第75話 アメとムチ
「待ってや、うちまだ何も弾いてへんやん」
「分かってない様だな。最初のセッションで明らかに足を引っ張っていたのはお前だ」
「そんなん言われても……」
リクソンさんは一瞬俺の方を見て「お前は何も言うな」と言わんばかりに鋭い眼差しを送る。
「別にリズムもズレてへんし、音も外してへん。何がダメやいうんですか?」
「そうだな……なら聞くが、ベースの仕事はなんだ?」
「……安定したリズムでバンドを支える事ちゃいますか?」
「それなら打ち込みで充分だな。確実に安定はするし、ミスをする事はない」
「そうやけど……」
明らかにギアが変わった様に加奈に詰め寄る。ひなちゃんもそれを感じたのか心配そうに俺に視線を送った。
「ベースはリズム隊と言われる以上、リズムを作らなくてはいけない。つまりはだ、ドラムが作れるリズムに合わせているだけでは意味がない」
「……」
「音の長さや、波で曲自体をコントロールするのがベースだが、レコーディングではそれが顕著に現れる。お前にそれができるか?」
「や、やらせて下さい」
「分かった。やってみろ」
そう言って、ひなちゃんが叩いたドラムを流す。だが、ワンフレーズ過ぎた瞬間に音を止めた。
「本当に理解しているのか?」
「分かりません!」
加奈はまるで軍隊の様に正々堂々と声をはりそういった。いつもの加奈ならキレてもおかしくはない。だが、理不尽な様ではあるが、明らかにゴールが見えている様なリクソンさんの雰囲気は異常だった。
「ならなぜやろうとした?」
「それは……やってみんと出来へんからです」
「なるほど。一理あるな……」
そう言うとリクソンさんは俺を呼ぶ。パソコンを見せると簡単に使い方を説明し、ブースに入って行った。
「ベースを貸してみろ」
「リクソンさん弾けはるんですか?」
「お前よりはな……ただ、これが正解な訳じゃない。少なくともこれ以上で弾がなければパートが無くなると思え」
そう言ってベッドホンを付ける。加奈もそのままベッドホンをつけたまま彼が弾くのを待った。
「まひる、音を出してくれ」
「分かりました」
俺がボタンをクリックすると、ドラムのカウントが入りリクソンさんが弾き始める。初見のはずが、うねるようなグルーヴに全体が繋がっているような安定感。更には所々のポイントにゴーストノートが効いたキレがある。
ただ、完コピと言えるほどにフレーズは加奈と同じものだった。
「こう言う事だ。分かったか?」
「え、あ……はい」
はっきり言って、レベルが違いすぎる。若手のインディーズバンドでは太刀打ち出来ないほどの技術だ。
「ナカノさんより上手いんちゃいます?」
「あいつはボーカルだからライブの時のナカノよりはギリギリ弾けるかもな? だが、レコーディングの時は普通に俺よりも自分達の曲を理解している」
「今のより上手いんですか?」
「音源きいてねぇのかよ?」
聞いていると言いたそうな顔をして口を噤んだ。分からなかった以上、そんな事を言っても意味がない事を彼女は直感的に理解しているのだろう。
「すみません……少しだけ時間を貰ってええですか?」
「何を言ってる、レコーディングだぞ?」
「それは分かってるんですけど、うちには今練習するしか思い浮かばへんのです」
明らかに凹む加奈を横目に、リクソンさんは俺を呼ぶ。
「まひる、ギターを先に録るぞ」
「は、はい!」
「音を出しておいてやるから、お前はボーカルブースで練習してろ。ただし、ギター録りが終わるまでだ」
「ありがとうございます……」
まるで闇堕ちしたかの様に加奈は移動し、練習を始めた。これがリクソンさんのやり方なのだと飲み込むと俺はギターを手にブースに向かう。
「まひるは……何本重ねる?」
「考えているのは四本です。メインを重ねて、二本別のを入れる予定です」
「分かった、エフェクトはこっちでかけるから、アンプの歪みを使うメイン以外はラインで通してくれ」
「分かりました」
ラインとは、ギターの信号を直接パソコンに送る方法だ。そうする事で後から調整が幾らでも出来る様になる。しかし生のアンプをマイクで録る質感も欲しい事もあり一つだけアンプを使わせてもらう。
ベッドホンから聞こえるリクソンさんが調整した音は仮とはいえ事前伝えていた物をしっかりと再現している。俺は計八回弾き、それぞれの良かった方を使う形でレコーディングを終えた。
「まひるのギターの完成度の高さは異常だな……なんていうか経験値の次元が違う」
「まーちゃんってそんなに凄いのですか?」
「技術はライブも見ているし知ってたが、何というかギターを重ねるのに慣れてんだよ」
それはまぁ……20年近く家でMTRで重ねたりアレンジの研究をしたりはしていたからとは言えない。
「端からこいつは心配してねーよ。だからこうして練習させたりする時間も取れているからな」
「でも……加奈はそんなにダメなんですか?」
ひなちゃんが尋ねると、リクソンさんは俺の方に視線をやった。彼がそうした理由は俺には分かっていた。
「ダメじゃねぇよ。ただ伸び代が有るだけだ」
「えっ……」
「あいつのレベルで活躍している奴はいるし、練習してないとは思っていない。なんなら一発でOKをだしても悪い音源にはならないだろうな」
「それならなぜ加奈にだけ、あんなにスパルタみたいにしたのですか?」
「それはまぁ……」
「そうですね……」
そう言って視線を交わす俺たちをひなちゃんが不思議そうに見つめる。リクソンさんは流石に耐えられなくなったのか口を開いた。
「もうメンバーにはバラした方がいいんじゃねぇの?」
「ひなには言っておきますか……」
「どう言う事?」
そう、黒幕は俺だ。この日のレコーディングで俺は事前に彼女達の性格を伝えレベルアップが出来る様にとリクソンさんに頼んでいた。
しかし、加奈は体育会系で叩けは伸びるタイプとは伝えていたが、あそこまでコテンパンにするとは思っていなかった。しかし、頼んでいた手前、口を出さない事が約束だった事もあり止める事が出来なかった。
「えっ……まーちゃんが頼んでたの?」
「あそこまでは頼んでない!」
「いやいや、部活のコーチみたいなのが一番合うって言ってたじゃねぇか!」
「今の時代、あそこまで追い込むコーチほとんどいないですからね!」
ちなみに、ひなちゃんの事はリクソンさんにトラウマがあるから優しくと伝えていた。
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