『冒険の世界 その1』



 意識の収束が起こる。


 自分の手足の感覚、皮膚に伝わる服の温かみ。それらが刹那に蘇ってきたかと思うと、最後に訪れたのは……。


「猫の顔?」


 考える暇もなかった。

 巨大な猫顔が吸い込まれるように近づいてきて遂には、わたしのおでことぶつかる。


「ぬわあああああああ!!!」


 ごっちーーん、という音がした。音もすごかったが、あまりにも勢いよく当たったせいか、体がびよーんと大きくバウンドしてしまう。こんなにバネみたいに跳ねるのかと、絶対体験したくない知識を得てしまった。


 お互い、狂ったようにのたうち回っていた。どれだけの時が過ぎたかはわからない。とにかく長く感じた。


「うにゃーーーー、何するニャ!」


「あううう、ごめんなさい。ごめんなさい」


 全身総毛だったネコさんは頭半分くらいの大きさになったたんこぶをさすりながら、吠えてきた。

 わたし、なにも悪くないのに、ごめんなさいを×10くらい言って頭を下げまくってしまった。記憶を失う前のキャラクターが浮かび上がってくるようだ。


 ネコさんは顔以外は人間そのもので、顔も覆っている体毛のせいか、ずいぶん大きく感じる。柔らかくて豊かな体毛をチェニック一つで覆い、ワイルドな風貌だった。それを腰に下げたシミターが後押ししていた。。


 ともかくひたすら頭を下げていると、悪気がなかったことが伝わったのか、溜飲を下げて一息「うーにゃうっ」と一声鳴いた。


 わたしも次第に頭も落ち着きを取り戻してきたので、周りの様子がわかってきた。


 ここは洞窟の中のようだ。鍾乳石がところどころから生え出ていて、天井の穴から日光が降り注いでいる。水源もあり、ぴちょんぴちょん、と岩肌から垂れる水滴が水面を揺らしている。


「それで、お前はどこのネコにゃ? カンボスの連中には見えないニャ」


 ネコさんは腰に手をまわし、私を覗き込んだ。眉がきゅっと寄せられると、なんだか可愛らしい。


「わたしですか?」

 なんて答えたらいいんだろう。

「わたし、アークっていうのを探して旅をしてます。でも、どこにあるのか、どうして旅をするのか、わからないんです」


 わたしはそういって、ネコさんにアークの首飾りを見せた。


「あーく……ニャ。この首飾りがアークとやらなのかニャ?」


「はい。わたしもよくわからないんですけど」


「ニャふーー。まあ、カンボスの連中じゃないならいいニャ。カンボスにこんな尻尾

も耳もないネコがいたなんて情報はにゃいし、なんかお前、間抜けっぽいニャ」

 なんて失礼な……。

「まー、アークというのも気になるニャ。ブラッドフックに良い風を送ってくれそうだにゃ」


「ブラッドフック?」


「ん? 本当になにも知らないニョか。ブラッドフックは我が母船のことニャ。ネコはずっと昔から安住の地を見つけて航海を続けてきたニャ」


「え、ここって海が近くにあるんですか?」


「にゃ、あぁ。お前、本当に何も知らないんだニャ。わかったニャ。後で見せてやるから、作業を手伝うニャ」


 そういってネコさんは垂れる水滴を貯めている瓶に近づいた。おそるおそる身構えるように瓶を覗き込んでから尺ですくいはじめる。

 すくった液体は、金色のハチミツのようだった。滴る水滴は水にしか見えなかったが、瓶にはたっぷり甘い香りを漂わせて金色の液体が蓄えられている。


「お前、この中から突然飛び出してきたニャ。びっくりしたニャ」


「そ、そうなんですか」


「そうニャ。危ないからもうやめるんにゃ」


 そんなこと言われても……という苦渋の声はなぜか「はいぃ」という力ないセリフに変換されて漏れ出ていた。


「お前、ビンに蓋をして袋に入れてくれニャいか?」


「う、うん。これってなんなんですか?」


「うーん。我々もよくわかってないニャ。でも、この約束の地には沢山湧く場所があるニャ。この乳蜜は食べても、酒にしても美味いニャ」


「へー、そうなんですか。」


「ニャふ。ちょっとなめてみるかニャ?」


「いいんですか?」


 興味に目をぱちくりとさせたわたしにネコさんはにやりと尺を差し出してきた。


「ブラッドフックはケチじゃないニャ。なめるくらい良いニャ」


 ネコさんにとってブラッドフックの名は気高い誇りのようだ。そして、乳蜜も貴重なものであることもうかがえる。

 わたしは、人差し指に付けて乳蜜を口にもっていった。


 それは、刺激のないハチミツのような味だった。香りの良い花から採取されかのような鼻通りの良い匂い。そして、喉には水のように爽やかに溶けていく。


「乳と蜜の流れる約束の地を目指して旅立ったブラッドフック号とカンボス号は、遂に見つけた大きな島で、この乳蜜とマナを見つけたニャ。それで、新たな町を作るため、降り立ったってんだけどニャ」


 ネコさんは空き瓶に全て乳蜜を詰め終わると、立ち上がった。


「ついてくるニャ」


 わたしは促されるままついていく。

 ごつごつとした岩肌を登っていくと、やがて地上に繋がる光が見え始めた。

 ネコさんはビンの詰まった袋を抱えつつも軽々と、登っていく。わたしも必死についていった。不思議と記憶の闇に葬られた自分の運動神経より体が軽い気がした。


 それはもうすぐ地上といったところだった。もうひと頑張り、と気持ちを入れ替えた頃、地上からラッパの音が届く。


 短く一回、長く一回の繰り返し。


「まずいニャ」


「どうしたんですか?」


「非常事態ということニャ。」


 ネコさんは足を震わせ、それ以上何も言うことはなく、高くジャンプした。

 みるみる遠ざかるネコさんを見送り、わたしは足を止めていた。

 危ないんじゃないだろうか。

 嫌な予感がここで待つように警告していたが、心の奥で何かが叫んでいた。アークの力なのだろうか。燃える炎が、わたしの体を突き動かした。



 頭を伸ばせば地上が見えるところまで来ると、空気を震わせるような音が響いた。


 さっきのわたしとネコさんの悲鳴なんて比べ物にならない、悪意ある咆哮があたりを包む。


 それに、負けないようにネコさんが何人かニャオーんと声を張り上げていた。


「フォーメーションBを組むニャ」「爪に気を付けるニャ」「弓の斜線に入るんニャない」

 絶え間なく声を掛け合い、何かと立ち向かっている。

 何が待ち受けているのだろうか。わたしは洞窟から、顔をゆっくり、出した。


「!!!!!」

 声にならなかった。

 目に飛び込んだのはコウモリの群れだ。

 でも、その風貌は規格外で、凶暴な眼差しがネコに注がれていた。正にモンスターというに相応しい形。


 ネコさんたちは、一度目を合わせた後、遂にこのモンスターに飛び掛かった。

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