2.慌てず騒がず急げ!

 カエデたちの学校に、シャドウが出現したのと同じ頃。

 ガトーは、焦る心を抑えながら全力疾走していた。

 黒猫が街中を、自動車並の速度で失踪している。だというのに、道行く人々は誰も気が付かない。

 ガトーは、既に姿を消していたのだ。

(姿隠しの能力は上手く働いてる。――それなのに、「跳躍」ができない!)

 ガトーは「神様」から、様々な能力を与えられている。「跳躍」もその一つだ。

 「跳躍」は、簡単に言うとテレポートやワープ――つまり、離れた場所に一瞬にして移動できる能力だ。

 けれども、今はその能力が上手く働かなかった。

 玉倉の街全体におかしな力が働いていて、何度試しても「跳躍」できないのだ。


(これは、まさか。「悪魔」に妨害されている?)

 未だ姿を見せぬ「神様」の敵である「悪魔」。

 人々に悪い心を植え付けシャドウを発生させる、謎の存在。

 今まで裏で動いていた「悪魔」が、いよいよ表だって動き出したのかもしれない。

 カエデの学校に、突然シャドウの気配が大量に現れたのが、その証拠だ。

 明らかにカエデを狙っているように思えた。

 ――ガトーがいないと、カエデにはシャドウと戦う力がないことも、バレているようだ。


(カエデ……どうか、無事でいてくれ!)

 心の中で強く祈りながら、黒猫ガトーは地面を蹴る脚に力を込めた。


   ***


 一方、カエデはガトーの到着を待たずして、シャドウに立ち向かうことになっていた。

 学校の一階に辿り着くと、既にそこかしこの教室から一年生たちの悲鳴が上がっていた。

(まったく! 先生たちは何をしているのよ!)

 時刻はまだ八時半より少し前。先生たちは、職員室にいる時間だ。それは分かる。

 けれども、校庭に五体ものシャドウが現れ、今まさに一年生たちが悲鳴を上げているのに、それに気付かないとは、どうしたことだろうか。

 職員室は、一年生の教室と同じ一階にある。むしろ、カエデよりも早く駆けつけているべきなのに。


 そのまま、手近な教室を覗き込み、カエデは言葉を失った。

 窓の外に、大人の二倍くらいはありそうなシャドウが、べったりと張り付いていた。

 まるで、教室の中を覗き込むように、だ。

 一年生たちは、突然現れた化け物の姿に、どうしていいか分からず泣き叫んでいた。

 中には、おしっこを漏らしてしまっている子もいる。

 無理もないだろう。カエデだって、シャドウの不気味さには、いつまで経っても慣れないのだから。


 とはいえ、シャドウは壁や窓をすり抜けたりは出来ない。

 物を壊すこともできないので、窓が破られる心配もない。

 逆に言えば、窓に張り付いて見ているだけの状態の時は、むしろ安全なのだ。

 この機を逃す手はなかった。


「みんな落ち着いて! あの怪しい奴は、窓を開けて入っては来られないわ! ゆっくり、窓から離れて! ほら、この前の避難訓練でやったでしょ? おさない、かけない、しゃべらない、もどらない! 『おかしも』を思い出して、慌てないで逃げるのよ!」

 突然現れた上級生の姿に、一年生たちは一瞬だけ、更に怯えた様子を見せた。

 けれども――。

「あ! カエデおねーちゃんだ!」

 一年生の女子の一人が、カエデの名前を呼んだ。なんとなく見覚えがある。

 少し前に、一年生と六年生の交流授業というものがあった。その時にカエデとペアを組んだ女の子だった。

 ……カエデは、その子の名前も覚えていなかった。けれども、あちらはちゃんと覚えてくれていたらしい。


「そうよ! アタシは六年生の浅利山カエデ。お話したことがある子も、何人かいるわよね? ――よく聞いて! あの黒い変な奴は、悪い奴なの! だから、落ち着いて、『おかしも』を守って、四階まで逃げるのよ! それで、六年生の他のお兄さんお姉さんに、助けを求めるの! できる!?」

『は、はい!』

 バラバラながらも、一年生たちからはある程度素直な返事が返って来た、

 すぐに学級委員らしい女の子と男の子が、率先して教室から抜け出して、逃げ始める。

 他の子たちも、段々とそれに続く。


(よし! このクラスはこれで大丈夫そうね。他のクラスも回らないと!)

 言いつけ通り、走らずにゆっくりと逃げ出す一年生たちを見送りながら、カエデは他の教室に向かった。

 ――他のクラスも同じような状況だった。

 先生はまだ来ていなくて、窓の外には大きなシャドウの姿。一年生たちは完全なパニックになっていた。

 カエデは最初のクラスと同じように、まずは一年生たちを落ち着かせると、避難するように呼びかけた。

 先日に避難訓練をやったお陰か、殆どの子はカエデの言いつけ通り、避難を始めてくれた。

 中にはぐずる子もいたけれども、周りの子が面倒をくれていたので、恐らくは大丈夫だろう。


(これで一年の四クラスは全部回った! 結局、先生たちは来ないし! まったく、頼りにならないんだから!)

 「おかしも」を守りながら、逃げ出す一年生たち。その姿を見守りながら、カエデは先生たちに腹を立てた。

 ――だが。

(……あれ? でも、もう八時半を過ぎている? それなのに先生が誰も来ないのは、流石におかしくない?)

 そう。教室の時計の針は、既に八時半を過ぎている。

 何事も無ければ、担任の先生たちは、とっくに教室に来ていなければならない時間だ。

 ということは。

(職員室で、なにかあった? ……そう言えば、教室の外に張り付いてたシャドウは、クラスの数と同じ四体。……残り一体は、まさか!?)


 その時、どこからか一年生たちの悲鳴が上がった!

 カエデが慌てて駆けつけると、階段の辺りで何人かの児童が立ち往生していた。

 彼らの視線の先には――シャドウがいた。それも一体だけではない。何体も何体も。

 廊下の向こう側から、うじゃうじゃと湧いて出てきていた。

(……向こう側にあるのは、職員室! やられた!?)

 カエデは自分のうかつさを呪った。

 一年生たちを助けることに気を取られて、先生たちが襲われる可能性を、全く考えていなかったのだ。


(そういえば、ガトーが言ってたじゃない! 職員室には「シャドウの予備軍」がいるって!)

 昨日のガトーの言葉を、今更になって思い出す。

『先生って、結構ストレスの多い仕事だからね。誰か心を病んでる人がいるのかもしれない』

 もし「悪魔」が狙う人間が、マミルの様にストレスを抱えている人間なのだとしたら。

 次に狙われる可能性が高かったのは、その「誰か」だったはずだ。

 カエデは、「大人だから大丈夫だろう」と、無意識の内に思ってしまい、その可能性を排除してしまっていたのだ。


 そうこうしている間にも、シャドウは数を増し、一年生たちに迫りつつあった。

 恐らく、職員室の中でシャドウが発生し、朝の打ち合わせをしていた先生たちが、逃げる間もなくシャドウの餌食になったのだろう。

 シャドウは人間を襲い、悪い心を植え付ける。

 悪い心を植え付けられた人間からは、更に新たなシャドウが生まれる。

 人間が密集している場所では、恐ろしい速さでシャドウが増えていくはずだ。

(職員室の先生って、何人いたっけ?)

 現実逃避気味に、そんなことを考え始めるカエデ。

 けれども、その足は止まらず、一年生たちを庇うように、シャドウの前に立ちはだかる。


(あはは。アタシって、こんな、子供を庇うようなキャラだったっけ?)

 そんな自分の行動が信じられず、カエデは心の中で苦笑いを浮かべた。

 迫るシャドウ。

 泣き叫びながら、遂には「おかしも」を破って滅茶苦茶に逃げ惑う一年生たち。

 シャドウが薄っぺらい体を震わせ、触手のような腕を伸ばす。

 全ての出来事が、カエデにはまるでスローモーションのように感じられた。

 ――その時。


「待たせたね、カエデ! よく頑張った!」

 一年生たちの悲鳴がパッと止まり、代わりに聞きなれた声が廊下に響いた。

 見れば、一年生たちは逃げ惑う姿勢のままで、固まっている。時間が停止したのだ。

 ――そのただ中から、黒猫のガトーが姿を現した。

「お、遅いわよガトー!」

「謝罪は後で。すぐに変身だ!」


 ガトーの体が眩い光を放ち、一瞬にしてカエデの全身を包む。

 腕を伸ばしていたシャドウが、その光に一斉に怯む。

 ――そして次の瞬間。

「いよーし! これでもう怖いものなしだわ!」

 光り輝く金属バットに、野球のユニフォームとヘルメットという、いつもの戦闘スタイルに「変身」したカエデが姿を現した!

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