3.見返りがないとやってられない!

「はぁ……疲れた」

 ようやく家の近所まで戻ってこれたところで、カエデは大きな大きなため息を吐いた。

 あまりにも多くのことが起こり過ぎた。

 喋る黒猫ガトー。

 停止した世界。

 人間の悪い心から生まれるという、影の怪物「シャドウ」。

 小さい子向けのテレビアニメのように、「魔法少女」に変身してしまった自分。


(ああああ! 一時とはいえ、あんな恥ずかしい恰好に変身したなんて!)

 カエデは心の中で頭を抱え、恥ずかしさに悶絶した。

 それでいて、とぼとぼと歩く実際のカエデには、表情の変化一つない。見事なポーカーフェイスというやつだった。

(ま、ガトーからは上手く逃げられたみたいだから、もう忘れよう!)

 足を速め家路を急ぐ。早く部屋に戻って、ベッドにダイブしたい気分だった。


 カエデの家は、学校から徒歩二十分ほどの住宅街の中にある。いわゆる普通の一軒家だ。

 けれども、ちょっとだけ普通じゃないところもあった。お隣さんの存在だ。

 自宅に辿り着いたカエデは、門を開ける前にふと、お隣の家に目を移した。

 そこに建っているのは、普通の住宅街にはやや不釣り合いな豪邸だった。

 区画は他の家の四倍近く。鉄筋コンクリートの四階建てで、ご近所からは「大海原御殿」と呼ばれている。

 カエデの幼馴染である、大海原ミチルの住む家だ。


 ミチルはカエデの一歳年上の男子。小学校まではカエデと同じ公立に通っていたが、中学は私立の進学校に進んでいた。

 何を隠そう、その進学校こそがカエデの志望校だ。

(絶対にミチルくんと同じ学校に入るんだから! 変な化け物と戦ってる暇は無いのよ!)

 カエデはミチルのことが昔から好きだった。もちろん、ラブ的な意味で。

 まず、かなりのイケメンだし、頭は良いし、性格も良い。

 運動神経も抜群で、趣味のピアノは音楽の先生のお墨付き。

 ついでに、両親は大きな会社を経営していて、母方の祖父などは都心に沢山のビルを持っている資産家だ。

 間違いなく「優良物件」だった。将来結婚するなら、彼以外に考えられない。

(ミチルくんともっと仲良くなる為にも、絶対に合格してやるんだから!)


 等と、ピュアさの欠片もない誓いを心に強く抱きつつ、周囲をキョロキョロと警戒してから、家の中に入る。

 両親は共働きなので、家には誰もいない――はずだった。

「やあ、おかえりカエデ。遅かったね」

「げっ」

 玄関ドアを潜ったカエデのことを、黒猫のガトーが待ち構えていた。


   ***


「どうやってウチに入ったのよ、ガトー!」

「忘れたいのかい、カエデ。僕は神様の使いなんだよ? 他人様の家に忍び込むなんて、余裕なのさ」

「それ普通に犯罪だから! もしかしてよそのおウチにも忍び込んでるんじゃない? 泥棒なの? 泥棒猫なの!?」

「人聞きの悪い。神様の使いは、泥棒なんてしないよ。君の家に入ったのも、必要だったからだ」

「……シャドウと戦えってんなら、お断りだからね。アタシはそんなに暇じゃないの!」

 一人と一匹が玄関先でにらみ合う。火花が散りそうな程に。

「シャドウは出現したらすぐに倒さないと、どんどんと増えていくんだ。放置すれば、この街は大変なことになる!」

「具体的にはどうなるのよ? シャドウで街が埋め尽くされる、とか?」

「そうなるだろうね。シャドウは人間に憑りついて、その人の悪い心を増幅させる。そしてその人がまたシャドウを生み出し……の繰り返しだ。下手をすると、この街の人口と同じ数のシャドウが生まれる」

「うへぇ」


 あのペラペラの影の化け物が、街中に溢れだす。その光景を想像し、カエデは軽く吐き気を催した。

 けれども、同時にある疑問も湧いた。

「待って。シャドウって、他の街には行かないの?」

「行くよ。けど、今この街には、シャドウを生み出す元凶がいるんだ。だから、この街を中心に増えていく。僕らは、増える前にシャドウを倒さなきゃいけない」

「元凶? なら、そいつを倒せばいいじゃない」

「そうもいかないよ。神様だって居場所が分からない奴だからね。街中に潜んで、こっそりと悪い心を人々に植え付けているのさ」

「誰よ、その元凶ってのは?」

「神様の敵って言ったら一つしかないさ。『悪魔』だよ」

「悪魔……」


 カエデの頭の中に、何かの本で読んだヤギの頭をした悪魔の姿が浮かぶ。

 ……シャドウなんて目じゃないくらいに、不気味だ。

「やっぱり無理だよ! アタシただの小学生だよ? そんな、悪魔となんて戦えないよ!」

「何を言うんだ。君はさっき、初めての戦いでシャドウを見事に倒してみせたじゃないか。才能があるのさ」

「うっ。ほ、褒めても何も出ないわよ! それに、アタシは忙しいの! もう六年生の春なのに、受験勉強が遅れ気味で、志望校に入れないかもしれないの! シャドウ退治なんてやってる暇は、ないのよ!」

「へぇ、中学受験するのかい。どこを目指しているんだい?」

「……白沢学園」

「超名門じゃないか! なるほど、それじゃあ受験勉強も大変だね」


 ガトーが分かったような口をきいた。猫のくせに、どうやら人間の学校事情に詳しいらしい。

「でしょ? だから、シャドウなんかと戦ってる暇は無いの。あんな怖い思いだって、もうしたくないし」

「ふむ。でも、このままシャドウが増え続けたら、カエデやカエデの家族、お友達だってシャドウにやられるかもしれないよ?」

「シャ、シャドウにやられるって、具体的には? 死んじゃうの?」

「死にはしないよ。あいつらは人間の悪い心を増幅するんだ」

「そうなると、どうなるの?」

「うん。分かりやすいのだと、悪いことばかりするようになる。他人に暴力を振るったり、人のものを盗んだり。自殺しようとする人だっている」

「ええ……」


 カエデが思わず言葉を失う。

 あの不気味な怪物に憑りつかれたら、そんな大変なことになってしまうのかと、今更になって思い知る。

「で、でもでも! いくらこの街を守る為だからって、私一人が大変な思いをするなんて、嫌よ!」

「……それは、そうだね。ごめん、そこは僕が悪かった。君だってまだ小六の女の子なんだ。正義の為に戦えなんて、あんまりだよね」

「ガトー……分かってくれたの……?」

「うん。だから、僕は君に『見返り』を与えようと思う」

「見返り? つまり、報酬ってこと?」

「そうさ。どうやら、君は受験勉強で大変なようだ。だったら、見返りは一つしかない。――僕が勉強を教えてあげるよ!」

「帰れ!」


 猫に自信満々に「勉強を教えてあげる」等と言われて、怒らない人間がいるだろうか?

 ……いるかもしれないが、少なくともカエデはそうではなかった。

「ちょっ、なんで怒るのさ? 僕は大まじめだよ」

「だったら、なお悪いわよ! どこに世界に、中学受験の勉強を教えられる猫がいるのよ!」


   ***


「う、嘘」

 目の前で繰り広げられた光景に、カエデが言葉を失った。

 「証拠を見せてあげる」と宣ったガトーに、怒りに任せて一番難しい問題のプリントを渡したところ、あっさりと解いてしまったのだ。

「どうだい? 見事なものだろう?」

 前足で器用にシャーペンを操りながら、ガトーが胸を張る。

 どうやら、この猫は人語を操るだけでなく、二足歩行もできたらしい。

「凄い! 凄いわガトー! 塾の一番できる子だって、こんなに見事に解けないわよ!」

「問題を解けるだけじゃない、他人に教えるのだって得意だよ。さあ、どうするカエデ?」


 ガトーが、カエデにシャーペンを返しながら問いかける。

「シャドウと戦ってくれるのなら、僕が責任をもって君を白沢学園に合格させてみせるよ?」

「う、ううううううう!」

 カエデの中で、いくつもの気持ちがせめぎ合う。

 シャドウと戦うのは、正直怖い。けれども、奴らを放置すれば、いつか自分や周囲の人々も被害を受けてしまう。

 それに、ガトーが勉強を押してくれるという話も、実に魅力的だ。自分専用の家庭教師を雇うようなもので、そのメリットは計り知れない。


「分かったわよ。シャドウと戦ってやろうじゃない!」

「その意気だよカエデ! 一緒に頑張ろう!」


 こうして、一人と一匹は街の平和と受験勉強の為に、シャドウと戦うことになった。

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