4.このシャドウ、強すぎる!
『ああ、アアアアアアアアアアッ!!』
マミルの絶叫が、エコーの利いたマイクを通したような、不自然な声に変わっていく。
と同時に、彼女の体から何か黒いものが、剥がれ落ちるように出現した。
――シャドウだ。
「シャ、シャドウ!?」
「彼女から離れるんだ、カエデ!」
ガトーの声が教室に響く。けれども、カエデの体はピクリとも動かなかった。
彼女は、友達の体から現れたシャドウの、あまりの不気味さに恐怖していた。
今回のシャドウも、やはりその体は黒一色でペラペラだった。しかし、形が以前とは全く異なる。
手足と体の部分がやけに小さくて、その代わりに頭に当たる部分がやたらと大きい。
そのバランスの悪さの時点で不気味なのに、更に不気味な点があった。
「髪」だ。巨大な頭の両脇から、三つ編みのおさげ髪のような形の触手が、だらりと伸びているのだ。
その触手が、蛇のようにニョロニョロとうごめき、カエデに向けて鎌首をもたげていた。
「カエデ!」
「あっ」
再びのガトーの叫びに、ようやくカエデの金縛りが解ける。
けれども、既に遅かった。
気付いた時には、おさげ髪の触手がカエデの胸を貫いていた。
一瞬の出来事だった。
「えっ……あれ……?」
胸に突き刺さった触手に目を落とし、カエデは自分の身に何が起こったのか、ようやく理解した。
痛みは無い。血も出ていない。けれども――。
「あっ、あああ、あああああああああっ!!」
途端、カエデの心の中で、どす黒い感情が爆発した。
――全部無駄かもしれないのに、なんで受験勉強なんて頑張ってるの?
――友達と遊ぶのをやめてまで、なんで無駄なことをやらなきゃいけないの?
――ミチルくんとだって、あの人が中学に上がってから殆ど会ってないのに!
――なんで、こんな怖い思いをしてまで、シャドウと戦わなきゃいけないの?
――なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで!
――もう、全部やめちゃおうか。
――いいえ。それよりも、全部を全部、滅茶苦茶に壊してしまった方が。
「カエデ! しっかりするんだ!」
その時、ガトーがカエデの体に体当たりするように触れ、一人と一匹の姿が眩い光に包まれた。
一瞬の後、カエデの姿は昨日と同じ、野球のユニフォーム姿に「変身」していた。
同時に、カエデの心の中に巣くっていた悪い感情が霧散する。
「ハッ!? ア、アタシ、今何を……?」
『シャドウの攻撃をまともにくらったんだ。悪い心を植え付けられたんだよ! でも、もう大丈夫。変身状態なら、シャドウの攻撃にも何度か耐えられるから!』
「……何度かって。それ、逆に言えば何度もくらえば終わりってことよね?」
『……さあ、頑張って戦おう!』
「ちょっとガトー!? ごまかさないで答えてよ!」
……等と、カエデとガトーがコントを繰り広げている間にも、シャドウは攻撃の体制に入っていた。
おさげ髪の触手が、再びカエデに襲い掛かる!
「二度もくらわないわよ!」
ひらりと身をかわし、触手を華麗に避けるカエデ。
その際、窓の外に空中で静止したままのカラスの群れが見えた。
どうやら既に、周囲の時間は止まっているようだった。
「カエデ! 時間が停止した状態なら、周りの物は絶対に壊れない! 机や椅子も、その場から絶対に動かない! それを利用して、上手く戦うんだ!」
「オッケー!」
どうやらシャドウは、物をすり抜けたりはできないらしい。
ならば、教室にならんだ机や椅子を、盾や障害物として使えそうだ。
しかし――それはシャドウにとっても同じだった。
シャドウは姿勢を机の高さよりも低くして隠れると、触手だけを伸ばして攻撃してきた!
「わっ!? ず、ずるい! こっちがやろうとしてたのに!」
机や椅子の間を縫うようにして伸びてくる触手は、実に厄介だった。
どこから攻撃してくるのか、まるで見当がつかないのだ。
目の前から、横から、背後から、あるいは足もとから襲い来る触手を、カエデは持ち前の勘の良さで、なんとか避ける。
「こんのぉー!」
がむしゃらに反撃するカエデだったが、振り回したバットから放たれる「浄化の光」は、障害物に遮られてシャドウまで届かない。
有利どころか、圧倒的に不利な状態だ。
「ちょっとガトー! これ、どうすればいいのよ!?」
『驚いたね。このシャドウは、戦術というものを理解して動いてる。もしかして、発生源の子の性質を受け継いでいるのか?』
「ど、どういうことよ?」
『昨日倒したシャドウは、殆ど本能だけで動いてた。でも、今回のシャドウはカエデの動きを予測したり、フェイントをかけたりしてる。明らかに知能がある証拠だよ』
「それって、厄介ってことじゃん!?」
必死にシャドウの攻撃を避けながら、カエデが絶叫する。
確かに、昨日倒したシャドウの動きはとても単純だった。けれども、このシャドウは違う。
まるで、頭の良い人間を相手にしているような厄介さだった。
「ああ、くそ! そう言えばマミルは、勉強は苦手だけど、将棋とかチェスとかむっちゃ得意だったわ!」
『駆け引きじゃ勝負にならない! 広い場所に出るんだカエデ!』
「広い場所って言ったって……あ、そうか!」
その時、カエデの視界に開けっ放しの教室のドアが飛び込んできた。
カエデは触手の攻撃を必死にかい潜ると、廊下へと飛び出した。
「シャドウ! こっちよ!」
シャドウに挑発の言葉を投げてから、廊下を走るカエデ。
狙い通り、背後からはシャドウが追いかけてきていた。
二本の触手を脚の様にして走る姿は、不気味を通り越してキモすぎた。
そのまま、シャドウから逃げ続けるカエデ。だが――。
『カエデ! この先は行き止まりだよ!?』
「分かってるわよ!」
廊下の先にあるのは、非常階段に通じる扉――非常口だ。
けれども、時間が停止した状態では、その扉は開かない。一度、時間停止を解除する必要がある。
『どうするんだカエデ? 一度、時間停止を解除する?』
「その必要は無い、わ!」
非常口に辿り着く寸前で、華麗なターンを決めて停止するカエデ。
シャドウはカエデに襲い掛かるべく、一直線に突っ込んできている。
(ここ!)
急停止した勢いを利用して、体をねじるようなバッティングの構えを取るカエデ。
そのまま、素早くコンパクトなスイングで、光り輝くバットを振り抜く!
バットの軌跡から、「浄化の光」が放たれ、障害物のない廊下を駆け抜ける!
その先にいるのは、カエデを襲う為に一直線に突っ込んできていた、シャドウ。
『――っ!?』
シャドウが声なき声を発した時には、既に手遅れだった。
身を隠すものが何もない廊下を、埋め尽くすように迫りくる「浄化の光」。
それをまともに浴びて、シャドウの体はかき消すように崩壊していった――。
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