第56話 常識が通じない
嫌な予感……。
その理由は、「協力して」と言っていたはずのジュンさんがそれ以降なにも言わないままステージに向かったからだ。
いやいやいやいや、何を協力するか位言ってからステージに出てくれよ。その辺りも考えて動けという事なのだろうか?
「ついに大本命の登場やなぁ!」
加奈は期待に目を輝かせている。無理もない、プレハブでの練習ですらあれほどの演奏をしていた彼等だ。さらにはその凄いバンドと知人になっているというのも大きいだろう。
観客の大半はドリッパーズの客だ。空気は変わってしまっていたものの、その声援から全く心配は要らない様に思えた。
ケトナーの青い光が煌々と光っている。その隣にマーシャルのアンプ。いやいや、リクソンさんそこは後ろに下げておけよ……。ライブハウスの元店員としてはついつい詰めの甘さが気になってしまう。まお箱の形の問題もあり仕方の無い事だとは思う。
だが、無音の中からいきなりライブを始めるのかと思いきや、ジュンさんがエクスプローラを構え一人で登場して来るなりクリーントーンで優しい曲を奏で始めた。
やはり上手い。ピックではなく指で、まるでアコースティックギターを弾く様に暗闇の中ノスタルジックなメロディを奏でる。
多分これは急遽『サカナ』を意識したパフォーマンスなのだろうか? その割には、しっかりと打ち合わせされた様に音響や照明にも隙がない。
あくまで想定していた状況……。面識がある以上、事前に組み立てていたのだろう。
そのまま彼は英語で歌詞を歌い始める。日本語ですらおかしい彼からは想像出来ない位の発音の良さに洋楽の様な訛りの無いノビの有る歌声。
「ジュンさんって歌上手かったんだ……」
「ただの変態じゃなかったね」
「いやいやひな、あの人は音楽にかけては他も普通に天才やろ!」
歌い切る瞬間、ゆっくりと後ろに下がり声がフェードアウトして行く。丁度音がなくなった所で照明が一気に光るといつのまにか居たドリッパーズが飛び上がり爆音が響く。
それに合わせて一気ホールに熱が帯びて行くのがわかった。
経験やレベルが違いすぎる。
まるでこうなる事が分かっていたかの様な演出、それも事前に組み立てられている。
それまでのしんみりとした雰囲気から一転し、観客はドリッパーズ一色に染まった。
ホール全体で腕を振り上げ暴れ始めると、タカさんの音圧、ナカノさんのグルーヴ、ジュンさんのギターが轟いていく。
いやいや、手伝う所は何も無いんじゃ無いか?
圧倒的なパフォーマンスの中、もう誰も体力を温存しようとはしていない。加奈もテンションが上がったのか俺の腕を掴むとホールに引きずり込まれてしまった。
もみくちゃにされ、元の身体ですら自由が効かない状況は体重が軽くなった俺はまるで人形の様に飛ばされてしまう。
だが……めちゃくちゃ楽しい!
久しぶりに俺は一体感の様なものを感じ、気がつくと腕を振り上げ叫んでいた。
前の方に流されて行くと歌っているナカノさんと目が合う。彼もそれに気がついたのかやれやれと言った表情でニヒルに笑うのが分かった。
多分こうなる事は『サカナ』な西田さんも分かっていたのだろう。けれども確実にこのライブで印象に残ったのはこの二つのバンドだろう。
圧倒的な実力差。ギターの技術の話じゃない、ライブというものの実力や経験値の差は大きすぎる位に開いている。
もしドリッパーズが前座だったとしたら、俺たちとは全く違うものになっていただろう。それに合わせて結果もまた違うものになっていたかも知れない。どちらにしても今の俺たちで太刀打ち出来る相手では無かったという事だ。
あれだけのパフォーマンスを持ちながらも、一切油断する事無くライブに挑んでいる。明らかに今回は俺たちの準備不足だ、なぜこの差は生まれてしまった?
結成して間もないからか? それともドリッパーズが恵まれた環境で育っていたからか? いや、違う。たとえそうだとしてもそれを理由にしていいのは加奈やひなちゃんだけだ……。
俺は今まで、恵まれた環境で音楽が出来ていると思った事は無かった。周りが親に楽器をもらったりカンパしてもらったり、習いに行ったりしている環境の中でも独学でするしか無かった。それでも好きな事だから夢中になってやってきたし、その事自体をどうこう言うつもりもない。
けれども今の俺はどうだ?
圧倒的な熟練度とライブハウスでの経験値がある中、本来ならやっておかなくてはいけない事なんて分かっていた筈だ。ただただ加奈やひなちゃんを言い訳に俺はずっと妥協してしまっていたんだ。
今の俺は恵まれた環境で、本来であれば無双する事だって可能な状況の中、借り物の身体と人生で一体何をやっていたんだ……。
するとステージの上のジュンさんと目が合った。
彼はずっと妥協せずに精一杯やれる事を探していた。中学校に来たのもきっと成長する為に闇雲に手を伸ばしていたからなのだろう。
「まひまひ!」
だからこそ先に迷う俺たちに彼はずっと呼びかけてくれていたんだ。
「まひまひ!? ほら!」
「えっ? 本当に呼んでる??」
笑顔でステージの上から伸ばした手は、明らかに俺に伸びていた。なんでまた?
意味がわからないまま、その手を掴むと俺はステージの上へと上げらた。
「『hung out paty』のまひまひ事、まひるが参戦しまーす!」
「えーっ! どういう事!?」
「だから、ほら……」
そう言ってジュンさんが手にしているのは、あの日プレハブで弾いたレスポールスタジオだ。もしかしてこれでいきなり弾けって事?
「大丈夫、音はもう作ってあるから」
そう小さく耳打ちするとやはり俺はいきなり参戦する事になっていた。協力ってまさかこの事を言っていたのだろうか?
もちろん、弾いた事のある楽器。曲もあの日合わせた曲をやるとの事だから出来ない訳ではない。しっかりと調整されたギターはマーシャルのアンプに繋がっている。
いや、これリクソンさんがブチキレるんじゃ……恐る恐るPAブースを見ると手で丸を作っているのが分かる。話しを既に通していたのか。
「ほいじゃ、ガッツリ暴れちゃってくれるかや?」
「い、いいとも……」
定番の返しのはずが不思議そうな顔を返されると、そんな事はどうでもいいとばかりにカウントが始まってしまったのだった。
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