第11話 八割
「どうぞこちらへ!」
先輩社員はまるで別人と言わんばかりの愛想の良さだ。さっきのお兄さんも隣で複雑な顔をしながら立っているのがわかる。
「こちらのギターは私が説明させていただきますね!」
そう言って先輩社員は説明を始める。内容は間違えている訳ではないが、さっきのやりとりを聞いていただけに冷めてしまう。
とはいえ、楽器屋の店員は大体ギターもそこそこ上手いんだよなぁ……。そう考えていると、彼はムスタングを弾き始めた。今まで俺が通っていた楽器屋は知らず知らずのうちに
ギタリストとしてはそれなりに努力をして来た音に対しては敬意を示したいと思っている。だが、敬意がなくバカにしてくる様な奴にはちょっと痛い目を見せてやろうと思った。
「どうですか?」
「いい音ですね。ちょっと弾かせてもらっていいですか?」
「構いませんよ!」
俺はお兄さんの方に目を合わせ少しニッコリと笑いかける。彼も気づいたのか一瞬目を見開いたのがわかった。
あれ?
それにしてもこのギター、かなり手にフィットする。フレットも今までとは違い殆ど違和感がない。これなら結構いい感じに弾けそうだ。
その瞬間、俺の熟練されたペンタトニックスケールがが炸裂した。
リハビリ程度にスケールをなぞる。ロックやメタルのソロでは基本的なパターンが有る。その中でチョーキングやハンマリング、スイープと言った様々な技術を織り交ぜ表現する事でソロは出来る。
上手いか下手かという一番わかりやすい所は、その技術の組み合わせ方や精度が如何に高いのかがポイントになってくる。その点においてで言えば、たとえ身体が変わっても唯一誰にも負ける気がしない。
全盛期の八割くらいかと思いながら先輩社員の顔をみると、面白い位に顔が引き攣っているのが分かった。
「あ……弾ける方だったんですね」
「このギター弾きやすいですね。これにします」
「あ……はい」
「あのお兄さんから買いたいんですけど」
「あ……どうぞ」
先輩社員は何も言わずに、哀愁を漂わせセッティングを直し始めた。本当なら音楽を志す身としてはこんな事はしたくないのだけれど、お兄さんへの当たりが少しでも無くなればと思った
「もしかして、聞いてたんですか?」
「はい。あとはお兄さんがしてくれた色々な気遣いをやめないで欲しいと思ったから……」
「あはは、そんな気遣いまでしてくれるなんて、貴方は何者なんですか?」
「それは秘密です! 強いて言うならただの可愛い中学生ですかね?」
ギターケースやチューナーなど、いわゆる初心者セットなるものもおまけでつけてもらうと、替えの弦とストラップを買い最後に【
「メンテナンスとか、得意なので良かったらまた、いらして下さい」
「笠井さん、ありがとうございました」
本当ならもっとマニアックな所も回るつもりではいたのだけど、今日の対応を見る限り今はまだ行かない方が良さそうだなと思った。
それに、勢いで買ったみたいな感じではあるが、グランジロックによく合いそうなダークな音のわりに、一音一音がはっきりしている感じが気に入っている。何より今の自分にしか似合わないというのが一番の決め手だった。
家に帰ると直ぐに、ギターを買った事を母親に伝えると部屋に篭る。今まで水色のギターを持った事が無かった事もあり鏡の前に何度も向かう。
「完璧だ……」
自分のものになると、世界一のギターだと思ってしまう。一目惚れした時のあるあるなのだろうが、この時ばかりは浸ってもいいと思う。
ストラップの長さを弾きやすさと見た目を考慮しながら調整する。完璧な位置でジャーンと音を鳴らしポージングしたところで部屋のドアが開いた。
「まひる……何やってんた?」
「とも兄、何でいるの!?」
「わりぃ、でもギター買って来たんだろ?」
「うん……」
「その気持ちはわかるよ。一度はやるよな」
まさかのタイミングで兄が現れた。
本来なら「ノックぐらいしてよ」と言う所なのだが、動揺してそんな余裕は全く無かった。
「なるほど、初心者セットはあるみたいだな。だけど、アンプは付いてなかったみたいだな」
彼に言われハッとする。アンプなんて家にあるのが当たり前だと思っていた事もあり、全く気にはしていなかった。しかし、無いとなると何かしらで代用となるものを探さないといけない。
「まぁ、持って帰るにはキツいからな。それにしてもまひるらしい可愛いギターだな」
「でしょ?」
「仕方ないから俺が練習用のアンプをやるよ。最近エフェクターを買ったから使ってないんだ」
「本当に?」
「ギター買った記念だな!」
持つべきものは兄だ。案外友也は優しいお兄ちゃんなのだろうと思った。
「ありがとう……」
「それにしてもお前、ギターの事となるとやたら素直になるよな!」
元の彼女はもっと食い下がっていたのだろうか。だが、このくらいの年の兄弟ならそんなものかも知れないと思う。
だが、本当の彼女の事について俺には一つだけ恐れていた事があった。本当ならもっと早くに行動しておくべきだったのだろう。だけどそれを知った所でどうする事も出来ない自分がいて、なんだかんだ考えない様に言い訳してしまっていた。
「まぁ、ギター頑張れよ」
そう言ってくれた友也には申し訳ないのだけど、俺は本当のまひるちゃんを本気で見つけなくてはいけない。もしあの時、入れ替わってしまっていたのだとしたら俺の身体の中でどうする事も出来ないで困っているかもしれないんだ。
覚悟を決めた俺は、覚えていた番号に電話をかける。きっとまひるちゃん本人なら番号を見れば自分のスマホだとわかるだろう。こちらにかけて来なかった理由としてはなんとなく想像はついた。
緊張の中、電話をかける。まだ土曜日の昼過ぎだ、万が一順応していたとしても出れない時間じゃ無い。
「あ、もしもし?」
意外にも電話に直ぐに出た。若干寝起き感はあるものの、俺の声で間違いはない。
「あ、あの……」
「えっ、女の子? もしかして出演希望の連絡ですか?」
普通の俺の反応……という事はまひるちゃんでは無いのか。ただ単純に、この世界の俺がライブのブッキング依頼でかかって来たと思っている様だ。
「学生さんだったら、それ用のイベントもありますけど希望日程とかありますか?」
「い、いえ。またかけ直します」
そう言って俺は電話を切ってしまった。電話の俺が焦ってしまった理由は簡単だ、俺にはこの時の記憶がある。店の電話番号とも繋がっている風次とは違い俺には出演希望の学生から連絡が来るなんて事は殆どなかったからだ。
この世界に【俺】は普通に居るのか……いや、それよりも俺が経験した時と繋がっているのだ。つまり今現在確認出来る範囲のこの時間軸に彼女はどこにも存在していない。消えてしまったのか、それとも三年後の俺になっているのか……この事実を俺は簡単には受け入れられないでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます