第13話 政略の婚約だから?
俺の呼び出しに応じたミランダは上機嫌で現れた。
薄黄色の生地に緑の刺繍を施したドレスはミランダが好んで纏っていた物。
俺と同じ色の髪には花まで飾っている。
華やかな装いで現れた従兄妹の姿を冷ややかな目で見下ろす。
座るよう短く命じて向かいに腰を下ろす。
長々と話をするつもりはないので単刀直入に切り出した。
「俺からだと偽ってクロエ嬢にドレスを送っていたな」
ミランダの家で購入されたドレスの一つがクロエ嬢に贈られた。それだけなら問題はない。
しかし俺の名を勝手に騙り、クロエ嬢が勘違いをするように誘導したことは許せることではない。
ジェイク殿がクロエ嬢から聞き出した話から判明したミランダの関与。
あの日劇場で相対したときに感じた違和感。
最初こそ現実とは全く違う虚構を信じ話していると思ったが、劇場の支配人たちの話に困惑し青褪めた彼女からはありもしない妄想を信じ込む狂気は感じられなかった。
「その他にも俺の気持ちがクロエ嬢にあるかのように吹き込んでいたようだが、なんのためだ」
親しく交流していたわけでもないクロエ嬢がドレスを求婚の合図だと思ったのはミランダがクロエ嬢に俺の気持ちが彼女にあるように吹き込んでいたからだった。
それを聞いた時はその行動の不可解さに怒りよりも困惑が湧いた。
「何って、ただ友達の恋を応援したかっただけよ。
ちょっと勇気づけてあげようと思ったの」
事実と違うことを教えてすでに嫁ぎ先の決まっている友人の心を惑わすことが応援だなどとふざけたことを言う。
「あの日劇場に俺がいるとわざわざ教えたのも応援だと?」
「まさかクロエがあんなことするなんて思わなかったわ」
「クロエ嬢に会うために日を合わせたとの虚言を吐きながらそんなつもりがなかったと」
もう少しマシな言い訳はないのか。
「クロエももうすぐ結婚してしまうし最後の思い出にアーサー様に合わせてあげたかったの。
ちょっとデートの邪魔になったくらいでそんなに怒らないで」
本音は後ろの方だろう。邪魔になると思ってクロエ嬢をけしかけたのか。
本当にそれだけが理由なのか?
それまでのクロエ嬢への虚言のこともある。なんのためにという思いが強い。
「何がしたかったんだ。
以前にシャロンがトレイル家や俺への不満を口にしていると吹聴していたこともそうだし、俺とシャロンの仲に不和を撒き破談に持ち込むつもりだったのか?
それとも」
「そうじゃないの!」
もう、アーサー様はわかっていないんだからと頬を膨らませるミランダ。
「ちょっとした意地悪にそんなに怒らないでよ」
「意地悪?」
そんな言葉で済ませられる内容ではないと理解していないのか。
俺にシャロンの悪口を吹き込んだのはともかく、クロエ嬢へ俺が気持ちを傾けていると思わせ、ドレスまで送るのは度が過ぎている。
「だってズルいんだもの。
クロエなんてちょっと仲良くしてあげたら友達面して家まで来て、偶然のふりしてアーサー様に会おうとしたのよ。
男爵家の血を引いているだけの平民のくせして図々しい。
シャロン様だって同じよ。
私の方が長くアーサー様の側にいたのに、急に出てきて婚約者なんてズルいじゃない。
あんな風に自分からアーサー様の色を纏おうとするだけじゃなくて、自慢するように噂をばら撒くなんて最低だわ」
動機を聞いても全く理解できなかった。
身勝手なのは自分だろう。他人に一方的に嫉妬や悪意をぶつけるだけで自らは何の努力も働きかけもしなかったくせによくそんなことが言えるなと思う。
家のために自分ができることを行い、いつも笑みを絶やさないシャロンとの違いがやけに目につく。
「それがシャロンへの嫌がらせの動機か。
トレイル家の女主人になる気があったようには見えなかったが」
何故今更と思う。
俺に気持ちがあったようなことを言うが、身近な人間への独占欲を勘違いしているだけだろう。
幼い頃からの態度を思い出しても身内への甘えと親しみを思い違いしているようにしか思えなかった。
シャロンから向けられる温かく優しい想いとは全く違うと断言できる。
「だって従兄妹同士だもの、何したって無駄でしょ」
「そうとは限らない。
例えば他家に行儀見習いに行く、茶会を開き顔を広げるなどの他家と縁を繋ぐ能力を示す方法もあった。
他にも領地で地縁を味方につけたりな。
家にとって有用だと示せば考慮の対象にはなっただろう」
「そ、んなの知らない……。
なんで言ってくれなかったの!?」
「何故そんなことをわざわざ教えなければならない」
望みを叶える方法など自分で考えるものだ、あるいは誰かに方法を聞けば良い。
諦めたのなら、
ミランダの行いは実に身勝手なものだ。
「だって……っ」
「行動に意味がないのかと言われたから答えただけで、俺は君に伴侶になってほしいわけではない。
そもそも俺とシャロンも政略的な婚約だ。
お互いに歩み寄ることができたから良好な関係になれただけで、前提としてあるのはお互いの家に利をもたらすこと。
そこに感情が伴ったのは幸運なことだが、それがなくとも家を繁栄させるための努力を、俺も彼女も自分のためにお互いのためにしただろう」
たとえ間に愛が生まれなかったとしても成すべきことを成すだろう。そこに疑いはない。
今のような信頼し合える関係になるのに時間はかかっただろうが。
視線でお前とは違ってと告げるとミランダが声を荒げた。
「なんで……、なんであの人がそんなに良いのよっ!
ただの政略相手でしょう!?」
「そうだな、政略で結ばれた婚約相手だ」
何故シャロンを好ましく感じるか。
簡単なことだ。
自分がすべきこと、できることを理解し行動する。それ自体は普通のことだ。
それを心から楽しそうにやっている。
いつも笑みを浮かべているのは他者への配慮だと言っていた。
けれど彼女の笑みはそれだけではなく何かを見るとき、いつもキラキラと楽しそうに瞳を輝かせている。
そんな彼女に自然と惹かれた。
そうよ!と声を荒げるミランダへ逆だと告げる。
「婚約を結んでくれた親父と俺を選んでくれた彼女のお父上に感謝している。
でなければ彼女は他の誰かに望まれてそいつの手を取っていたかもしれないからな」
婚約者として出会ったからゆっくり歩み寄る余裕があったんだ。
そうでなければ、シャロンはもう誰かの腕の中にいたかもしれない。
想像だけでちり、と胸を焦がす嫉妬に我ながら呆れる。
彼女なら、俺でなくとも良好な関係を築くことができただろう。
けれど今向けられている親愛が他者に向けられるなんて想像もしたくない。
「俺の婚約者がシャロンで本当に良かったと思っている」
もちろん自領の特性に関する意見交換、他家が取り組んでいる産業の話など、役立つと感じることも多くある。
だがそういった利害だけでなく、一緒に出かけた後にお互いの気になったところを話し合う楽しさや、シャロンが身に着けているものがどういった意図で選ばれたものか聞く興味深さを知ることはなかっただろう。
時折なんの意図もなく見せられる好意は、狙ってやっているのかと思うほど的確に俺の
惹かれない方がおかしい。
シャロンが良いと感じるのは育ててきた感情と冷静な判断で、ミランダを拒否するのは培ってきた次期当主としての理性だ。
何の努力もせず与えられなかったことへ不満を言うだけの人間を望む者はいない。
感情と理性を混ぜ合わせ決めた裁可をミランダへ告げる。
「トレイル家として命じる。
ピークス家の当主に嫁げ」
跡継ぎもすでに家業を手伝っており、数年後に引退することが決まっている。
生糸の生産で知られるピークス家は商家に近く、当主を引退した後は各地を周り販路の確保や拡大に動くそうだ。その時に身の回りの世話をする者がほしいと打診があり、これを受け入れた形となる。
「婚姻は当主交代の後になるそうだが、妻としての心構えを身に付けてもらうため行儀見習いという形で婚姻までの数年間を過ごしてほしいそうだ。
すぐに準備をして迎え」
遅くとも一週間後には先方の領地に入れと申し渡す。
出発まで数日間の猶予がある。家族と別れを惜しむ時間を与えたのは両親への温情だ。
自分としては今すぐにでも馬車に押し込んで送り出しても良いくらいだが、それは先方にも迷惑だろうから自重することにした。
「なっ、なんで……!?
どうしてそんな酷いこと言うの?
引退する年寄りに嫁ぐなんてお父様やお母様が許さないわ!!」
「君の両親には先に話をしている。
貴族の女主人には不足している君を受け入れ教育まで施してくれる相手だ、文句など言う訳がない。
お二人とも快諾してくれたよ」
頼みの綱の両親が承諾したと告げるとミランダが青褪めた。
彼女にはいつまでも自分に甘い両親しか見えていないのだろうな。いくら甘くとも限度というものがあるのに。
「その数年間をどう過ごそうと君の自由だ。
学ぶことを覚えて夫に尽くすのも、自堕落に過ごし見放されるのも、好きに選ぶといい。
君の両親は婚姻を祝う席に呼ばれたいだろうがな」
婚姻前提で行儀見習いに出していた娘が放逐されるのは耐えがたいだろう。その頃にはミランダはすでに嫁き遅れだ。家の繁栄に貢献しない者の面倒を見続ける余裕はあの家にはない。ピークス家よりも落ちる家へ嫁ぐしかないが、良い嫁ぎ先を見つけるのは難しくなってくる。
初婚なら良くてあまり旨味のない男爵家かそこそこ羽振りの良いまともな商家。
あるいは子爵家男爵家の後妻、これも悪くない。
どこか上位の家に働きに出るか修道院に入ることもできなくはないだろうが、真面目に勤め上げる気のある者はもっと若いときから仕えている。これから勤めるのではあまり良い待遇を受けるのは難しいだろう。修道院も入る際に寄付金が必要になる、破談にしたピークス家が払ってくれる金で全てが賄えればいいが……。
全ては
「トレイル家の女主人になるシャロンに悪意ある振る舞いをする縁戚は不要だ。
今回のことは家同士の契約を反故にしかねない行為で、クロエ嬢の婚約者からも苦情を受けている。
これは当主の承認を得た決定事項だ。
……馬鹿なことをしたものだ」
友人だと言いながら相手を貶めるような行為をしなければ俺やジェイク殿の怒りを買うこともなかったのに。
結果的に本人が望む通り、努力をしなくても良い道が提示されたわけだが。
これからも今までと同じように過ごすのなら、少しずつ身を落としていく。それはもう自分たちの与り知らぬことだ。
連れていけと命じて屋敷から退出させる。
待ってそんなつもりじゃなかったのと騒ぎながら追い出される従兄妹の懇願が聞こえても憐みは浮かんで来ない。醜悪に泣き叫ぶ姿が消え胸の中の黒いものを吐き出すように長い息を吐く。
大切な身内に手を出され燻っていた怒りが、僅かに静まった気がした。
この結果で満足してくれるだろうか。
俺の関心はすでにこの結果が
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