第26話 裏
俺は咄嗟に声をかけるのを止めた。彼女達はまだ気づいてはいない様子で何か話しているのが分かる。
「なんであんたまでアイツの味方してるわけ?」
「まーちゃんが付く方に居るのが自然でしょ?」
どういう事だ?
ひなちゃんは雅人と帰ったんじゃないのか?
「木下まひる……ね。アンタの金魚のフンみたいだったのに」
「そういう言い方はやめて」
「まあいいわ。どうせアンタはまた逃げるんだし、せいぜい期待されておけば?」
ひなちゃんが逃げる?
何の話だ?
前々からひなちゃんと菅野は何かあったのだろうとは気になっていたが、やはり因縁みたいなものがあったのだろうか。
「私はもう、逃げないから」
「どうでもいいわ。例えアンタが逃げなくても、私達は負けないから」
そう言うと菅野はその場を去って行った。ひなちゃんは彼女に呼び出されたのだろうか、だとしたらその手前で何を話していたのかが気になる。
ゆっくりと靴を履き替えながら、その場に立ち尽くしているひなちゃんに気づかれない様に様子を見ていると俺は足元のすのこに引っかかってしまった。
ガタン……。
その瞬間、ひなちゃんと目が合う。俺はそのまま体勢を崩しその場に尻もちをついた。
「イタタタタ」
「ま、まーちゃん?」
「ひな。えっと、待っててくれたの?」
「う、うん」
座り込んだまま、気が付かなかった様に振る舞う。
「掃除が長引いちゃって」
「それよりまーちゃん、パンツ見えてるよ?」
慌ててスカートを押さえる。だけど別にひなちゃんになら見られても問題ない様な気もするが、なんとなく隠さなくてはいけないと思った。
「さっきの聞いてた?」
「なにが?」
「ううん、何でもない」
「まさか待っててくれていたとは思って無かったよ」
「……最近、一緒に帰れて無かったから」
気づいているのか、それともそのまま誤魔化せると思っているのかは分からない。けれども、彼女が見られたくない場面だったのだとしたら見て見ぬふりをしてあげるのが大人の対応だ。
「うん、今日は一緒に帰ろ」
そうは言ったものの、何を話していいのか分からない。バンドの話をするのもわざとらしいし、雅人の話を振るわけにもいかない。普通の会話って何をすればいいんだ?
「最近どう?」
捻り出したものは最も汎用性が高く、内容の無い言葉だった。
「どうって、何が?」
「バンドとか恋とか……」
「ふふ、まさかまーちゃんから恋バナを振られるとは思わなかったけど?」
「年頃の若い娘でしょ?」
「なにか親戚のおじさんみたいだよ?」
いや、遠からずそんな感じです。
「最近、ひなすぐいなくなるし好きな人でも出来たのかなって」
「心配してくれてたの?」
「まあ……それなりにね」
「心配しなくてもまーちゃんが考えている様なディープな話はないよ」
それは、雅人の事は別に好きなわけじゃないと言う事なのだろうか。自分の事を純粋だと思った事はないが、もしこのテンションで嘘をつかれていたのだとしたら人間不信になってしまいそうだ。
「わかったよ。でも、何かあったらいつでも言ってね。わたしはひなの味方だから」
裏切られて彼女の事が信じられ無くなってもいい。とりあえずは無心で信じようと思った。
それからの彼女は、至って普段通りだった。アレンジが難しい事や、俺と加奈が行ったカラオケに一緒に行きたかった事。ひなちゃんがあまりにも自然だった事もあり、あの時雅人と居たのは偶然だったのだろうとすら感じていた。
「ひなはバンド……やりたくなかった?」
「どうして?」
「いや、加奈も雅人も理由はあるけどひなには特に無さそうだったから」
そう言うと、彼女は考えているのか黙って空を見た。そのまま小さく何かを呟くと、少しづつ声に変わって行くのが分かる。
「……今までして来た音楽とは違うかも」
「ピアノとかエレクトーンとは違うよね」
「音も大きいし、好き勝手フレーズ変えちゃうし……」
クラシックや教室で習う音楽とは違う。ほぼ独学でギターを覚えて来たセッションや耳コピの俺の音楽は彼女にとっては苦痛でしか無かったのかもしれない。
「そうだよね……」
「でも、もしかしたらその方が見てる人は楽しいのかもって思ってたりもするよ」
「ん? そういえばひなってライブに行ったことある?」
「コンサートはあるけど、ライブはないかな」
「それなら見に行ってみようよ!」
「えっ……でも、ライブって」
「夜遅くなければ問題無いと思う。都合よくそんなライブがあるかは分からないけど……」
「そうだね。雅人に聞いたら教えてくれるかも?」
彼女が行ってみたいと思っているのなら、行ってみるしかない。何度もライブは見て来たのだが、この身体で行った事は無かった。俺たちはその晩、グループチャットで雅人に聞いてみる事にした。
雅人『あー、小山は見た事ないのか』
加奈『うちもレジェンド以外ないで?』
まひる『レジェンドって?』
加奈『ディープパープルとか?』
まひる『それはレジェンドだわ……』
確かにこの時期あたりに来日していた気はする。お父さんとかの影響で行ったのだろうか?
雅人『地元の高校生バンドで良ければ元々顔出す予定のライブがあるぜ?』
まひる『それに行ってみる?』
ひな『歳が近い方が参考になると思うし、行ってみたい』
雅人『そしたら連絡しとくよ』
客観的に見たとしても、今の俺たちのレベルはそれなりに高い。演奏力だけでいえば贔屓目を抜きにしたとしてもインディーズバンドに引けを取らないだろう。今更地方の高校生バンドを見たとして、加奈はともかくひなちゃんに響くだろうか。
そんな事を考えながらも俺たちは週末までの間、それぞれが出来る練習を繰り返し、曲を形にした。
「なかなかええ感じなんちゃう?」
「加奈はまだベースに意識が向きすぎだよ」
「そんなぁ、だってフレーズが難しすぎるんや……あかん。うちが妥協したらあかんな」
厳しい事は言ったものの、彼女はよくやっている。始めて二週間なら本来なら曲を弾くだけでも精一杯な筈だ。正直な所、演奏には問題がないが存在感が薄いひなちゃんな方が気になっている。
だが、上物としての相手は俺だ。熟練のギターを支えられるだけでも本来なら充分なのかもしれない。そんな中、雅人がふと呟いた。
「明日のライブ、文化祭が終わったら本格的に俺が加入する予定のバンドなんだ……」
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