第9話 困惑の乱入者


 劇は多分良かったのだけれど、正直繋いでいた手の方に意識が集中してしまって内容が曖昧だった。

 しかも時々アーサー様が手を引いてくるものだから、舞台を見ている時間よりも見つめ合っていた時間の方が長かったんじゃないかと思う。

 帰り支度の騒めきを聞きながら席を立つタイミングを計る。

 人の波が落ち着いたころアーサー様に手を引かれて立ち上がる。

 劇場内の人はまばらになっていて歩きやすい。

 アーサー様が手を放してくれないのをいいことに寄り添ったまま馬車に向かう。

 話せる感想がないので2人とも黙っていたけれど、間にある空気は暖かく甘やかなものだった。


「今日はカフェには寄れないが……、少しの遠回りを君は許してくれるだろうか」

「ええ、少しだけなら」


 お父様に言い訳が立つくらいなら。

 そんな誘いに応じてしまうくらいには良い雰囲気だった。


 ではゆっくり走らせることとしようかと口元を緩ませるから、私も微笑みを返してしまう。

 喜んでることが伝わったのかアーサー様の笑みが深くなる。

 うれしいのに、ときめき過ぎて胸が苦しいわ。

 穏やかな時間を切り裂いたのは、甲高い女性の声だった。


「アーサー様!」


 アーサー様の名を呼んだ女性は親しげに近寄ってくる。

 まるで愛しい恋人に会ったような反応だ。

 対してアーサー様は困惑した無表情を浮かべている。

 薄い表情の中に『なんだ?』と『邪魔だ』が同居していて、こんな機微がわかるようになったのかと感慨深い。

 そんなアーサー様の様子に全く気がついていないように、ミランダ様のご友人、クロエ様はうれしさでいっぱいな笑顔を浮かべた。

 私とアーサー様は最後の方に出てきたのにわざわざ待ち伏せしてたのかしら。

 アーサー様と手を繋いだままの私を無視して彼だけを見つめるクロエ様。良い感じはしないわね。

 この前ミランダ様に言われたことが蘇る。

 もやっと嫌な気分は湧いてくるけれど、アーサー様も私を紹介するつもりはないようなので黙って見守る。


「お会いできてうれしいです。

 一階席からいらっしゃるのが見えたので出て来るのをお待ちしていました」


「なぜ? 今日はミランダは来ていない」


「ミランダはいいのです、いつでも会えますもの」


 ミランダ様がいなければクロエ様のこの行動は眉を顰められるものなのだけど。

 問う声は硬質で親しみを感じさせないものなのにクロエ様は気にした様子もない。


「連れはどうした、婚約者と来ていたのを見たが」


 私は気がつかなかったけれどアーサー様はクロエ様の存在に気が付いていたみたい。

 少し前に喧嘩をしていたと噂になっていた婚約者ね。

 一緒に劇場に来たのなら仲直りしたのかしら。

 それにしてはアーサー様を待ち伏せしたり軽率な行動を取るわ。


「友人を見つけたからと先に帰ってもらったのです。

 ねえ、せっかく会えたのですからどこかでゆっくりお話ししましょう!」


 理解不能な生き物を観察する気分になってしまう。

 私たち婚約者同士でもこれ以上は共にいるのは障りのある時間だというのに、、だなんてありえない。

 気持ち悪い。

 平然とマナーやルールを侵す人に共通して感じる不愉快さ。

 もちろん時と場合により我を通す必要があることもあるのはわかる。けれどこれは違う。

 アーサー様も眉を寄せて不快そうな顔をしている。

 短い付き合いでもアーサー様が真面目な方なのはわかるのに、どうしてそんな誘いをかけられるのか、本当に理解不能だった。


「すまないがその発言の意図がわからない。

 ミランダはいないと言ったし、ミランダがいてもこの時間に一人になるべきではない」


 至極もっともなアーサー様の言葉はクロエ様には伝わらない。

 なぜそこで喜んでいるのかしら。貴女は友人ではないと言われたのに。

 まさか心配された、なんて受け取ったのかしら。


「すまないが彼女の連れを呼んでくれ」


 話の通じないクロエ様から視線を移して劇場の従業員に呼びかけるアーサー様。

 こちらを見守っていた従業員が一礼して急ぎ足で去っていく。

 彼女は婚約者は帰ったと言っていたのにまだいるかしら、と疑問を上げると「おそらく」と答えてくれる。


「俺なら帰れと言われても先には帰らない。

 終わるのを待って一緒に帰るか、帰ったのを見届ける。

 それがエスコートする者の責任だ」


 確かに、アーサー様ならそうするでしょうね。

 何か事情があって離れなければならないときは他の者を付けて送り届けるとかしそうだわ。

 そんな人だから父も夜間に及ぶ観劇の許可を出したのだと思う。

 観客が粗方帰ったためか他の従業員も集まってくる。


 でも、もし本当に彼女を置いて帰っていたらどうしようかしら。

 馬車もなければ彼女の家に連絡を入れて迎えに来てもらうしかないわね。

 面倒だわ。

 けれどアーサー様の態度を見てもごく一般的な扱いでしかないし、とてもミランダ様が言っていたような特別な想いがあったようには見えない。

 アーサー様は素直な質だし婚約者の前だから取り繕っているのではないと思う。

 クロエ様がアーサー様に特別な想いを抱いているのは見て取れる。

 けれどその逆は無さそうね。何なら迷惑そうだし。

 劇場の人の手前か抑えているけれどわずかに眉間にシワが寄っている。

 繋いだ手をきゅっと握るとこちらを向いて表情を和らげた。


「すまないがもう少し待っていてくれ。

 遠回りはできないが一緒に帰ろう」


「あら、でしたら送ってくれたお礼にお茶を飲んで行ってください。

 もちろん二人きりではないですが」


「なるほど、釈明の機会をもらえて感謝するよ」


 きっと執事が話を聞いて父に伝えてくれるでしょう。遅くなったのは不可抗力と。

 微笑み合うと気分が軽くなる。


「なによ……。

 望まれたわけでもない政略相手のくせに」


 目の前で微笑み合っていたらこちらを睨みつけてきた。


「アーサー様が優しい方だからって図々しい!

 私の方がふさわしかったのに、お父様が勝手に婚約なんか決めるから!

 あなたなんか適当に選ばれただけのくせに!!」


「事実が一つもないな」


 呟くように落とされた言葉に笑ってしまった。

 ますますクロエ様が激情を放つ。


「どうしてですか、あんなに優しくしてくれたのに!

 私のことが特別だからでしょう!?」


「優しく?」


 記憶に無いらしい。

 そもそも会ったことすらミランダ様のお宅で数回のことだという。

 アーサー様が無意識に他人に気を持たせる行動を取ることなんてあるかしら。


「アーサー様、優しくしたかは主観が混ざるので置いておいて、彼女に何かしてあげたことがあったのではないですか?」


 心当たりがないと眉を寄せるアーサー様にアドバイスをしつつ周りを見回す。

 劇場の従業員たちは困ったようにオロオロしている。

 片付けをして帰るところだったでしょうにいつまでも邪魔をしていて申し訳なくなってくる。

 別に私もアーサー様も悪くないのだけれど。

 ちなみに一緒に連れ帰るという選択肢はない。

 そこまでの義理もなく、彼女の様子から絶対に良い結果にならないのが見て取れるもの。


 考えていたアーサー様が顔を上げた。


「そういえば以前街で……」


 クロエ様とミランダ様が一緒に買い物をしているところに遭遇し、雨上がりの道路でドレスを汚してしまったクロエ様をミランダ様と共に衣料品店へ案内したことがあるという。

 汚れた衣装のまま外を歩くことはできないだろうからと馬車を呼びにいってあげたと。

 ごく普通の行動ね。紳士なら当たり前の行動。

 なぜ勘違いをするのかわからないほど当然の行動だわ。


「そこで汚れたドレスの代わりにと新しいドレスを贈ってくれたでしょう!?

 私すごく嬉しくて、あの時のドレス今も大事にしてるんです!」


 必死に言い募るクロエ様にアーサー様の眉間の皺が深くなった。

 そんな不名誉なことをするわけがあるかと言いたげだわ。


「俺は馬車を呼びに行っただけでドレスなど贈っていない。

 なぜ婚約者でもない令嬢にドレスを贈ると思うんだ。

 考えずともありえないとわかるだろう」


「普通は家族や婚約者でもなければドレスは贈りませんものね」


 一般的にドレスというのは他人に贈るものではない。

 婚約者であっても贈るのは数回程度。軽はずみに与えるなんて考える方がおかしいのだけれど。


「そんなことないわ!

 意中の人に好きなドレスを選んで良いって言うのは求婚の意思を伝える合図だもの!」


「聞いたことがないな、どこの国の習慣だ」


「ええ、聞いたことありませんね、どこの風習でしょう?」


 どうもクロエ様は本気でそう思っているらしい。

 困惑していると控えめな声で助け舟が入った。



「あのぅ、失礼ですがよろしいでしょうか?」


 周りで見守っている劇場の従業員の中でも一際立派な格好をしている男性、おそらく支配人が声をかけてきた。


「お若いお二方はご存知ないかもしれませんが、一昔前に流行った物語の台詞がありまして……。

 平民の豪商と没落貴族の令嬢との恋物語でしたが、その中に。

『好きなドレスを選んでください。

 私に与えられるのはドレスや宝石のような物だけ。

 そのドレスを着て行く場や、貴族としての誇りある生活は差し上げられません』」


「『それでも良いのです!

 もう一つ、あなたの愛があれば。

 私の方こそ何も差し上げる物を持たない没落貴族の娘に過ぎない!

 あなたに差し上げられるのはこの身と心のみ』」


「『ああ!

 あなたの愛に勝る物など何もない!

 どうか私の元へおいでください!』」


 そして愛を確かめ合った2人は手を取り結ばれたと。

 さすが劇場というべきか、途中から他の方も混ざって演じてくれた。

 支配人も良い声だわ。


「皆様、素敵な演技でしたわ。

 それで、その劇を知っていたから勘違いをしたということかしら」


「いえ、これは舞台にはなっておりません。

 物語として一定の人気はありましたが、舞台にするのは障りがありましたので」


 支配人の否定にアーサー様も同意する。


「そうだろうな、舞台を観に来るのは貴族が中心だ。

 没落貴族の令嬢が金と引き換えに豪商に嫁ぐ話では集客が見込めないだろう」


「その通りでございます。

 舞台関係者からは見向きもされませんでした」


 確かに二人の言う通りだわ。

 貴族の娘なら物語と同じ境遇になったとしても自信を持って嫁いでいくでしょう。

 金銭や援助と引き換えだとしてもそれらを引き出す価値が自分にあると知っているから。

 物語中、差し出すものが何もないと世迷言があった けれど、その身こそが替えがたい価値を持つ。


「しかし一部で人気があったことは事実でして、『好きなドレスを選んでほしい』が平民の間で求婚の言葉として流行った時期がありました。

 それまでは花嫁やその母親が縫い上げるのが主流でしたが、裕福な家などで結婚のお披露目に着る衣装は花嫁の希望の物を花婿が贈るという潮流ができたのです。

 流行ったのは15年くらい前の話ですが、今でも求婚の言葉として使われることがまれにあります」


 お父様から少しだけ聞いたことがあるかも。

 昔、既製品の花嫁衣装が流行ったときに見かけは派手で安価な品物が売れた時期があったと。

 流行りには乗ってもすぐ廃れそうだと思って販売する衣装はシンプルな物にし、代わりに小物を華やかな物で揃え、衣装を買った方にはおまけとしていくつか選べるようにしたことでよく売れたとか、流行りが終わっても要らない在庫を抱えずに済んだと言っていた。お父様は本当に商売上手だわ。


「平民の間で15年程前に流行った求婚ですか……」



 ――……。



 ロビーに無言が落ちる。


「どこでそんな偏った知識を得たんだ?」


 アーサー様が口に出した疑問にその場の全員が同意した。



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