第9話 メイドが泣いた日

 上空の光はさらに大きくなり、駐車場からアパート全景、さらに周囲の民家全てを包んでいった……そのとき、


「はい、もしもし、」

 ビーチェのスマホがコールした。


 ……って、おい。スマホあるじゃないか!


「は? 貴公の仰る意味がわかりませんが……はぁ、はいはい……えぇぇぇッ!!!」


 メイドの驚愕。


 なにか善からぬことが起きている。

 そう、直感した。 

 だってトラブルをむしろ嬉々として楽しんでいた、このいかれメイドが目を白黒させ、口を半開き慌てる姿に──俺は全身の血の気が引いた。


 両親を見る。

 ふたりとも困惑しているようだ。なんだ、なにが起きた。


「皇帝派が全面降伏しました」


「……それは、どういう?」


「共和派に白旗をあげたのです。アジトに隠れていた同胞も反逆罪で全員逮捕。この電話先の皇帝派議長もこれから投降するそうです……うぅ、うっ」

 異世界って電話が通じるのかよ、とツッコミ入れる気にもならないほどに勝ち気だったメイドは項垂れていた。


 ビーチェは肩を震わせ泣いた。大粒の涙がぽろぽろと滴り落ちる。

 膝を曲げ、そのまましゃがみ込む。両手を地面につけて悔しそうに口を噤み、声を押し殺して泣いていた。



「共和派が政治の全てを掌握していましたから危惧してはおったのですが──」

 父さんが静かに語る。

「──あ、ちなみにあれはスマホではなく特殊な通信装置です」

 俺のほうの困惑は一言で片付けた。



「ビーチェさま、」

 母さんが泣き崩れるメイドの肩に手を触れると、優しく囁きかけた。


 ビーチェは母親に甘える幼子ように抱きつく。

「そのひとは俺の母さんだが……」と狼狽気味に、恨めしげに見ていたら「殿下、わたしの胸は空いておりますぞ」と父さんが手を広げた。

 全力で断る!



「正直、俺にとっては他人事なんだよ。やっぱり、こっちの世界が俺の住む世界だから」


「殿下のお気持ちはわかります。ですが、これは大変なことになりました」

 父さんは目線を落とし心配そうに呟いた。


「どういうことさ?」


「先程のように……いや、これから先はもっと多い頻度で刺客が送り込まれてくるでしょう。連中はダ・ヴィスコンティの血筋を根絶やしにするつもりです」


「俺には帝国再建なんて野望はないぞ」


「それを素直に信じるような連中ではありません。共和派は見せかけの民主主義を騙る集団独裁体制です。殿下の言葉より政治が優先します。『帝国主義禁止』という法を作れば、それに向かって邁進します。止まることはありません」



「ご心配なく。わたくしビーチェ・アルファーノが皇子を護ります」

 母さんに支えられながらも、白きメイドは気丈に立ちあがった。


「これ以上関われば、おまえも殺されるぞ」


 俺の言葉に微笑む。

 いつもの不敵な『にんまり、』ではなく、それは天使を連想させる柔らかな笑みだった。


「皇后陛下がギロチンにかけられる直前に、託された言葉をわたくしは忘れません」


「皇后?」


「あなたさまのお母上は、群衆に紛れるわたくしに聞こえる声で叫ばれました。ロターリオをお願い、と」



「ロターリオ殿下、」

 母さんが語って聞かせてくれた。


「皇帝さまも皇后さまも臣民のために尽力された尊い方々です。それなのに共和派は難癖をつけ皇室に入り込み、やがて政治を乗っ取りました。おふたりは衆人観衆のなかギロチンにかけられたのです。まともな裁判も行われず、弁護士すらつけることを許されず、一方的に首をねられたのです。人間の理性だけで理想的な社会を構築できると奢った共和派の──これが連中がいう民主主義の正体です。あの日から我々の怨讐は始まりました」


「そんなことが……」



「殿下、」今度は父さんが話をつなげる。

「我々が残っている限り、皇帝陛下の意思は潰えておりません」


 ……だから俺の命は狙われる、という言葉を飲み込んだ。


 どのみち俺をギロチンにかけたくてウズウズしている頭のおかしい集団がいるようだ。

 共和派とやらを倒して帝国を再建するか、あるいは一生涯刺客から逃げ回るしか選択肢は残されていない。


 ったく、なんて運命だ。この間まで、一介の高校生だったのに。

 頭上の光の玉はいつの間にか消え去り、秋虫の鳴く声が耳に響いていた。

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