覚醒
第2話 目覚め
走馬灯のような夢を見た。全てが上手くいって、愛と希望に満ち溢れた夢を。目を塞ぎたくなるような光景は一つとして無い。
だが、そんな穏やかなひとときもやがて終わりを迎える。全てはこの世界へと帰ってくる。
──ピピピピ、ピピピピ。
閉ざされた意識が、機械の無機質な音によって半ば無理やりに現実に引き戻される。一定のリズムで控えめに鳴り響いているのは、そうだ、目覚まし時計だ。彼女はその正体を知っている。あれは目覚まし時計という名前だ。
その音を避けるように彼女は身をよじらせて、ほとんど床に落ちそうになっていたベッドのシーツをやや強引に手繰り寄せる。
寝起きの弱い握力で思い切りシーツを引き寄せた時、何かが彼女の肘にぶつかった。
彼女は驚いて自分の右隣を振り返る。
──そこには見知らぬ男が裸で横になっていた。彼女と同じく目覚まし時計の音で起床したのだろう。寝ぼけ眼で彼女を凝視していた。
「きゃっ?!だ、誰……?!」
状況が全く呑み込めず、寝起きにも関わらず素早くベッドから起き上がると飛び退くように男と距離をとる。まどろむ意識は一瞬で覚醒していく。
「んん……。おはよう。どうしたのナツ?」
男は少しだけがらつく声で目覚めの挨拶をすると、シーツを蹴飛ばして大きく伸びをした。伸ばした手が長く伸びて、そのまま目覚まし時計を止める。
「どうしたのナツ。寝ぼけてる?こっちおいで」
やや潤んだ瞳で彼女に向かって両腕を大きく開いてみせる。
──誰だ?この男は誰?そもそもここはどこ?
彼女が目覚めたのは全体的に白っぽいインテリアで統一された、見覚えのない部屋だった。日当たりのいい部屋で、観葉植物があちこちに置かれている。コンクリートの壁の無機質さを緑が中和している。
「ナツ?大丈夫?なんか顔色悪いよ」
男がのっそりとベッドから起き上がり、彼女へ歩み寄っていく。幸い下着は身につけていたものの、上半身は裸だ。
「嫌……!ストップストップ!ストップ!来ないで!」
彼女は男に腕を突き出して、「近寄るな」という最大限の意思表示をした。
男は少し悲しそうに眉根を寄せて、ふわふわなセミロングの髪を後頭部へ向かってかきあげる。その仕草によって筋骨隆々な腕や胸元が強調される。
「誰……?あなた、私の知ってる人?ここはどこ?私、何して……」
思い出そうとすると酷く頭が痛む。彼女は側頭部を押さえてしゃがみ込んだ。
「ちょっと、本当に大丈夫?横になりな」
男はさっきよりも心配する気持ちを声に滲ませながら、彼女の肩をそっと抱きしめた。
彼女はその仕草に、所謂、安心感を感じた。誰かも分からない半裸の男に触れられているのに、全く嫌な気持ちはしなかった。
されるがままにベッドに連れ戻される。男が優しく彼女を寝かせてそっとシーツをかける。
「ねえナツ、本当に僕のこと分からない?何も思い出せない?」
さっきからこの男は彼女のことを「ナツ」と呼ぶが、そもそも彼女は自分の名前すら分からなかった。
「ごめんなさい、思い出せないの。あなたのことも、自分の名前さえも……」
自分のことすら何も分からないという未知の恐怖に彼女は焦りを覚えた。
「そっか、やっぱり……。で、でも無理に思い出そうとしなくてもいいんじゃない?」
男の声は僅かに上ずっていた。
「でも、自分の名前と、もちろんあなたの名前も知りたいし、他にも色々……」
「君の名前は
──恋人同士?夏海は自分の名前などよりもそちらに驚いた。だから自分と同じベッドで寝ていたのか、と合点がいった。
「私は夏海、あなたは……ケイ君?でいいのかな?」
夏海はたった今与えられた情報を声に出して確認した。
「そうそう。そうやって呼んでくれてたよ」
圭悟は大層嬉しそうに顔を綻ばせた。
夏海はその笑顔を見た瞬間、また頭痛に襲われた。何か、記憶の片隅に眠っている何かを刺激される度に痛みが出るような気がした。
そんな夏海に気付いているのかいないのか、圭悟は屈託のない笑みで夏海を愛おしそうに見つめている。
夏海は最初、圭悟を誘拐犯だとかストーカーだとか、事件の犯人なのではないかと考えたのだが、圭悟の笑顔を見ているとそんな疑惑は自然と薄れていった。
だが、まだ思い出せないことの方が圧倒的に多いのも事実だった。夏海は完全に警戒を解いてしまうことに危機感を感じ、僅かな緊張感を保ったまま、圭悟を頼りに自分の記憶を探っていこうと思った。
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