第11話 縁とはこうして増えるもの
深い緑の封筒を彫刻の施されたペーパーナイフで開ける。
薄く蔦の模様が入った銀色のペーパーナイフは初めて自分で依頼して作った物でずっと気に入って使っている。
中から出てきた薄黄色の便箋はこちらの趣味に合わせたものなのでしょうね、華やかで素敵だわ。
便箋の色を変えるだけで印象が変わるものだけれど、アーサー様にはどんな色で届いたのかしら。
お詫びを綴った手紙はクロエ様の婚約者から届けられた物。
丁寧な文面からかなり心を配って書かれたことが窺える。
ちなみにクロエ様本人からは届いていない。
それを見越した内容がこの手紙には書かれていたので一応面目は立っているので気にはしないけれど。
彼女の言動にはいろいろと不可解なことがあるのでそちらが気になっている。
改めて謝罪をと書いてあるのでそれまでに確認したいことがあった。
書いていた手紙の返事がいくつか届いているのでそちらにも目を通す。
考えることが多くて少し気持ちが重かった。
◇◇◇
謝罪の場を設けたのは街中のカフェ。とはいっても貴族御用達で商談や顔合わせなどで利用されることも多く、人払いをしてもらったり貸し切りにできたりと融通が利くので私も利用したことがある。
だからここを選んだのでしょうねと貸し切りにされているらしき店内を見て得心する。
落ち着いた佇まいの男性、クロエ様の婚約者-ジェイク様-は給仕が下がるのを待って頭を下げた。
「謝罪の機会をくださり感謝します。
私の婚約者がご迷惑をおかけしたこと、また暴言を吐きそのお心を傷つけたこと、大変申し訳なく感じております」
あまりに真っ直ぐ謝られて目を瞬いた。隣でアーサー様も静かな目でジェイク様を見ている。
謝罪に関しては私もアーサー様も受け入れるつもりでいた。こうしてわざわざ場を設けたのもジェイク様を尊重し遺恨を残さないためである。あなたの謝罪はきちんと受け取りました、誠意ある振る舞いをありがとうございます、今後もお付き合いしましょうね、と。簡単に言ったらそんな内容で、拗れることなんて想像するわけもなく、それはジェイク様の方もわかっているはず。なのにあまりにも真摯に謝られて少し戸惑うわ。
「ジェイク殿のお気持ち確かに受け取りました。
私も婚約者との逢瀬に水が差されたこと以外は気にしておりません。
こうして場を設けていただいてかえって気を遣わせてしまったかと思っています」
若干惚気じみた言い回しだけれどジェイク様の気を軽くするための戯言ですね。ジェイク様も気の抜けた表情を見せたので思惑が当たったといっていいでしょう。
真面目なアーサー様がそんな言い方をしたことに驚きはあるようですけれど。
こうした言い回しを覚えたことでアーサー様にさらなる包容力が備わっている。他の女性に発揮されたら少しまずいかもしれないわ。
嫉妬じみた考えが浮かんだことを社交の笑みで隠して謝罪を受ける旨をジェイク様に伝える。
ほっとした様子のジェイク様に気になっていたことを聞くことにした。
「ジェイク様はクロエ様を大切に思っていらっしゃるようなのでお聞きしたいのですが、クロエ様の思い込みはご家族からなのでしょうか?」
私がそんな問いを向けるのが意外だったのか虚を突かれた顔で私を見つめた後、頷いた。
「さすが社交界の次なる女王ですね。
情報収集能力と慧眼にはすべてお見通しのようです」
「それほどの身では……。
次なる女王など過分な褒め言葉です。
どなたかに恨まれてしまいそう」
我が家よりも高位の貴族に目を付けられないよう細々とやっているつもりなのだけれど。
失礼しましたと謝るジェイク様はおべっかを使ったつもりはないらしくすぐに本題に戻る。
「すでにお気付きのようですが、クロエがあのように思い込むようになった原因は母親にあります。
商人に嫁いだ貴族令嬢、件の物語の主人公となった母親が」
クロエ様の母上が件の物語の元になった貴族令嬢とは。
15年ほど前に流行ったと聞いたし物語として語られるまでの数年のずれはあっても確かに年の頃に矛盾はない。
それに……。
「確かクロエ様はお父様を亡くされてお母様の実家の男爵家にお世話になっていましたね」
引き取られたといっても養女になったわけではなく不安定な立場だ。
クロエ様は貴族の血を引く平民にすぎない。
「ええ、クロエの母親が嫁いだのはそれなりの規模の商会でしたが、自身で経営できるわけもなく、運営は亡くした夫の親族に譲り、代わりに自身と娘が困らないだけの遺産を手にして円満に実家に戻りました」
実家に戻ったのは他に行くところがなかったからでしょうね。
「しかし、困窮している実家に多額の遺産を手にして戻ったことで実家の家族とぎくしゃくするようになったようでして」
資産家に娘を嫁がせねばならないほど困窮していた男爵家。
クロエ様のお母様は充分に役目を果たしていたけれど旦那様が亡くなったことで援助が途絶えた。
今の当主は代替わりしてクロエ様の伯父様になっているとか。
援助をもらいながらも家を立て直せずまだ困窮しているのなら遺産を得て戻ってきた妹に助けてもらおうと考えたのでしょうね。
けれど、女性二人が困らないように暮らせる金額と男爵家の立て直しに必要な金額は全く違うわ。
「さぞお困りになったことでしょうね」
再婚して実家を出て行くのが一番良い道だとは思うのだけれど、あの物語のような愛情深い家庭を築いていらっしゃったのならそれも心情的に難しいのかもしれない。
市井に下るのには人の助けがいるでしょうし、他人事ながら困難な道を歩まれていると同情するわ。
「いえ、実のところ元夫であった商人とは冷えた関係だったようで貴族に戻ったことは喜んでいるようなのです」
物語と事実は違うらしい。それはそれで残念ね、茶会での話題にはならなそうだわ。
クロエ様は平民のままですが、お母様は貴族として生まれているから復籍も簡単であり、すでにそれを済ませているとか。嫌な話だわ。
「それで今度はクロエ様をご自身のように嫁がせて実家を援助させようと?
時々は聞く話ですが、嫌な考え方ですね」
貴族は家を絶やさないようにを第一に考える以上ある程度そういった婚姻が存在するのは仕方のないことだけれど、クロエ様のお母様を嫁がせた時も援助を受けて、さらにクロエ様を援助の代わりに嫁がせるなんて。
噂程度だけど男爵家の話を聞く限り特別に援助が必要になるような災害などは起きていないと聞いている。
それでも領地の経営が成り立たないのなら、才能がないのだと思う。早めに能力のある人へ譲るか補佐をできる人を置いて学ぶべきではないかしら。
無能は上に立つべきではない、と冷たいことを考えてしまうのはお父様の影響ね。
能力がないならないで人に従って生きることを覚えれば良い。歯車になることは何も悪いことではないし、父や私も大きな定義で言えば歯車の一つであることに変わりはない。
身の程を弁えない人のなんと迷惑なことか。
困ったものね、と心の中で呟いた。
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