ラブロンの荒神

1.仮面の冒険者―――ブリジット



太古の森ラブロンに隣接する古城、カースタッグ。



小高い丘の上に石積みの高層建築。

強固な守りに支えられた城壁の中には幾世代も受け継がれた美しい街並み。

王都から遠く離れた辺鄙な場所ゆえに、戦争や内乱に巻き込まれず残った時代遅れの遺物。

三方を大自然に囲まれ、魔物の脅威にさらされながらもこの城壁都市が今なお昔の様式を損なわず受け継がれてきたのは、ここが冒険者の街だからだ。



ラブロンの森に挑戦できる冒険者は限られる。

いわばここは冒険者たちが一流と認められるための登竜門というわけだ。



荒くれ者が多い冒険者だが、このカースタッグ支部の冒険者ギルドの門を潜れば、まるで聖堂のような静けさ。最小限の会話と書類のかすれる音、椅子を引く音、冒険者の装備が奏でる重厚な金属音のみ。

それらを呑み込む圧倒的な緊迫感。



ここでの任務には常に生死が付きまとう。



「あ、あんたは……」



その静けさを破る声。

ベテランに位置する冒険者が思わず声を漏らした。

扉の前に現れた者に眼を奪われる。

他の冒険者たちの視線もこの一人に注がれる。


仮面の冒険者。


その者はまっすぐ受付に進む。フローリングを鳴る音の後ギルド内はざわめいた。



「カースタッグへようこそ、ブリジット様」

「師匠の捜索はどうなっている?」



仮面の下からギロリと光る眼は受付嬢を見下ろす。

かすれた青年のような声。冷静に努めているが、声に怒気が籠っている。



「あああの~、その~」

「早く、答えろ」



遠目に見る冒険者たちも固唾をのむ。

彼らは彼女が何者か知っている。

なぜここに現れたのかも。

なぜ怒っているのかも。



「失礼」



男が不意にブリジットの肩に手を掛ける。


「そのような態度は七つ星階級に相応しく無いですよ、英雄ブリジットさんっ!!」



ブリジットは振り向く。

優男が顔に怒りをにじませ、彼女を見上げている。



「失礼。今更何しに来たんですか? 回収はすでにぼくらが請け負っています。あなたにできることは無い!!」

「お前は誰だ?」



男は居直って下がった。



「これは失礼しました。ぼくは『炎斬』のリオン! 勇者マリアが遺した冒険者アカデミーの一期生首席。おっと失礼。これは自慢ではなく、こう言いたかったのです。勇者マリアの正当な後継者はぼくであるとね」



リオンは自信たっぷりに宣言した。



勇者マリアがラブロンの森で失踪し、すでに三か月が経っていた。

捜索隊はゴブリンの巣でエルダー種を発見。

その怪物の手に、マリアの剣が握られているのを確認した。

冒険者ギルドは勇者マリアの死亡を一部の有力者に公表した。



ギルドが捜索を打ち切った後もリオンはマリアの遺品回収を買って出た。

しかし精力的な回収出動にも関わらず、エルダー種の前に回収班は敗走を続けていた。



「師匠の捜索は私がする」

「まさか回収班に加わりたいと? ブリジットさん、あなた何を言っているのかわかっているんですか? ぼくらの仕事に首を突っ込む権利はあなたにはないっ!!」

「違う。私は私で動く。捜索にな」

「我々が力不足だとでも? 迷惑ですよ。いくらあなたが勇者の弟子で、ぼくよりランクが上だからって」

「冒険者は実力が全て。私は出遅れたが、お前は結果を出していない」

「なにぃ!!」



ブリジットはリオンの制止を無視し、ラブロンの森へ向かった。





「どうして反対するんだよ、リオン。エルダーゴブリンは正直おれたちだけじゃ……」


リオンの仲間は不安を露わにする。



「はぁ、馬鹿ですね……マリアが本当に生きていたらどうするんです?」



この場には三人しかいない。

誰にも話を聞かれない室内。



「いや、あの傷じゃあ」



三人は最後にマリアを見たときの記憶を呼び起こす。



ゴブリンの巣でリオンの不意打ちを頭部に受け、正面にはエルダーゴブリンとハイゴブリンの一団。



「あの状況で生きてるはずが」

「そういう楽観主義が甘いんですよ。勇者はしぶとい。ゴブリンの苗床としてまだ息があってもおかしくない。だから、我々があのエルダーゴブリンの巣を攻略しなければならないんだ」



リオンは徹底している。

自分が上に立つためには一切手を抜かず、容赦がない。


例え、勇者を手にかけることも辞さない。

エルダーゴブリンの討伐依頼に来たマリアに同行し、背後から強襲した。


誤算はエルダーゴブリンをその場で討伐できなかったことだ。

マリアの剣を奪われてしまった。



剣は装備として最高峰だが、継承権の明かしとして機能する。

異世界から来た勇者の後継者は誰か。

経緯はどうであれ、勇者の仇を打ち、その教えを受けた者が剣を手にすれば、誰も継承に異議を唱えない。



(はぁ、バカな女だった。ぼくを認めて大人しく後継者に指名していればよかったんだ。ブリジットなんかを気にかけるとは)



リオンは髪をかき上げ、顔を歪ませる。



「じゃあブリジットはどうするんだよ!? あいつ、勝手に森に行っちまうぞ」

「大丈夫です。押してダメなら引いてやれって言うでしょう? 力だけじゃない。ぼくが戦いにおける知略の重さを証明してあげますよ」



リオンが笑みを浮かべた。





「これは!!?」



リオンたちはラブロンの森の奥深くにあるゴブリンの巣に突入し、その異様な光景を目の当たりにした。



「全部死んでいる……」



彼らが目の当たりにしたのは全て一撃で撲殺されたゴブリンの死体。


それはハイゴブリンも同じ。



(馬鹿な……あの傷でこんな……)



「おい、これみろよ!!」



盗賊職が発見したものを報告する。


「エルダーゴブリンだ。間違いない……」

「剣は? 剣はどこですか!?」

「いや、無いな……」



リオンは焦り始めた。

想定外。

そして、この結果を踏まえ、新たな仮説が脳裏に浮かんだ。



(クソ……! あの女、やはり生きて……このぼくをここまで煩わせるとは!!)




「ハハハ、やはりな」


リオンはぎょっとして振り返る。

ブリジットが高らかに笑う。



「師匠がゴブリンごときに敗けるはずがないからな」



リオンもマリアが生きていると確信した。



(確かにこの状況、マリアは生きていると考えるべきか)



だが同時に疑問も生じた。


(あの傷で巣を壊滅させたというのか? だが、なぜ今更? おれたちは何度も巣を襲撃した。どこかで傷を回復させていたのか? なぜ城に戻らなかった? なぜ巣を壊滅させた後も戻らない?……そうか)



考えをめぐらし冷静さを取り戻した。



「探しましょう。おそらくマリアさんは森のどこかで動けなくなっている」


リオンの提案にブリジットも異議は無かった。


岩場を出て、盗賊職が足跡に気が付いた。



「なぁリオン。本当にあの女生きてるのか? ゴブリンの死体は全部撲殺だった。それにこの足跡、マリアにしては大きすぎる」

「大方剣が無くてそのあたり棍棒で戦ったんでしょう。剣はエルダーが持っていましたからね。この足跡は偽装。我々が来ることを見越し、対策を打ったんですよ」

「なるほど……じゃあ、この足跡を追っても……」



リオンは不敵に笑みをつくる。



「失礼、ブリジットさん、いいですか?」

「なんだ? 何か見つけたのか」



ブリジットが駆け寄る。


「この足跡を追って下さい。マリアさんがいるかもしれない。我々はまずこのことをギルドに報告します。勇者の死が誤報だったとしたら一刻も早く世界に報せるべきですから」

「ああ、わかった。そちらは頼むぞ」



ブリジットを行かせ、リオンたちは城に戻らず周囲の索敵を始めた。



「くくく、怪我で動けないなら近くにいるはず。よく探しなさい。痕跡を完全に消す余裕などないはず」



リオンたちがマリアの亡霊を探している間、ブリジットは目立つ足跡と荷車の轍を辿り、あるものを発見した。


木でできた柵。


明らかに人の手による人工物。



ブリジットは安堵し、期待に胸を膨らませる。



「師匠……! 私です!!」



返答が無い。

はやる気持ちで柵を飛び越える。

すぐに黒い刀身の剣を発見した。



「あ、あれは……」



それは地面に突き刺さっていた。

見ると、その剣が刺さった周辺には石が積まれ、花が供えられていた。


現実を見て、彼女の眼はそこにあるものをありのまま映した。



一度見た期待と幻想。

それが揺らいだ瞬間、ブリジットはたまらない喪失感に身体の力を失った。



周囲を見渡す。

あちらこちらにある足跡はマリアのものではない。

ならばもう一人がいる。


そのもう一人があの墓を建てたことに疑いようは無い。

大きい足跡が一人分しかない。



「師匠!! 師匠―!! マリア先生!!」


ブリジットは叫び、探し回った。


その叫び声は周囲の魔物を呼び込んだ。


ベアウルフが柵を飛び越えてきた。



「邪魔だぁぁぁぁぁ!!」



ブリジットが腰から剣を抜き、振った。


巨大な狼の首がはじけ舞い上がり、巨樹の高枝に引っかかった。



「うそだ。師匠が死ぬわけがない」


怒りのはけ口は次々に現れた。


「嘘だ、嘘だ!!」



ブリジットは頭に浮かぶ不安をぬぐうように、迫りくる魔物たちを斬りまくった。



「嘘だ!!」



振り回した剣が初めて空を斬った。

土煙が舞う。



「―――何?」



ブリジットはふと我に返り、距離を取った。



「『何?』はこっちのセリフです。お嬢さん」



ブリジットは背筋が凍った。



「お、オークがしゃべった!!?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る