第8話 夜の観劇


 エスコートのお礼をしたためながらぼんやりと今日のことに思いを馳せる。


『あなたなんかよりずっといい相手だったんだから!』

『アーサー様はね、クロエが好きだったの』


 首を振って頭から払う。

 シャロンの方が良い相手だったからシャロンが婚約者になった。そちらの方が真実だと思う。

 だってそうでなければ2人は婚約していたはず。

 けれど、『アーサー様にとっての』と注釈をつけたらどうなのでしょう。

 アーサー様にとって特別な相手だったなら。

 夜会の後送ってくれたときに何故聞かなかったのか、胸の中がもやもやする。

 ガーベラの飾りを見ながら贈ってくれた時のことを思い出す。

 私の思いや行動を考えて贈ってくれた品物。

 側に置いてほしいと願われたこと。

 そして今日の、もらった飾りが宝物だと伝えたときの嬉しそうな顔。


 アーサー様は不誠実なことをする方ではない。

 今もクロエ様に想いを残しながらそのような言動をするとは思えなかった。

 気持ちを切り替えてお礼状を書き終える。

 今度会ったら聞いてみよう。

 もやもやした気持ちを抱えてるのは私らしくない。

 なによりまっすぐに私を見てくれる瞳を疑いたくなかった。




 ◇◇◇




 深い赤色のドレスを身に着け髪を結ってもらう。

 よく手入れをされた艶やかな髪は複雑な編み方などはしないでシンプルに仕上げ、代わりに華やかさが出るようレースやリボンを使った髪飾りを着ける。

 未婚の令嬢だから許されるような可愛らしい飾り。そのレースやリボンに隠れて小さな花が咲いている。

 鏡を見てその出来に頷く。

 どこからどう見ても愛らしい。今日の逢瀬を楽しみにしていたと衣装から伝えるような装い。

 常になく力の入った支度に緊張が高まっていく。

 社交シーズンはお互いに忙しく最初の夜会以外は家族と参加することになったため今日は久々の逢瀬となる。

 この前ミランダ様から言われたことを聞いてみると決めたら衣装にも力が入ってしまった。

 対抗心、かしら。

 自問するけれどはっきりした答えは出てこなかった。

 時間ちょうどに迎えに来たアーサー様と向かうのは劇場。

 評判の舞台なので楽しみだった。


「珍しく品数が少ないな」


「ええ、目新しいものはこのドレスくらいかしら」


 気を抜いているわけではなく髪飾りに目を引き付けるため、他をシンプルにしている。

 新しいものはドレスに使われている布の織り方くらいかしら。

 光が当たると波打つような模様が見える布は父が母にと作らせた特別なものだ。

 飾りの少ないドレスだからこそ織りが際立つ。

 それを生かすために他の装飾品もシンプルに仕上げているのだと見た人は思うことでしょう。

 本当は、髪飾りに視線を誘導するためなのだけれど。

 ボックス席について始まる前の高揚した囁き声に耳を澄ます。

 この臨場感が舞台への期待を高めてくれる。


「今日は誘いに応じてくれてありがとう」


 階下の人の動きを眺めているとそんな言葉が耳に入った。

 顔を上げるとアーサー様がこちらを見ている。


「夜の誘いに応じてくれたのは初めてだな。

 ようやく信頼を得たみたいでうれしい」


「その言い方は誤解を招くので止めてほしいです」


 夜の誘いだなんて深読みしたい人に聞かれたら面倒だわ。

 婚約者同士の会話なのをわかっていれば邪推もしないでしょうけれど。


「失礼、日が暮れてからの外出はお父上の許可が出なかったからな。

 一年近く経ってようやく少しは認めてくれたのか思うと感慨深い」


 アーサー様の言い方がおかしくて笑ってしまった。

 父は別にアーサー様を認めていないわけではないと、とっておきの秘密をばらす。


「父は劇場で母を口説き落としたそうですから、私のことも心配になってしまうのでしょう」


 婚約者候補として顔合わせしてすぐ父は母を気に入ったらしいけれど、母はあまり気乗りしなかったと聞いている。母方の祖母は歴史ある名家だったせいか、伝統や格式といったことを大切にしていたと聞く。

 母もその影響を受け、当時領地の商会を支援することで次から次に流行りを作り出し家を成長させていた父とは合わないと考えていた。

 父は母の好きな古典の劇をやるからと誘い、舞台を見た母に語ったという。


『古典が尊ばれるのは人々の心の深いところに訴えかけるからだ。

 私もこの演目は何度も見ている。

 本当に素晴らしいと思う。

 しかし、古典の作品が長く広く愛されるのはなにも忠実に原典を守っているからじゃない。

 劇中、旅に出た主人公が恋人に思いを馳せるシーンがあっただろう?

 あのシーンの演奏には西方から伝わったばかりの弦楽器を使用しているんだ。

 物悲しい良い音色だったろう?

 ただ頑なに原典を守るだけでなく、新しくても良いものを取り入れることで作品がさらに輝く。

 そうして大勢の人が手を加え磨き上げていくから、より素晴らしいものになっていくんだ。

 私は、私たちの縁もそういったものになると信じているよ』


 その言葉にすっかり口説き落とされてしまったわ、と母は語っていた。

 時々ケンカもするけれど仲の良い両親は私の自慢だ。


「お2人の仲の良さは有名だが、そんなエピソードがあったとは」


「ええ、私の今日のドレスの布地も元は父が母のために作らせたものなんですよ」


「そうだったのか。

 ……しかし難しいな」


 何がですか、と問おうとした言葉が途中で止まる。

 アーサー様の大きな手が耳をかすめ、髪に触れる寸前で動きを止めた。


「こんなに可愛らしいサプライズをしてくれる婚約者が隣にいたら劇に集中できない」


 そういって髪飾りのリボンの下にひっそりと咲いているガーベラをつついた。


「きっと身に着けてくれることはないと思ったのに、わざわざ?」


「今日はお友達とのお出かけではないですから。

 婚約者を喜ばせる格好をしても良いでしょう?」


 近づかなければわからない。

 そう、隣にでも座らない限り。

 アーサー様だけに見えるよう整えてもらった髪型。

 気づいてくれた喜びのままに口元を緩ませる。

 頬はほんのりと熱を持っていた。

 照れくさそうに笑うアーサー様に私の鼓動も激しくなる。


「すごく嬉しい」


 そう言って髪に口づけを落とす。

 髪が崩れないような軽いもので、すぐ離れていったけれど。

 視線が離れない。

 硬直した時間の中、お互いを見つめる視線が熱くて。

 オリーブの瞳がゆっくりと近づき――。


 ――……!


 開演を知らせるブザーが鳴り響いて2人とも大きく肩を揺らした。

 胸を押さえると自分から激しい鼓動が聞こえる。

 アーサー様も同じように胸に手を当てて息を吐いていた。

 私もアーサー様も真っ赤になっていて、おかしくて顔を見合わせて笑ってしまった。



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