第74話 レコーディング
新しい曲が出来ると俺たちは次に進む必要がある。そもそも新しい曲を作る事自体、理想のバンド活動に向けた通過点に過ぎなかった。
だが……本当にこの曲でいいのだろうか?
音源にした後で後悔はしないだろうかと不安は付き纏う。
それでも刻一刻と過ぎて行く時間に焦りを感じていた俺は簡単なプリプロダクション。つまりは、レコーディングする為の仮音源をスタジオで録り、リクソンさんの所へ持って行く事にした。
「スタジオのマイクでなんか録る必要あったんか?」
「三人では曲のイメージは出来ているけど、リクソンさんは聞いた事もない曲でレコーディングしないといけなくなるでしょ?」
「まぁ……確かに。せやけど、目の前で聴かせた方がええんとちゃうんか?」
「時間が限られているんだから先に聴いて貰っていた方が、話は早いよ」
「そういえば時間制やったな」
そう、リクソンさんのレコーディングの費用は一曲では無く日当だ。つまりは何回録り直しがあるかわからないレコーディングを出来る時間はなるべく多い方がいい。
スタジオで録った音源をメールで送り、日程を設定する。意外にも予定は空いていた様で冬休みに入って直ぐにレコーディングの日程が決まった。
「冬休みに入って直ぐって事は……クリスマスの前日やんけ!」
「クリスマスが楽しく過ごせるかはレコーディングにかかってくるね……」
「だから空いていたのかも?」
それなりに人気のあるバンドにはクリスマスの予定がある。別にモテるからとかでは無く単純にイベントが入りやすい日なのだ。案の定リクソンさんもクリスマスの当日はPAとしてライブの予定があるとの事だった。
そしてレコーディングまでにしなければいけない事は、ひたすら曲の練習と音の作り込みだ。加奈やひなちゃんにその事を伝え、プリプロの音源でしっかり予習してくる様に伝えその日を迎える事にした。
早朝からスタジオに向かう。明るく澄んだ冬の空気の中、街から少し離れているとはいえ世の中は全力でクリスマスを始める雰囲気だ。こんな時期に頑張ってレコーディングをするのだから俺たちにはそれなりのご褒美があってもいいと思う。
だが、部屋に入ると「え? 世の中ってクリスマスだっけ?」と言わんばかりに暑くも寒くもなく、時間もわからなくなる様な静かな空間が広がっていた。
「おう、来たか……」
「よろしくお願いします!」
「プリプロを送って来たって事はレコーディングについてお前らなりに調べて来たんだろうな」
いつに無く落ち着いた雰囲気。ただ単に朝に弱くまだエンジンがかかって居ないだけなのかも知れない。
「新曲きいたぜ?」
「……それで、どうでした?」
緊張の中リクソンさんの返事を待つ。だが、彼は意外な言葉を口にした。
「俺のミックスと、お前らの再現度次第だな」
つまりは曲自体はいいと言う事なのだろうか?
リクソンさんは、何かを考えている様子のまま、俺たちにブースの中でセッティングをする様に促し、スタジオ内のベッドフォンの使い方を簡単に説明してから呟いた。
「クリックを入れるから一度伴奏だけ弾いてみてくれ」
まさかの一発録りと言う奴だろうか?
入念にチューニングをする。ひなちゃんが心配そうにしていたが、スネアはリクソンさんがチューニングした。
「弦は変えたばかりだな。とりあえずチューニングはこまめにする様にしろ。ドラムセットは基本的に俺が合わせるからイメージが違ったら言ってくれ」
それぞれのマイクの位置を入念に確認すると、ブースをでてガラス越しの先に座った。
「聞こえるか? クリックを流すからカウントを入れてから始めてくれ」
この形で一回で終わったら、歌を録るだけで直ぐに終わるかも知れない。上手くいけば半日でレコーディングが出来るのではないかと期待した。
慣れない環境のはずが、二人とも練習をしっかりして来た事が分かる位に目立ったミスは無い。なんなら今までで一番いい出来と言っても過言ではない。
演奏を終えると、ミックスルームに来る様に言われる。もう一度と言われなかったと言う事はと期待する。するとサクサクと機械をいじり音を流した。
「めちゃくちゃ綺麗やん……」
「簡単にミックスしてみた。勢いはこの方が上手く出るんだけどな……ただ、やっぱり一発録りに耐えられるのはまひるだけだな」
容赦のない一言。
一体正直何が悪いのかわからないレベルの話だ。ギターならもしかしたら分かったのかもしれない。
「別録りにする。まひるは被せるギターも続けて行くぞ」
「……はい」
別録りの場合はドラムから録る。ひなちゃんは不安そうな顔をしたままブースに入る。一緒に音を出す時と違い、クリックに集中出来る代わりに全体の音をイメージをしなければいけない。
叩き始めるとミックスルームにはドラムの音だけが響く。緊張するかに思えていたが、意外にも冷静に叩けている。
「ストップ。今のフィル、二泊目がモタっている、全体で聞いた時もお前だけズレているのは気づいているか?」
「え……いえ」
「気づいてないなら仕方ない。今から直せ」
確かに言われてみれば微かにだがズレている。リズムの正確さに自信がある俺ですら気持ち引っ張られる様な気がしていた程度だった。それにしても今から直せって無茶苦茶じゃないか?
ひなちゃんは何度かフィルを繰り返し直そうとする。しかし練習をひたすらやった結果でズレてしまっているものはそう簡単に直せるものじゃない。
リクソンさんは録った音源を調整すると、演奏を止める様に言って音を流した。
「直した音だ。このリズムを意識してみろ」
少しモタっていた部分が綺麗に直されている。これができるならそのままでいいんじゃないかと思ったもののそうではないらしい。
「オッケー。それで最初から通しで叩け」
「はいっ!」
正解を聞かせて修正する。修正出来たひなちゃんもすごいのだが、瞬時に音源を提供したリクソンさんに隙がない。
「ドラム1テイクはこれで行こう。もう一度録ってミスがなければドラムは終了だ」
意外にもすんなりと終わる。あれだけ練習していたんだ、ひなちゃんの中でイメージがしっかり出来ているのが側から聞いていても分かった。
「次ベースだが……」
「うちやな、ガッツリ成功させたる」
「お前は……舐めてんのか?」
リクソンさんの冷たいひと言に、俺は凍りついた。
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