『冒険の世界 その5』
最初に感じたのは、ツンと刺すような臭いだった。
それから、地面が不規則な揺れを伴ってドン、ドンっという音が近づいてくる。
何かが、くる。
私とグレインレックはストックブルーの服の裾をぎゅっと掴んでいた。
「なんだと思う?」
シリウスウッドがボソリと言った。
「少なくとも、スライムだのコウモリだのじゃなさそうだニャ」
シックスバックは、耳を右左と忙しなく動かしながら答える。
「ああ……。しかもこいつは穴を広げながら移動してる……ニャ」
「穴掘り能力ありニャ?」
「みたいだな」
「じゃ、この臭いはなんなんニャ」
「そんなの俺が知るか」
「サンポールみたい」
「さ、サンポールってなんニャ」
「え? えっと、わかんない」
「わかんない、て……わかんないニャ」
シックスバックに軽く小突かれる。わたしも自分で言ってなんのことだか、びっくりしてしまった。
思い浮かんだのは、タイルの壁と陶器の器。そして、それを神妙な顔してゴシゴシ掃除している自分。手にはサンポールとブラシ。
「まあ、サンポールなる魔法の言葉はさておくとして、ニャ」
魔法の言葉か。そうかもしれない。なんだか不思議と気持ちいい響きだし。
「この臭い。サンドワームの出す強酸に似てニャいか?」
ストックブルーの肉球がわたしの頭に当てられる。彼の大きな手が気持ちいい。大きな手に撫でられると、とてもホッとした気持ちになるんだと気づいた。
「サンドワーム!? あいつら砂地にいる連中のはずニャ。こんな硬い岩盤をどうやって移動してるニャ?」
「そりゃ……いずれ明らかになるんじゃニャいか?」
ストックブルーはわたしに肉球を触られて、くすぐったそうに笑う。
「とりあえず、その『いずれ』が訪れないよう願うばかり、だな」
シリウスウッドがつぶやいて、第二層への穴にゆっくり入っていく。
話している間に、音も臭いも止んでいた。
「サンドワームだとしたら、音にさえ気をつければ襲われることはないニャ。あとは臭いには注意だニャ」
シックスバックは各々と目配せしてからシリウスウッドに続く。
「お前たち、俺から離れるニャよ」
わたしは既にストックブルーにしがみついてしまいたいのを我慢しつつ、後に続いた。
※
第二層はサンドワームらしきものが残した痕跡が至る所に残っていた。シリウスウッドが言うに、食べ物を探すか、新たな住処を探しているはずだから、一度通った道で出くわす可能性は低いとのこと。でも、熱源となるランタンを灯していくことができなくなった。サンドワームが獲物だと認識して寄ってくることがない様にするためだ。
そして穴も大きくなったおかげでストックブルーの頭上も安心になったが、坑道が破壊されていることには違いなく。新たな地震の発生も心配のたねになる。
この辺りは堅い地層だとのことですぐにどうなることはないかもしれないが、坑道はしばらく使い物にならなくなると言うことだ。
そして、第三層に至る。
落盤が起きたのはこの階層になる。
「ニャ、シリウス」
「なんだブルーよ」
「お前さん、なんか獲物は持ってきたかニャ?」
「悪いがシミター一つ持ってきてないぜ」
「ニャ……できればボウガンあると対処ができるんニャけど」
「強酸に触れたらひとたまりもないしな……、これは逃げの一手と言うことか」
二人の会話にぴくりと耳を動かしたのはグレインレックだ。
「それなら僕がスリングショット持ってきましたニャ。こんなこともあろうかというか、本当は竪穴対処用ですニャ」
「おお! ストックブルー、それ俺が持っててもいいかニャ?」
「もちろんですニャ」
スリングを受け取ったストックブルーは、第三層で頻繁に見かける様になったクロガネのかけらを幾つか拾い集め出した。
クロガネは精錬していないものでも濡れたような艶を放っている。ランタンの灯りに当たると、きらりと存在を証ししていた。
このネコさんたちがたどり着いた乳と蜜の流れる肥沃な大地の恩恵。これがその一つというわけだ。
そして美しさを併せ持つ鉱石の出現と共に、にツンと鼻を刺す臭いが強まったこともやはり事実だった。いよいよ危険が増していたのである。
「やな臭いニャ」
シックスバックが手で鼻を抑えて言った。
「そうだな。でも奴さんが暴れまくってるおかげで、落盤の裏にまわれたらラッキーこの上ないな」
「そう、ニャ。案外すんなりピンクと合流できるかもしれないニャ。ニャハハ……」
軽い調子で話す二人とは裏腹にわたしの心はすくんで仕方なかった。なんでついて来たんだろ、わたし。などと今更に考えている。
それに、だって。そう言うことじゃないか。
わたしは頭を振って、嫌な自分を払い除けた。
すると、ストックブルーの大きな手が私を引き寄せる。肩を撫で、強く抱き寄せてくれた。
彼は何も言わない。
でも、わたしは誰にも聞こえないように深く深く息を吐いた。
※
洞窟は、サンドワームのおかげであみだくじのようになってしまっていたが、ねこさんたちの掘った穴とは形跡が全く違うので迷うことはない。
それでも、シリウスウッドは一ヶ所一ヶ所に目印をつけたり、地図に記入していた。今後のことも考えている、とのことである。それにサンドワームの開けた道の交差点は嫌でも臭いもキツく、緊張が走る。
そんな進み方だから当然時間が掛かる。暗闇の中にずっといるせいで時間の感覚も薄れ、もう一日中いるんじゃないか、とさえ思えていた。その様な中、シックスバックが立ち止まって、またかーと言う気持ちになった。
「やれやれ、どうしたもんニャ?」
「意外に深いぞ」
シックスバックとシリウスウッドが目を合わせる。
すぐに危険はなさそうなので、わたしもひょこっと顔を出すと、今までの不快な臭いがなくなり、風が強く通り抜けていた。
ゴーゴーと大きな音が急になり始め、下を見ると、濁流となった地下水脈が流れている。
「うわっ。怖……」
「おい、あんまり乗り出すなよ」
「わ、わかってるわよ」
シリウスウッドに襟を掴まれたので、わたしは彼の手を思わず掴んでしまった。珍しく彼は複雑な表情で手を払いのける。
「どうやらここが落盤のポイントみたいだな」
「サンドワームが開けたのより大きい穴だニャ」
「水脈にあたってるのも、気になるニャ」
ネコたちが穴から一斉に顔を出す。
「お、押さないでよ!」
「怖いなら引っ込んでるニャ」
「押されたら怖いに決まってるでしょ」
「うーん、この水脈は深いニャー。流されたらもう二度と上がってこれニャいかも」
シックスバックがにたっと笑いながら言う。嫌なやつだ。ぞくっとしてしまったので、わたしは、顔を引っ込めて声を上げる
「も、もうふざけないでよね。それで、もう進めないの?」
「うーにゃー。どうやら、向こう岸に穴が空いているからどうにかして渡りたいところニャね」
「そんな。危なくない?」
「まー大丈夫ニャ。うちにはエースがいるニャ」
「真打おいらの出番ニャ」
そう言ってグレインレックが、1、2と屈伸し始める。
「グレイってそんなすごいの?」
「ニャニャ。これでも、ブラッドフック一の垂直跳びの記録を持ってるニャー」
「す、すごいね」
「まー、賛辞は成功してからもらうニャ」
小さい体を反らしてグレイんれっくは自慢の足をポポンと叩いた。
体にロープをくくりつけ、結ばれた楔とストックブルーが命綱となっていた。
「向こう岸まで約7メートルってところニャ。猫の足なら余裕ってとこだけど、足場と風に注意するニャ」
「俺が風の切れ目にGOを出すからな」
「オーキドーキ!」
位置についてから先はまさに閃光の様だった。
彼が蹴り出した地面が抉れ、石と土が舞い上がった。
跳びあがると、体に羽が生えたかのように時がゆっくり流れる。でも、体を一掻きすると、それからは矢のように加速した。
見るまに対岸にたどり着いたグレインレックは、くるりと体を二度三度回転させて着地した。
ブラボーと声をあげたかったが、小さく小さくすることにした。
「クロエ、喜んでる場合じゃないニャ」
「え?」
「これからロープで綱渡りニャ。間違っても落ちるんじゃーニャいぞ」
「へ? ふえええええええ!!!」
「大きい声を出すニャ!!」
手際よく綱渡り用のロープが組み上がっていくのを見ながら、生まれて以来最も危険なタスクが待ち受けていることに、言葉を失った。
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