 一陣の風が吹き、玄関扉の蝶番が外れた。

 そのまま倒れるように配達員にのし掛かり、ステンドグラスが割れて飛び散った。


 一瞬の出来事に、私は段ボールを取り落とし、その場で固まっていたが、倒れた扉の下で呻く声と、流れる赤い血を見てへたり込んでしまった。


「中村さん!」

 そこへタイミング良く母の声が。

 中村と言うのはこの配達員の名前だろうか。


 母は素早く駆け寄ると、扉を横に倒して配達員を引きずり出した。

 ステンドグラスで頭部を切ったのか、結構な量の血が出ている。


「由美! 救急車を早く!」

 言われて私は急いでベッドに戻ると、自分の携帯で救急車を呼んだのだった。




「昼間は大変だったわね」


 結局あの後、救急車と一緒に警察も来て実況見聞が行われた。

 職務中の事故ということもあり、配達人の保険などに関わってくるのだろう。

 気持ちは軽くなったとはいえ、まだ熱のある私まで駆り出されたため、未だにベッドの中である。


「上の部分のネジを止めている木が腐食して、ネジが緩んでいたみたいね」

 そのせいで扉が倒れた、ただの事故だ。


 それなのに少しだけ私の中には違和感があった。


「あの中村さんって人と仲良いの?」

 彼も母の事を気にかけていたし、母も彼を名前で呼んでいた。

 下敷きになっている彼を必死で助けていたのも印象的だった。


「毎週荷物を持ってきてくれたときに世間話をするくらいかしら、それでも同じ方が持ってきてくれるんだから顔も名前も覚えちゃうわよ」

 母のその答えに、そんなものなのかなと思いつつ、少し上がった熱に頭痛を覚えて今日は寝ることにした。



 のどの渇きに目が覚めた。

 熱があるときはやたらとのどが渇く。

 発汗して熱を下げるためにも、水分は取っておくべきだろう。

 飲み物を取りにふらふらと階段を下りていく。


「家を担保にするってどういう事よ!」


 そんな私の耳に飛び込んできたのは、母のヒステリックな叫び声だ。

 私の足は階段を下りるのをやめて固まってしまった。


「仕方がないだろう、銀行からの融資に頭金がいるんだ」

 対する父の声は大きくはないが、何処か怒気を含んだような声色で、さらに私の足を動かなくさせる。


「なんのために私がパートに行って、お金を工面していると思ってるの」

「家庭の話じゃないんだ、もっと大きいお金が動いてるんだ」


 二人はヒートアップしていて、私の存在などには気づいていない。

 いや、元々この広い家に引っ越してからは、私の存在は希薄だった。


「貴方は家庭じゃなくて、会社を守りたいだけなんでしょ!」


 母の言葉に、父が立ち上がるのがわかる。


「お前にだけは……お前にだけは言われたくない!」

「どういう……ことよ!」

 胸ぐらを捕まれているのか、苦しそうに母が答える。


「お前が浮気していることなんか、とっくに知ってるんだよ!」


 絶句。

 母の口からは否定の言葉ひとつも出てこない。

 そして私も口を手でおさえ、嗚咽を殺すのに必死だった。


「相手は今日の健康食品の配達員だろう、家族がいないときに毎週この家に上げてたんだよな! そんなやつに家庭をどうこう言われたくない!」

 父は母を突き飛ばすようにして、胸ぐらから手を離すと、そのままリビングを出て行こうとする。


 私は慌てて階段を駆け上がりその場から身を隠した。

 父は壊れて施錠ができていない玄関が封鎖されているのを見て舌打ちをした。


「確か結構な怪我をしたんだろ? 天罰だったんじゃないか?」

 普段は言わないような嫌みを捨て台詞にして、父は勝手口から出ていった。


 取り残された母は、ただしくしくと泣いていたが、私は慰める気には成らなかった。

 ただため息をついて部屋に戻ると、喉の渇きなど忘れて、目を瞑る。

 薬が効いていたのか、もう何も考えたくなかったのか、すぐに意識を失った。



 朝。

 目が覚めると熱は下がっているようだった。

 ただ、とてつもなく喉が渇いている。

 その原因を思い出すと頭が痛くなりそうだ。


 私は階段を降りてゆく。

 そしてなんの気無しにリビングを見る。


 そこには青ざめた母と、机に突っ伏した父。

 テーブルの上には、いくつものお酒の缶が並んでいた。

 あまり飲めない体質の家系なので、うちには常備されていない。

 きっとあの後コンビニに買いに行ったのだろう。

 それにしてもすごい量だ。

 きっと昨日の喧嘩が原因なんだろうな。


 そんなことを考えていると母がか細い声で呟く。


「お父さん、息して無いの」

 ソファーに座ったまま動こうとしない母。

 その言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。


「お父さん!」

 理解した瞬間父の肩を激しく揺すると、その体は力無く椅子から崩れ落ちて、地面に頭をぶつけた鈍い音が、父にもう息がないことを知らせるかのようだった。




「同じ家から二日連続110番とはね……」

 近くの派出所の警官だろうか、ため息をつきながらこちらに話しかけてくる。


「ご迷惑お掛けします」

 私はもう思考が停止していて、涙を流す事すら忘れていた。



 事情聴取の合間、私は勝手口から裏庭に出ていた。

 家の中が息苦しく感じたからだ。


 石縁に座って空を見ていると、こそこそと人の話し声がする。


「被害者の経営する会社は火の車だったらしいですね」

「そこにこの保険金か……」

「つい先日、銀行から融資を打ちきられそうになって、家を担保にする契約を考えていたらしいです」

「何にせよタイミングが良すぎるな……」


 きっと刑事がたばこでも吸いながら打合せしているのだろう。

 私が聞いているとも知らずに。


「見た限りでは急性アルコール中毒に見えますが……被害者は酒に弱く、普段からあまり飲む方ではなかったらしいです」

「それにお隣さんは昨日の夜に喧嘩する声が聞こえていたと」


「ただ、被害者は自分で酒を買いに行ってるんだよなぁ……」

「そこなんですよ」

「自殺……の線も考えておくか」


 そこまで話すと、開け放たれた玄関の方へと歩いていったようだ。

 すぐに、私も呼ばれ、そのまま警察署へと連れていかれた。

 容疑者ということなのか、証拠隠滅をさせないための手段なのだろう。

 そこでは、普段からお酒は飲むのかとか、喧嘩をする声を聞いていないかだとか、そういう事を聞かれた。

 私は正直に答える気がしなかったので。


「風邪を引いていたので、薬を飲んで朝まで寝ていました」とだけ答えた。



 夕方頃に私だけ解放され、母は一晩泊まるそうだ。

 玄関の修理は明日らしく、今はまた封鎖されていた。


 父の遺体は運ばれ、検死にでもかけられるのだろう。

 ただほんのりとアルコールの匂いと、独特の他人の匂いがするリビングに吐き気を催す。


 私はまた自分の部屋のベッドに。

 そして頭のなかでぐるぐると嫌な妄想をしていた。


 母は父が要らなくなったんだ。

 借金まみれの父の保険金で会社を円満に畳んで、新しい彼氏と一緒になるために。



 そのとき電話が鳴る。

 警察署では預けっぱなしだったので、確認していなかったが、何度も彼氏から電話が入っていた。


「達也……!」


 私は飛び付くようにその通話を取った。


「由美、何度も連絡したんだけど」

「うん、ちょっと色々あって……」


 私は昨日と今日あったことを全て彼に話した。


「今からそっち行くわ」

 その言葉にとても救われた。


 母も居ないこの家は、いつものように暗がりから寂しさがやってくる。

 それに加えて、恐怖や、疑心暗鬼、悲しさまでがない交ぜになっていて、間違いなく一人で過ごせる状態ではなかった。



 夜遅くはなかったこともあり、電車に乗ってわざわざ来てくれた彼を部屋に通す。

 瞬間、彼が私を抱き寄せる。


「辛かったね」


 耳元で囁かれたその一言が、私のタガを外した。

 目からはボロボロと涙が溢れ落ち、声にならない慟哭が口から漏れる。


 ただただ頭が真っ白になるまで私は泣き続け、それをずっと抱き締める達也に心を許ししてゆく。


「私もう、ここに居たくない」

 父が亡くなった家に住みたいと思わないという意味だけでなく、それを母が仕組んだとすればそんな人を家族と呼べるわけがなかった。


「ねぇ、私を連れ出してよ、幸せにしてよ」


 震える口がそう紡ぎ出すが。

 達也はそれに何も答えない。


「達也?」

 私は抱き締めていた手をほどき、体を離した。

 瞬間達也は、その体を反らせて背中から倒れた。

 父が倒れたときのような、モノが床にぶつかる音がする。


「嫌っ! 何で!?」

 背中から倒れた拍子に、その重みで押されたのか、仰向けの達也のちょうど心臓の辺りから刃物が生えていた。

 服の前面も赤く染まって行く。


 しかし、私の視線はそこにはなかった。

 その向こう、こちらを見ながら立っている、自分と同じくらいの年齢の男性。

 その顔に見覚えがあった。


「貴方は……!」


 一歩後ずさりながら放ったその叫びに、目を見開く男性。


「僕が、見えるんだね」

 彼は悲しそうに笑った。


「座敷わらし……さん」

「そうさ、君について前の家からこっちに来ていたんだよ」


 少し半透明な彼は、着流しのようなものを羽織っていて立っている。


「なんで貴方が人を殺すの?」

 震える声は、失った悲しみよりも、目の前の恐怖に対してだった。


 その恐怖の権化は、やはり悲しそうな表情のまま首を振った。


「僕が気づいたときにはこうするしかなかった」


 それが何を言っているのかわからない。


「君のお父さんは家を担保に借金をしようとしていた、でもそんな事をしても借金が消える訳じゃない。お母さんも君も一緒に路頭に迷うだけだ」


「それで殺したって言うの? じゃぁ達也は関係ないじゃない!」


 私は目の前で赤く染まって行く、彼氏だったものを視界の端に捉えるのが怖くて、座敷わらしを睨み付けたまま叫ぶ。


「この男は害悪だよ、女性の弱みにつけこんで、金をむしり取っている。由美以外にも数人の女性が既に被害にあっているんだ」


「そんなの、知らない!」


「僕には大切な人の未来が見えるんだ、だからその人の為にいつも最善の未来を選んであげてる……結果的にそれが家の繁栄だったり幸福に繋がって行くんだ」


「だったらなんで、こんな……酷い事になってるの!」


 座敷わらしは目線を逸らす。

「君が僕を忘れていたからだよ」


「どういうこと」


「僕たちは、大切な人が僕の存在を信じてくれている時だけ存在できるんだ」


 そういえば最近、昔の事を思い出す機会が多かった。あの日見た彼が座敷わらしだと、信じて疑わなかった日々を。


「そして君は未来で、父を恨む。だから今殺した。そしてこの彼も……騙されて傷ついて、本気で殺そうとさえ思う。だから今殺した」


「そんな……全て私がそう思うからって理由で?」

 未来で思うから?

 つまりまだ思ってすら居ないのに。

 私のせいで大切な人が死んだというの!?


 理不尽。

 だけど、それを言えるのは人と人との間だけ。

 目の前の彼はもはやそういう類いのモノではないのだ。


「配達員は殺そうとまで思わなかった、だから近づかないように怪我をさせただけ」


 そんな言葉で納得できるはずがない。

 しかし、目の前の人間ではない存在が、人間以上のなにかを持っていても不思議ではない。

 自分の物差しで測る事はできないからだ。


 私は、ぐちゃぐちゃになってしまった人生を恨んだ。

 そして座敷わらしを睨む。


「ありがとうとは言わない。私が最後に叶えて欲しい願いは分かるわよね」


「ああ、もちろんさ」


 そういうと座敷わらしは達也の体を引っ張り起こす。

 不思議なことに床に流れていた血液までが、パリパリと剥がれて死体と一緒に浮かび上がる。


「最後は僕に消えて欲しいんだね」


 私は頷いた。

「私の人生は、私が決めるから!」


 座敷わらしは微笑むと、窓を開けて身を乗り出す。

 夏の生ぬるい夜風に、達也の血の匂いが混ざって現実を突きつけてくる。


「僕が居なくても、君なら大丈夫。ごめんねずっと守ってあげれなくて」


 彼が言っている【ずっと】が、これまでの事なのかこれからの事なのか分からない。

 それでも、もう私には必要ないものだ。


「バイバイ」


 その一言と共に、永遠に座敷わらしは居なくなった。


 一人部屋に取り残された私は、ただ力無く床にへたり込む。


 開け放った窓からはもう血の匂いはしない。

 寂しさや悲しみも這い寄らない。

 ただ儚くも強く輝く星達があるだけだった。



◆◇◆作者より◆◇◆

後味の悪い作品ですが、いかがでしたか?

普段はハッピーエンドを書くことが多いので、良ければ他の作品もご覧ください☆


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お読みいただきありがとうございました!

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