9.サヨナラの代わりに―――ゴースト
体格はドドに劣るがゴブリンにしては巨体。
顔つき、肌の色、筋肉の付き方、骨格まで通常個体とは異なる。
その禍々しい姿は緑の鬼。感情の飛んだ猛禽類や爬虫類のような眼をしている。
「ドド、君の機動性なら十分逃げられる」
「いや逃げん。逃げられない理由ができた」
マリアはため息をつきながら悲しそうに笑った。
「なら、ガンバって!! 勝ったらご褒美にチューしてあげる」
「なら勝たないとな」
ドドは呼吸を整え進んだ。
一体どれだけの数の冒険者がこのエルダーゴブリンの餌食になったか。
剣は万能な武器だ。
外へ突き、中で薙ぎ、内においては鍔や石突きで殴ることもできる。
できることが無限にある。
そのため習得に時間がかかる。見様見真似でやってもバランスをとれず致命的な隙を生むだけだ。本能に任せても単調な動きを生むだけ。動きながら振れば剣先はブレる。
剣術と言う複雑なステップと、目まぐるしく変わる視界で対象を把握するには長い鍛錬を必要だ。
このエルダーゴブリンは35年の間に48人の冒険者を斬ってきた。実戦で錬磨することでその剣筋も研ぎ澄まされていた。
(正しい握りだ。それに長い獲物を構えているのに体幹がズレていない。相当振ってきた証拠だ)
放浪時代、斧牛陸大は西洋武術家と何度か対戦したことがある。自称研究家のその人物は丸腰の陸大相手に本気で切りかかってくるサイコパスだったが、その剣術は本物だった。
その時の経験がドドに状況の不利を告げていた。
剣術を体得した者には武術・格闘技のほとんどが効かない。
採用できる動きが一気に減り、動きが狭まる。
少ない可能性に賭けるしかない。
(勝負は一瞬。最初に決めないとおれは死ぬだろうな)
エルダーゴブリンはゆらりと刀身を揺らし、剣の出所を探らせなかった。
柔軟な両腕のなめらかな動き、それに呼応する体重移動、ぶれない上体。
にじり寄り、ドドをその間合いに捕らえた。
音を置き去りにして剣閃が走った。
「ゴギョ?」
一瞬のうちにエルダーゴブリンの身体が浮き、地面に叩きつけられ、その無防備な顔に踵が降りかかった。
いくら魔力で護られた強靭な肉体でも一たまりもなかった。
「ふう……よし!!」
「まさか……一撃」
マリアは目を疑った。
一流の冒険者でも苦戦するエルダーゴブリンを初対決で、しかも魔力もなく、武器も装備しないまま倒してしまった。
「言っただろう、投げるのは得意だと」
「あはは、陸上にそんな投げ方ないでしょ? なに、レスリング?」
「無刀取り。新陰流剣術だったかな?」
斧牛陸大への挑戦者が渋滞するとき、自然挑戦者同士を戦わせ数を減らす。その時、印象に残った技はドドの頭に残っている。
相手の振り下ろしを下から押え、低く懐に入り込み、股から担ぎ上げ投げる。
(剣の柄頭をキャッチしてた。オークの反射神経じゃない……それにまるで相手の動きを予知したかのような動き)
ドドはこの技を決めるため準備と工夫をした。
魔力で強化されたこの世界の生物に対応するには反射神経を取り戻す必要がある。
オークの反応速度は最速でも1.5秒前後。
人間と大差ないか、やや遅い。
対して陸大は最高0.6秒。短距離走のスタートは毎回フライングになるほどだった。
この短期間、ドドはマリアとの訓練でオークの身体を順応させてきた。
順応したのではない。オークの身体の方を前世の性能に近付けようと意識した。遺伝子の変化を意識的に引き起こした。
その結果、オークではありえないほどの反応速度を手に入れた。
さらにエルダーゴブリンの剣筋を目線と体重移動を駆使して頭部への振り下ろしへと誘導した。
ドローイングと呼ばれる技術で、多くの実戦的武術で使用される。
エルダーゴブリンは剣の柄を離す暇もなく、顔を吹き飛ばされた。一瞬で勝負がついた。
◇
残りのゴブリンを掃討し、巣を攻略したドド。
「さすがに疲れたな」
「一流冒険者10人分も働いてそれが感想かぁ。恐れ入ったよ」
「さて、約束のものをいただこうか」
ドドは頬をつつく。
「ええ~やだ~。こんな血生臭い場所でなんて!!」
わざとらしく恥じらって見せるマリア。
二人は巣の中で隠れるゴブリンを探すうちに様々なものを発見した。
冒険者から奪ったと思われる武器や防具。道具類。
ゴミ溜め。骨の山。
「人骨も混ざっているが、全て供養するのは難しそうだな」
「君は優しいね」
「どれだ?」
「……さぁ。探さなくていいよ」
「そうか」
行商から奪ったのか、宝飾品や大量の布が積んだ荷車もあった。
その中から布を取り、荷車を直した。
ドドは頭骨だけを布でくるんで運び出した。
そのドドの頬に、柔らかなぬくもりが触れた。
振り返るとそこにマリアの姿は無かった。
胸にかつてない痛みを感じた。
「参ったな。随分ハートに堪えるキスだ」
骨をゴブリンの巣から遠く離れた自分の拠点まで持ってきた。
穴を掘り、骨を埋めた。石を積んで塚とした。
供えた花の中に黒い刀身の剣を納めた。
「さようなら、マリア。今までありがとう」
マリアの墓の前でドドはしばらく手を合わせていた。
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