第7話 帝国の白い悪魔

「たーっ!!!」

 母さんがモーニングスターなる鎖鎌くさりがまを投げつけた。


 一日を掃除と洗濯、俺と父さんの飯作りに奔走する四十代の専業主婦であった星野真理恵まりえが鎖鎌を器用に操る。真っ黒うずまきから抜け出そうともがいている黒モジャモンスターへ鎖が巻きついた。


「ぐがぁぁぁッ!」

 明らかに肉食獣と一見してわかる大口を開いて咆哮する。


 巻きつく鎖を、ぐいっと力を込めて真理恵は引っ張る。

 母さんが力仕事をしている姿をこれまで見たことは無いと思っていたが──中学に上がったばかりの頃だったな。土手を歩いていて落ちそうになったとき、片手だけで襟首を掴んで助けてくれた。

 俺は猫のように両手足を縮めて母の愛に感謝した。


「このアマンダが扱うモーニングスターからは、何者も逃れられないわよっ!」


 母さんはデパート屋上のヒーローショーのようなポーズでどや顔をきめモンスターに叫ぶ……真理恵さん、やっぱり俺の知ってる母さんじゃない。

 と、泣きそうになるのを堪えていたら「グレートアックス!」と、今度は父さんがこれまで聞いたことのないような雄叫びをあげた。


 個人商店の小さな会社で経理を担当している生真面目きまじめなだけの男……だったはずだ。

 係長に昇任したとき、母さんとこっそりケーキを買って帰りを待ち伏せた。

 県営アパートの一室。テーブルにぽつんと置かれた小さなイチゴケーキに『お父さんおめでとう』と書かれた文字をみて親父は、大人げなく声を出して泣いてくれた。

 そんな情に脆く心優しい父親だった。


 それがだ、モンスター相手に自身の身の丈もあろうかという巨大な両手斧を振り回している。


「ひゃっはぁッ!」

なにか吹っ切れたように満面の笑顔で黒モジャモンスターへ斧を叩き込んだ。



 飛び散る鮮血。泣き叫ぶ黒毛の怪物はドッと音を立てて倒れ込んだ。



「ほお、これが世に聞く『夫婦の共同作業』ってやつですか」

ビーチェが感心したように呟く。


「ウエディングケーキの入刀作業じゃねぇ」



「まだだ、まだ終わってない」

 父さんが呟く。

「ええ、新手あらてが来るわ」

 母さんが応じる。


 レジ付近の黒いぐるぐるが突然大きくなった。

 出てきたのは多数の人間。黒装束の兵士だった。

 手に細身の剣を持ち、動きは俊敏だった。


 あ、やばい。これは殺される。直感した。



「この帝国主義者ども、覚悟しろ!」

 黒装束のひとりが怒鳴った。ていこくしゅぎしゃ?



 だがビーチェはにんまり嗤う。

 最初にみた、青白い月光のもとで見せた、あの冷酷な表情だった。


「ようやく現れましたね、待ちくたびれましたわ」

 ビーチェは軽くステップでも踏むように黒装束軍団に突進していく。日本刀をひらり、と振り下ろした。


「ぐわぁぁッ!」


 黒装束の一人が野太い声をあげて倒れた。

 宙に舞う鮮血を吸うように日本刀は空を一回転する。ビーチェの白い顔に赤い液体がかかる。にへらぁ、と嗤うや再び空中でステップ。上段の構えから一気にたたき落とすと人間の頭がスイカのようにパックリ割れた。

 噴水のように真っ赤な血が吹き上がった。


「さぁ、もっと楽しみましょう」


 強い──と、いうより一方的な虐殺だった。

 ビーチェの立ち回りに翻弄される黒装束軍団はやがて、悲鳴をあげながらちりぢりに逃げ回る。


 コンビニ店内を逃げ回る黒い鼠と、それを楽しそうに狩っていく白い猫。

 肉が切られ、腕と脚が落とされ、黒いフェイスマスクを剥ぎ取ると目玉をくり抜く。

 死者に対する尊厳すら嘲笑に沈める白き衣を纏った──それは悪魔だった。


 既に死んだ仲間の躰が弄ばれる姿に鼠たちは泣き叫び、嗚咽し──恐怖が支配する空間。排水できない真っ赤な血液が見慣れた日常世界に貯まっていく。壁も天井も赤く染められていく。



「もう、やめろよ。だめだ、こんなのは!」

 俺はビーチェの背中に飛びかかると、日本刀を持つ右手を押さえた。


「皇子、気が触れたかッ!」


「それはこっちのセリフだ!」

 暴れる戦闘メイドの右手首を握りしめながら「バカ野郎、相手は人間なんだぞ!」と叱りつけた。


 その隙に黒装束らはもと来た黒いぐるぐる渦巻きの中へ逃げ帰る。

 すぐに店内は静けさを取り戻した。無彩色に凍った色味も元通りになる。不思議なことに殺された遺体も、床を覆っていた血の海も、綺麗さっぱり無くなっていた。




「皇子、どういうことですか!」


 おもちゃを取り上げられた悪ガキのように激高するビーチェは、敵が消失し混乱する剣先を俺へ向けた。


「なりませんッ!」

 父さんが正面に、ビーチェとの間に割って入った。


「皇太子殿下に剣を向けるなどあってはなりません」


 父さんの怒りにかぶせるように、母さんも「刻を誓い合う仲ではありませんか、ビーチェさま」と意味不明なことを口にする。


 ビーチェの青い瞳をジッと凝視する。剣を向けられても不思議と恐怖は感じなかった。それ以上に『怒り』が勝っていたのかもしれない。

「俺はキミが簡単に人を殺すような子であって欲しくない。俺の戦闘メイドだと言ったよな、俺のために異世界から来たと。ならば、なおさら自重して欲しい」



 それを受けてか、狂気にかられたメイドの表情が穏やかになった。

「まったく、こんなのが……」


 最後の言葉を飲み込みながら日本刀を背中の鞘におさめる。

 その表情は困り顔ながら、それでも口元には微笑が浮かんでいた。

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