8.蹂躙する者―――オーク

 ゴブリンの巣の前に立ちふさがるマリア。



「こんなことだろうと思った」

「マリア」



 マリアは剣を抜いた。

 宇宙を押しとどめたような黒い刀身。最も固い鉱石アダマンタイト鋼で打たれた両刃の長剣。


「ここから先は君にはまだ早い。いずれ魔力を獲得する方法も分かるかもしれない。急ぐ必要はないんだよ」

「魔力を得てどうする? おれが理性を保てる保障なんてないんだ。魔物は魔力で進化する。進化しては人間から遠のく」

「私は力を貸せないよ。でも時間を味方にすれば、安全に先に進めるかも」



 マリアの顔にはいつもの屈託のない笑顔がない。

 この世界の真実を知るがゆえ、この先に何があるのかを知るがゆえに。


「ドド、ごめん。話していなかったことがあるの」


 マリアはドドに召喚の儀について話し始めた。



「あなたは確かにハラスの魔力に当てられてそんな姿にされた。でも。召喚の対象者としてあなたを選んだのは私なんだ」


 彼女が召喚される前、すでに斧牛陸大の名は全世界に轟いていた。

 彼女が召喚されたとき持っていたスマホには斧牛陸大の画像データがあった。アイコンやスタンプに使われるほど有名だったのだ。


 彼女は聖女ミーティアから候補者を聞かれたとき、斧牛陸大しか思い浮かばなかった。



「あなたをそんな姿にしてしまった責任が私にはある。だから、ここで死なせたくない」

「そうか……勇者の力でおれの正体がわかったというのは嘘か。確かに今にして思えば、変だったけど」

「騙していてごめんなさい」



 ドドは頭を下げたマリアに声をかけた。


「おれは覚えていないが、了承してこちらの世界に来ることを選んだんだろう? なら気にする必要はない。こんな姿になったのは不本意だが、何だか前よりずっと人間らしくなった気がするんだ」



 ドドは続けた。



「おれは戦いが嫌いだ。挑まれ続けてうんざりしてた。でも、彼らから学んだこともある。挑戦者の姿勢だ。おれはおれが負かした彼らの姿勢を見習う。自分より圧倒的に強い者に立ち向かう勇気、気迫、心。それが今のおれに必要なものなんだ」



 マリアは身動きができなかった。



(この覚悟。これが『大和の荒神』。この人の強さの源は生まれ持った身体というより、この精神力)



 才能を持ち、努力を知らない、怪物。

 それが斧牛陸大の世間の評価だった。

 世間の評価が間違いだとマリアは確信した。

 才能だけではこの心の強さは説明がつかない。



 都合3千を超える真剣勝負をこなしてきた斧牛陸大。

 そこで培われたものは多い。




「準備はした。挑戦する」

「わかった。もう私が言うことは何もないよ」





 ◇





 ゴブリンは夜行性で昼間は寝ている。

 ドドは岩場の間で門番をしているゴブリンに近づいた。


 あまりにも堂々と現れたためゴブリンたちは虚を突かれた。



「寝ぼけているか」



 あっという間にゴブリンの間合いに入ると、ジャブでその矮躯を吹き飛ばした。

 頭部が弾け、胴体が後方に二回転した。


 同じ動きを三回し、門番を制圧。



 その手際の良さに、マリアは訓練の時感じた違和感の正体に気が付いた。



(やっぱり……この人習得しているなんてものじゃない……この短期間でマスターしている。あらゆる格闘技を)



 斧牛陸大のボクサーとしての記録は無い。

 しかし、今しがた見たジャブはボクサーの、それも超一流の動き。



 肩口から予備動作なく、ノーモーションで放たれる閃光のような左拳。

 反復により身体にしみ込んでいなければできない芸当だ。ドドはトレーニングにより、見様見真似から本物を身に着け始めていた。




 ドドは不用意に中に入らなかった。



 岩宿は道が狭い。

 オークの身体は不利だ。


 静かに倒しても異常に気が付いたゴブリンは様子を見に外に出てくる。

 それを繰り返す。



 やがて異常に気が付いた大群が狭い道から飛び出してくる。


 だが何匹いても飛び出した瞬間、ジャブで狙い撃ちされ、後ろに回ることは適わない。



「お見事だね。体力は大丈夫そう?」

「少し休むか」



(強引にいかない。自分から仕掛けたことないって言ってたけど戦い慣れてる)



「襲撃に慣れてるね」

「まぁ、時には相手の陣地に乗り込むこともあったし」

「やってるじゃん!」

「ああ、それは自分のためじゃないぞ。人助けの一環で、マフィアとかテロリストとかが相手の時もあったから。人命救助、緊急事態の時だけ」

「うえ!?」



 マリアが想像していたのはSNSなどで見た格闘家や武術家との一騎打ち。

 しかし、全く別のフィールドで、より過酷な戦いをしていた。



(そうか、これが一番の違和感だった。この人の対武器に対する反応の速さ、受けのうまさは実戦で、たぶん銃火器を相手に培われたもの……だとしたら魔法なんて。そして一体多数を想定して動けるこの実戦経験が成せる冷静さ)



 ゴブリンたちは前が次々と倒されて引き返し始めた。

 そこで初めて中に入った。


 岩の切れ目にできた道は足場が悪い。

 でこぼこした道。無数の曲がり角。

 ゴブリンたちは待ち伏せを仕掛けた。

 敵は狭い道で身動きが取れない。

 弓なら絶対に当たる。


 数匹のゴブリンが弓を構えて飛び出した。



「ゴギョ?」



 目の前にオークが見当たらない。

 ドドは単細胞なオークでは無い。それをゴブリンたちは学ばなかった。



 オークは上から攻めてきた。



 待ち伏せしたはずのゴブリンたちの方が虚を突かれ、あっという間にその拳の餌食になった。



「巨体に似合わず身軽だよね、ドドって。それも襲撃で身に付いたの?」

「いやぁ? おれは陸上十種の選手だったんだぞ。走る・飛ぶ・投げるは専門だ」

「いや投げるは関係ないし」

「まぁ、フランスにいた時よく絡んできた男がこういう動きを使ってたんだ」



(フランス……もしかして、パルクール!?)



 フランス発祥の移動術。

 ビルからビルへと止まらずに飛び回り駆け上がる技術。


 ここは閉鎖された洞窟ではない。

 岩場の隙間にできた道だ。


 当然、壁も岩であり、登れる。



 ドドはフランスの市街地でからんできた青年を思い出す。



 彼はサバットというフランス式キックボクシングを習得していた。この競技では蹴りに様々な制約があり、膝や踵、脛などは使えない。靴を履いたつま先でのみ蹴る。


 しかしこの男はそれらの誓約を無視し、さらにパルクールを応用して技を繰り出した。

 人は頭上からの攻撃には無防備。そこを三次元的な動きで狙う蹴り技は強力で、斧牛陸大も面食らった。

 彼は陸大に勝つためにこの戦法を一つの流派のように洗練し、幾度となく陸大に挑戦し続けた。


『リクダイ、お前を倒しておれは有名人になってリッチになるんだ! だからおれに敗けろ!!』



 青年の名はパトリック・ティリ。ナイジェリア系移民のフランス人。



(あいつ、アフリカまで付いてきてたっけ。おかげで動きを覚えてしまったよ)



 道なりに進まず上へと昇ったドドはゴブリンたちを翻弄し、確実に屠っていく。


 まるで羽根が生えたように空中を舞い、その間に3、4体を一瞬で蹴り殺した。



 ゴブリンたちはパニックだ。

 拠点に入り込んだ敵に対し、これまで何度も優位に運んだ戦略が通用しない。


 情報もない。

 敵に遭遇した前衛部隊は一匹も戻らない。



 完全に恐慌状態に陥ったゴブリンの巣。

 その中で一匹だけ異質な個体が存在した。

 この個体はドドの侵入に際し、散らばっていた兵隊を中央の開けた場所に呼び戻した。

 敵を把握すること。

 そして包囲するにはこの場所が最適だと理解していた。



 狭い道に待ち構えるゴブリンがいなくなったことでドドはゴブリンたちが待ち構えている広場にたどり着いた。



 そこに長剣を携えたゴブリンが現れた。



(こいつは他と違う……! いやこの剣はさっき―――)



「ドド。これがエルダーだよ」





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