6.浅利山カエデはお人好しじゃない!
――夕日が差し込む保健室。
カーテンで囲まれたベッドの上で、東緒方マミルは目覚めた。
「あれ? 私……どうしてベッドで寝てるの?」
「マミル! 気が付いたんだね!」
「カエデ……? あれ? 私最後に、教室でカエデと話してた気が……ううん、駄目。何も思い出せない」
「無理しない方がいいわよ。マミルったら、いきなり教室で倒れるんだもん! びっくりしたよ」
「えっ……? 倒れた? 私が?」
「うん。保健の先生が言うには、疲れがたまってたんじゃないかって。あ、先生呼んでくるね?」
そう言いながら、カーテンの外へと駆け出していくカエデ。
一方、残されたマミルは、狐につままれたような気持ちを抱いていた。
放課後、教室でカエデと何か話していたことは思い出せる。けれども、それがなんだったのかは、さっぱり覚えていない。
「疲れがたまっていて倒れた」と言われたが、正直そこまで体調不良だった覚えもない。
けれども――。
「あ、そうか。私、疲れてたんだ……」
そう認めることで、何故かマミルの気持ちがスゥっと楽になった。
担任の小林先生が学校に来れなくなってから感じていた――あるいは、それよりもずっと前から抱いていた、心の中のモヤのようなものが、少しだけ晴れた気分だった。
「あ、マミル。保健の先生、今職員室に行ってるみたい。もうちょっと寝てよ?」
「ううん。カエデ、私もう大丈夫だから……」
「だ~め! マミルはただでさえ、抱え込む方なんだから! 休む時はちゃんと休む!」
「……抱え込む? 私が?」
「そうだよ。クラスの連中が授業中に騒いでるのだって、教頭先生がちゃんと注意してくれないのだって、本当はクラスみんなの問題なのに、マミルが全部ひとりで抱え込んでくれてたでしょ? だから、疲れて倒れちゃったんだよ」
「あっ……」
自分の押し隠してきた悩みが、カエデにバレていた。
そのことに気付き、マミルは少しだけ恥ずかしくなってしまった。
てっきり、カエデは自分のことなど気にかけていないと思い込んでいた。
けれども、きちんと自分のことを見てくれていたのだ。
「ごめんね、マミル。アタシも、受験勉強あんまり上手くいってなくて、余裕なくてさ。マミルを手伝えなくて、本当にごめん!」
「そ、そんな。謝らないでカエデ……」
いきなり頭を下げてきたカエデの姿に、謝られたマミルの方が、申し訳なさそうな顔になってしまう。
「ううん、謝らせて! これからは、私もちゃんとクラスの仕事、やるから。周りの連中にも、ちゃんとやらせる。教頭にだって、みんなで文句言おう?」
カエデがそっと、マミルの手を握る。
その温かな感触に、マミルは心の中のモヤモヤが、どんどんと小さくなっていくのを感じていた――。
***
その日の夜。カエデは、「シャドウ退治の報酬」として、ガトーに勉強を教えてもらっていた。
驚くべきことに、ガトーの教え方は懇切丁寧で分かりやすい。今まで受け持ってもらった、どの塾の先生よりも教え方が上手だった。
「ガトー、アンタ本当に凄いわね。なに? 前世はカリスマ塾講師とかだったの?」
「前世って……。まあ、これでも神様の使いだからね。このくらいはできるのさ」
――ガトーの正体である大海原ミチルは、カエデの一歳上の幼馴染だ。
彼女に勉強を教えたことは、一度や二度じゃない。
だから、どう教えればカエデが理解しやすいかを心得ているのだ。
けれども、自分の正体がミチルだと、カエデに教えることはできない。
もし正体を知られれば、罰として神様に「一生黒猫の姿のまま」にされてしまうのだ。
「それに、凄いと言ったらカエデも凄いじゃないか」
「え、何が?」
「何がって、マミルさんのことだよ。彼女の心の不安を、あんな丁寧に解きほぐしてあげるなんて……感動したよ!」
あの保健室のやりとりによって、マミルの中の「シャドウの種」は一気に小さくなりつつあった。
カエデの思いやりある言葉の数々が、マミルを安心させた証拠だった。
これからもああやって、マミルの苦労を理解し、優しい言葉をかけ、時に手を取ることで、彼女のストレスは大幅に減っていくはずだ。
これなら「シャドウの種」も、そのうち消えてしまうことだろう。
「ああ、あれね」
「やっぱり、カエデは思いやり溢れるいい子だったんだね。僕は嬉しいよ」
おてんばだった幼馴染の頼もしい成長ぶりに、喜びを隠せないガトーことミチル。
だが。
「……はっ? いやいやいや。別に思いやりって訳じゃないわよ、あれ」
「えっ?」
当のカエデは、褒められて照れるどころか、逆に不機嫌になっていた。
「いい? ガトー。この際だから、はっきり言っておくけど……アタシはお人好しじゃないの。自分にメリットがないことは、絶対にやらないわ!」
「ええっ!? じゃあ、あれはマミルさんを心配してやった訳じゃないってこと?」
「そうよ」
しれっと。実にしれっと言ってのけるカエデ。
その表情には、少しも悪びれたところがなかった。
「これからも、マミルにはクラスの面倒事をどうにかしてもらわないと。でも、今まで通り丸投げしてたら、またシャドウが生まれちゃうんでしょう? だったら、適度にガス抜きしてあげないとね」
「ガス抜き」
「たまーに『あなたの苦労はちゃんと分かってるから』ってねぎらってあげたり、ちょこっとだけ手伝ってあげたり。あの子真面目だからね、それだけでも、ちゃんと感謝してくれるのよ? チョロいったらありゃしない」
「チョロい」
あまりにも上から目線なカエデの言い草に、ガトーはドン引きしていた。
カエデは友達を、一体なんだと思っているのだろうか?
「それにね。マミルが小林先生のこと好きだなんて、とっておきの弱みも掴んじゃったし! ふっふっふ、マミルには精々、私の役に立ってもらうことにするわ!」
「それじゃ悪役の台詞だよ!?」
(ああ、神様! あんまりです! カエデは昔は、ただちょっとおてんばなだけの可愛い女の子だったのに! いつの間にか、こんな悪い子ちゃんになってしまいました! どうしてこうなった!?)
たくましく育ちすぎた幼馴染の姿に、心の中で神様への恨み言を叫ぶガトーことミチル。
(――まあ、それはともかくとして)
しかし、嘆いてばかりもいられない。彼にはどうしても、気になることがあったのだ。
カエデの人格の歪みについては、おいおい考えていけばいい。
そう思い、サッと思考を「ミチル」から「ガトー」に切り替える。
(この広い玉倉の街で、よりにもよって犬山田小にシャドウが現れたのは偶然だろうか?)
玉倉市の人口は十五万人近い。犬山田小の児童・教員数は、それに比べれば遥かに少ない。
その少ない人数しかいない場所に、シャドウが現れた。まるで狙い済ましたように。
(もしや、「悪魔」はわざわざ、カエデがいる場所を狙った……?)
ただの考えすぎかもしれない。けれども、ガトーはどうにも嫌な予感をぬぐいきれなかった――。
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