5.真面目な人ほど溜め込みやすい!
シャドウの消滅を確認したカエデは、六年二組の教室へと舞い戻った。
マミルの無事を確認する為だ。
教室に入ると、マミルの姿はすぐに見付かった。カエデの席の近くで、仰向けに倒れていた。
「マミルを起こしてあげないと。ガトー、時間停止を解除してよ」
『……いや、ちょっと待つんだカエデ。まだ、終わってないよ』
「えっ?」
『変身中の君になら見えるはずだよ、彼女の心のよどみが』
ガトーに言われて、カエデはようやく気付いた。
うつぶせに倒れたマミルの胸の辺りに、何か黒いモヤのようなものが渦巻いていたのだ。
「な、なによ、これ」
『シャドウの種さ』
「シャドウの……種!?」
『ああ。シャドウは人の悪い心が形を持って抜け出したものだ。だから、普通はシャドウを倒せば、その人の悪い心は消えるか、弱くなるかする。でも……』
「でも、なによ? はっきり言いなさいよ」
『その人の心の悪い部分が、悪魔に植え付けられた物だけじゃなかった場合は別だ。シャドウを倒しても、こうして悪い心が残ることがある』
「『浄化の光』で消しちゃえばいいんじゃないの?」
『駄目だよ。「浄化の光」で消せるのは、悪魔に植え付けられたり増幅させられた悪い心だけだ。その人自身が元から持っていた悪い心は、消せない。時間が経って、またシャドウに成長するまでは、ね』
「えっ……。じゃ、じゃあ、どうすればいいのよ!」
時間の停止した教室の中に、カエデの絶叫が響いた。
「そもそも! マミルは優しくて真面目で気の利く、とってもいい子なのよ! そんな子に、シャドウを生み出すほどの悪い心があるなんて、信じられないわ」
『優しくて真面目、ね。カエデ、もしかして、そういう人には悪い心がないって、思ってるのかい?』
「えっ……? そりゃあ、マミルだってムカついたりすることはあるだろうけど、そんなの誰だってあるし……」
『カエデ。真面目で気配り上手な人ほど、他の人よりもストレスを溜め込んでいることだって、あるんだよ』
「ストレス……? マミルが?」
『さっき、シャドウが出現する直前に彼女が言っていた言葉を、覚えているかい?』
「えっ? え~と……なんだっけ?」
確かに、マミルの体からシャドウが出現する直前、彼女はなにやらまくし立てていた。
けれども、カエデは驚きと恐怖の方が勝ってしまって、その内容はよく聞き取れていなかったのだ。
『マミルさんはね、「委員長だからって、みんなが自分に面倒事を押し付ける」って言っていたんだ』
「ああ、そういえば、そんな感じのこと言ってたかも」
『僕は普段のマミルさんを知らないけど、何となく察しは付く。周りの人たちは、マミルさんが真面目で優しいからって、面倒事を押し付けたり、まとめ役をやってもらったり、していたんじゃないかな?』
「よく分かるわね。うん、マミルは仕切り上手だし、誰かがふざけていたらすぐに注意してくれるから、みんな頼りにしてたわよ」
『それだよ』
「それって……どれ?」
カエデはどうにも察しが悪かった。ガトーは珍しく、少し苛立たしげに言葉を続けた。
『だから、彼女が面倒事を解決してくれることを、当たり前だと思い過ぎてなかったかい? ってことさ。カエデ、マミルさんだって、面倒事に首を突っ込むのは、嫌に決まってるんだよ。決して好きでやってる訳じゃない』
「え、そうなの? てっきり、真面目だから当たり前のこととしてやってるんだと思ってた」
『……友達のはずの君がそれでは、マミルさんのストレスは凄まじかったことだろうね』
「な、なによ。私も悪いって言うの?」
『そこまでは言わないさ。でも、君にもできることが、あったんじゃないかな? さて――』
ガトーはそこでいったん言葉を切ると、大きなため息を吐いた。
カエデはそれに、「変身して服やバットになってるはずなのに、どうやってため息を吐いたんだろ?」と、場違いな感想を抱いた。
『カエデ。マミルさんの心の苦しみ、その一端を見てみるかい?』
「え、そんなことできるの?」
『変身した状態で、シャドウの種に触れると、その中身を少しだけ見ることができるんだ。友達のプライバシーを侵害することになるけど――』
「見るわ!」
即答だった。カエデは、この手の判断がいつも早い。
『よし。じゃあ、早速触れてみよう』
ガトーの声は、どこか嬉しそうだった。
***
カエデが、そっと「シャドウの種」に触れる。途端、彼女の心の中に、マミルの心の一部が入り込んできた。
――マミルは、小さい頃から他の子供よりも、周囲の気持ちや状況に敏感な子だった。
――他の子が、何も考えずに遊びまわって危ないことをしようとする度に、マミルはそれを未然に防いでいた。
――いつの間にか、「誰かがやらなければいけないこと」を、マミルは率先して行うようになっていた。
――けれども、周囲の人たちは段々と、「マミルがいればなんとかしてくれる」と思うようになっていった。
「なるほど」とカエデは思う。
例えば、教室で男子がふざけていて、周りの女子が迷惑しているけれども、怖くて注意できない時。
例えば、教室に大きなゴミが落ちているのに、誰もそれを拾わないで、掃除の時間まで放置されそうな時。
例えば、係の決まっていないクラスの仕事を、誰もやろうとしてくれない時。
クラスメイトは、決まって「マミルがなんとかしてくれる」と思いがちだった。
そして、「マミルは真面目だから放っておけないのだろう」と、彼女が喜んでやってくれていると、思い込んでいたのだ。
けれども――。
――マミルだって、本当なら面倒事には関わりたくない。
――でも、誰かがやらなければ、もっと酷いことになるから。
――気付いてしまったら、放置はできないから。
――本当は嫌で嫌で仕方がないけど、やらないで酷いことになったら、きっと後悔するから。
――本当に仕方なく、我慢して、やっているんだ。
ようやく、カエデはマミルの本心を知った。
マミルだって、面倒事を片付けるのは、本当は嫌で嫌で仕方がなかったのだ。
そこでふと、カエデは思い出す。
学級委員の仕事だって、そうだ。
委員を決める時、誰もやりたがらないので、学級会が長引いてしまいそうだった。だからマミルが、仕方なく立候補してくれたのではなかったか。
――先生も友達も、誰も手伝ってくれなかった。
――マミルだって、一人で面倒事を片付けるのは、大変なのだ。
――でも、みんな「マミルに任せれば大丈夫だ」って、手伝ってはくれなかった。
――できの悪い子や、悪いことばかりしている子には、先生はあんなに時間をかけて対応してくれるのに。
――「マミルは一人でもできるから」って、誰も手伝ってはくれなかったのだ。
――でも、「あの人」だけは。
――「あの人」だけは、言ってくれた。
――「マミル、あまり一人で抱え込むなよ」って。
突如現れた「あの人」という謎の人物。
けれども、その答えはすぐに分かった。
――五年生の時から、担任になってくれた小林先生。
――ちょっと頼りないけど、優しくて。マミルの辛さに気付いてくれて。
――マミルは小林先生が、大好きだった。
――なのに、伊藤のヤツが先生に病気を移して……。
カエデは、「シャドウの種」から、そっと手を放した。
もう、これ以上は、他人が知ってはいけない領域の話になりそうだった。
「……マミルが、こんなに抱え込む子だったなんて」
『真面目な子ほど、こうやって溜め込むものさ。大人も周囲の人も、「あの子は真面目だから大丈夫」って、放っておくんだ。同じ子どもなのにね』
「ねぇ、ガトー。アタシがマミルの為にできることって、何かないのかな?」
『……そう言うのを、待ってたよ』
ガトーの声は、やはりどこか嬉しそうだった。
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