歪な愛の片鱗

阿久津 幻斎

序章

第1話 記憶の扉

 この世界に平等など無い。

 生まれた時から手にしているもの、死ぬまで手に入らないもの。それらには確かにランダム性があって、人々の意志とは無関係に働いている。

 つまり、誰にも選べないものは絶対的にこの世に存在しているということ。決定権など最初から無いに等しいのだ。

 そんなことを言われなくても「彼女」は身に染みて分かっていた。理屈や理想論では覆せない現実があることは分かっていた。

 目の前で全て失い、全てを諦め、全てを受け入れる時の己の無力さを。変えられない運命に舵をとられ、自分の人生の中で身動きが取れなくなる惨めさを。

 そして、それならばいっそのこと全てを忘れてしまおうとする投げやりな思考も、全て知っている。

 全て知っていた。

 だが、今はもう、忘れた。忘れたいと、心の奥でそう強く思った。

 死ねないのなら生きるしかない。その為に全て忘れるのだ。これは諦めではない。最後の抵抗だ。未来を選べないと知りながらも、どうにか、一矢報いるための抗い。

「彼女」は強い決意を胸に、固く瞼を閉じた。

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