第4話 歩み寄りの一歩目


 華やかな香りが漂うテーブルにカップを戻すタイミングでアーサー様が口を開いた。


「君に聞きたいことがある」


「なんでしょうか」


 改まって聞いてくることなんてあまり良いものではなさそうね。何かしら。

 僅かな不安と警戒を笑みで隠して首を傾げる。

 いつも通りの無表情から発せられたのはやはり良い話ではなかった。


「俺が贈り物をしないから自分で用意しないといけないと君がお茶会で言っていたと、従兄妹のミランダから聞いた。

 俺の家が古いものばかりでカビのはえそうな吝嗇家りんしょくかだと」


 無表情で淡々とした声音で言われると怒鳴られるより怖いわね。

 咎める言葉は口にしない。ならば真偽を知りたいということ。

 よね? 言葉が足りないからよくわからないわ。

 全く身に覚えのない話に内心首を傾げつつ詳細を問う。


「何を聞かれたのか具体的にお伺いしてもよろしいでしょうか」


 否定する前にどんな話を聞いたのか知りたい。どう考えても悪意がある。

 アーサー様は頷いて仔細を話し出した。



『アーサー様の婚約者のシャロン様、近頃お友達とのお茶会などで新作の扇を見せてこれに婚約者の色が入っていたら素敵なのだけれど、私の婚約者にはとてもお願いできませんと言っていたそうよ』


『シャロン様のお家は新しい物好きで知られるから、伝統的な物を大事にするこちらの家とは相性が良くないかもしれませんね。吝嗇で新しい品を忌避しているのではないのですけれど、一部の家には古臭いだの黴臭いだの言われてしまうのは悲しいことですわ』



 なるほど。

 だから貴族社会は怖いわ。

 伝聞に悪意を纏わせればそちらが真実かのように広がっていく。


「アーサー様、それは噂です。

 噂が真実とは違うものになること、アーサー様もよくご存じでしょう」


 単に真偽を確認したかったのか、酷い噂に怒っているのか、表情から判別できない。

 気配だけを信じるのなら怒ってはいなそうだけれど。その感覚が正しいのかもわからなかった。


「まず、後半のお話は私が言っていたとはおっしゃっていませんので割愛します」


 後半はミランダ様の私見なので釈明する必要性を感じない。

 悪意の有無はわからないけれど嫌な言い回しをするなと思う。

 その言い方ではシャロンの家がアーサー様の家を馬鹿にしていたように聞こえる。


「お茶会で新作の扇を披露したのは事実ですけれど、アーサー様から贈り物がないとか贈り物をしてほしいなどとは言っておりません。

 ミランダ様と私には共通の友人がいませんが、どなたの悪意を通して届いたのでしょう。

 伝聞のどこで話がねじ曲がったのかわかりませんがあまり良い気分ではありませんね」


 話というのは間に人が入った段階でそれは信用できる情報から少しずつ遠のいていく。

 複数の口を経る噂話ともなれば虚実混ざるのも当然だ。


「事実無根の噂だと?」


「事実無根とは言えませんが」


 新作の扇を見せたなど、微妙に事実は混ざっている。

 アーサー様の色を入れたものを作ろうかと話していたのも本当のことだけど、贈ってくれなかったからなんて一言も言っていないし、場の雰囲気もそんな皮肉を込めたものではなかった。

 けれど後から話だけ聞いて悪意で受け取ればそう感じることもあるでしょう。


「お茶会では初夏に合わせた白いレースと水色の石を使った扇を広めるつもりでした」


 実際に持っていったのもその色だ。

 涼しそうな色がこれからの季節に好まれると思ったので。


「婚約者の色を入れるのが流行ったのは予想外なのです。

 最初は水色は涼しげで素敵という話や自分の好きな色に変えることはできるかと話していたのですが。

 そのお茶会に参加していた友人の一人が自分の婚約者の色を入れたいと言ったことから自分もそうしたいとおっしゃる方が増えまして」


 本当に予想外だった。おかげで工房は大忙しで嬉しい悲鳴をあげているとか。

 婚約者の色となると皆様真剣に石を選ぶので、大変なようだけれど、その分特別感が大きいようで手にした方は非常に満足してくださっている。

 おかげであちらこちらで話題になっているわ。


 ミランダ様はどこで聞いたのかしらね。可能性が高いのはミランダ様の親友のクロエ様から伝わったこと。

 クロエ様はあのお茶会にいた方の妹さんと仲良くしている。

 その流れが一番間に入っている人数が少ない。もちろん他の流れの可能性もあるけれど。


「私の友人の一人がミランダ様の親友、クロエ様のご友人の姉妹だったと記憶しております。

 そちらから噂を聞かれたのかもしれませんわね。

 クロエ様は先日宝飾店で婚約者と言い争う姿があったと聞いております。

 私が婚約者の色を身に着けることを流行らせたと思っていらっしゃるならそれに気分を害してミランダ様に愚痴を言ったかもしれませんし、他の方が両家の結びつきが疎ましくて嫌がらせで噂を変えたかもしれません」


 こうして想像を交えて語れば噂は如何様にも変容する。

 おかしくて笑ってしまう。


「ふふっ、これも噂ですね。

 それも憶測の混じった。

 真実などわかりませんわ」


 私の説明を聞いたアーサー様が肩の力を抜いた。

 悪意を問いただすのは緊張することよね。

 きちんと話を聞いて判断してくれるのはうれしいわ。


「すまない。 噂がどれだけ悪意で変貌するのか知っていたのに直截に問い質すようなことをしてしまって」


 頭を下げられて目を瞬く。

 怒ってないのかと不思議に思ったら疑問がそのまま口に出た。


「怒ってはないのですか?」


「そう見えたなら申し訳ないが怒ってはいない」


「いえ、先ほどの噂話を聞いたら怒るのも当然かと思ったので」


「全く怒っていない。

 ただ冷静に話をしないといけないと思っただけだ。

 感情的になると話がこじれるものだから。

 君が冷静に話をしてくれる人で良かった」


 表情は変わらないけれど、口調が柔らかくなった気がする。

 本当に『気がする』程度の変化だけれど。


「色付きの品物を贈らないことに不満は?」


「いずれ必要になったときには贈ってくださるでしょうから気にしておりません」


 夫婦でお互いの色の宝飾品などを身に着けて夜会に出るのは社交界の倣いだ。

 真面目なアーサー様がその慣習を無視するとも思えない。

 婚姻が具体的な話になるころにそういった話もするだろうと思っていたので特に文句はなかった。


 あの日の会話をアーサー様へ説明していく。

 皆様の盛り上がりがすごくて止められなかったと。

 とても効果的だと思ったので止める気もなかったのは確かですが。


「君の発案ではなかったと」


 念を押すように聞かれたので正直に答える。


「その発想はなかったので」


 夜会などで宝飾品の色を合わせたりすることは知っていても日常使いの小物に婚約者の色を入れるなんて考えたことはない。

 どの組み合わせにしたら映えるかや季節感などは考えるけれど。


「その方の婚約者への想いに皆様も感嘆していらっしゃいましたもの」


 あのお茶会があれほど盛り上がったのはその発言があったからでした。

 あれから扇の売れ行きも上々だと聞いた。石を変える手間が増えたとも聞いたけれど、その分手間賃はもらっているので職人も商会も喜んでいるとか。


「それで? 君も流れに乗ったのか」


「その流れでオリーブ色の石を入れようかと口にはしましたけれど、新しい扇は作っていません」


 あまりにも扇の注文が入っているようだったから職人に負担をかけるわけにはいかないと自重した。

 無理を通すことでもないし。


「なぜ?」


「嫌がりそうだなと思ったので」


 率直に答えるとアーサー様が眉間に皺を寄せる。

 あ、気分を害してしまったかしら。

 でも嫌ですよね、とは聞けずに口を噤む。


「君は俺が君を嫌っていると思っているのか?」


 答えずらいことを聞いてくる。


「少なくとも好かれてるとは感じてません」


「好いてはいない」


 そこまで率直に言われると心が痛いわ。


「わかっていたことですけれど少し傷つきますね。

 いつもアーサー様の気分を害してしまう私にも問題があるのでしょうが」


 それでももう少し取り繕ってほしいと思っているとアーサー様が違うと首を振る。


「誤解を与えていたのなら申し訳ないがいつも怒っているわけではないし気分を害しているわけでもない」


「どう見ても機嫌が悪そうでしたよ」


「違う。 言いたいことや聞きたいことがあったが口にするのを迷っていただけだ」


 逡巡していた顔だったと?

 とてもそうは見えなかったわ。

 私の言いたいことを察したのかアーサー様が苦い顔をする。


「わかってる、俺が悪かった。

 自分の顔が誤解を与えやすいことはわかっているのに配慮が足りなかった、申し訳ない」


 黙っていたら怒っているのかと言われたこともあるという。

 私以外にもそうなのね。なぜかほっとする。


「できるだけ笑顔でいるように気を付ける」


「それはいいです」


 社交スマイルを心がけようと口にするアーサー様に首を振る。


「いつも笑顔を浮かべていたら疲れてしまいます。

 アーサー様が楽なようになさってください」


 これから長い時を共に過ごすのに、そこまで気を使っていたら疲れるばかりでしょう。


「しかし仏頂面を相手するのも気分が良くないだろう」


「無表情なのは特に気になりません」


 表情豊かでないのはもう知っているので気にならない。

 でも、と付け加える。


「眉間に皺を寄せて黙り込まれてしまうと不満があるのだと思ってしまいます。

 何でも言ってくださっていいので言葉にしていただけませんか?」


 説明を聞いて気分を害していたわけじゃないのはわかったけれど、これからも顔をしかめられる度に何か気に障ったのではないかと思ってしまうのはこちらの精神にも良くない。


「わかった」


 わかったと言いつつわずかに眉をしかめる彼に小さく首を傾げる。言いたいことがあるなら言って良いと伝えるように。


「君も……、君も無理して笑う必要はない」


 思わぬことを言われてしまった。

 無理してると思われていたのかしら。


「いつも笑みを浮かべているだろう?

 俺が仏頂面をしているときも。 無理をさせたいわけじゃないので気を使わないで良い」


「私はむしろ笑みを浮かべていないと落ち着きません。

 我が家は多数の商会や職人と交流するので相手が委縮しないよう、警戒させないよう常に微笑みを絶やさないようにと教えられます。

 ですので心の内がどうであろうと笑顔でいるのが常態なのです。

 心が伴わない笑みを不快だと感じるのでしたら気を付けて直すようにいたしますが」


「いや、不快だというわけではない。

 ただ……、君は途中で言葉を止めることがあるだろう」


 言葉に詰まる。

 確かに言葉に迷ってまあいいかと片付けてしまうことはあった。


「当たり障りのないところで止めて本心を隠してしまう。

 相手を不快にさせない処世術だというのはわかっているが、俺にはそれはやめてほしい」


 笑みも言葉も本心を表さないのでは自分には理解できないと困った顔で言われてしまう。

 偽りでなくても、本当ではない。

 それも不誠実なことだったとふいに思う。


「そう、ですね。

 波風を立てなくない、嫌われたくないからと曖昧な返答をしていました。

 それは良くないことでしたね」


 歩み寄りとは違う。

 それはお互いの線を踏み越えないようにという消極的な拒否だと。

 今更ながら気がついた。


「俺たちはもっと話をするべきだということだな」


「そうですね」


 当たり障りのない話でなく、お互いの話をもっと。


「今日は貸し切りにして良かった。

 おかげで懸念事項を心置きなく話すことができた」


「貸し切りみたいだと思いましたが、本当に貸し切りにしていたのですか?」


 通りで人が入ってこないわけですね。


「ああ。

 他人が近くにいると腹を割って話しづらいと思ったからな」


「そうですね。

 私も人のいるところだとあまり率直にお話できなかったと思います。

 聞かれた話がどんな噂になるかわかったものではありませんから」


 私の返事にアーサー様が苦笑を見せた。

 従兄妹から聞かされたのが噂に過ぎなかったことを思い出したようです。

 もう一度すまなかったと謝られてしまう。

 嫌味のつもりはなかったんだけれど。

 失言を誤魔化すようにお茶に口をつけた。



 思ったこと感じたことを口にすると決めたことは私とアーサー様にとって良かったようで今日の感想から、これまでのお互いの話など話が弾む。

 少しオレンジの混ざった陽が差し始め、ようやく話を止める。

 こんなに長く話していたのは初めてのことだと感慨深く思っていると、預けたパラソルをアーサー様が先に受け取ってしまった。

 私に渡そうと持ち上げた柄をふと見て目を見開く。


「これは……」


 白い柄には彫刻が施されており、彫った溝にはオリーブ色、中央にはオリーブオイルのようなアーサー様の瞳の色が着色されている。

 手にしているときには見えない場所。そこだけに入れたアーサー様の色。

 注文したはいいものの見せるつもりなんてなかったそれを見られたことに私は激しく動揺していた。


「頼んでないと……」


「扇頼んでいませんわ」


 偶然だとは言えない。

 これは新作で、アーサー様と婚約した後に注文した品で、婚約者の色を入れると話題になった扇を販売しているのと同じ商会の商品で。

 わざわざ目立たない場所に彫刻をと指定して作ってもらった一品だったから。

 アーサー様を考えて作ったなんて言わなくても伝わってしまう。


「驚いた」


 話題になったからつい、それ以上の意味は無いと言いたいのに言葉が出ない。


「俺の色を入れてくれたことも。

 それを嬉しいと思ったことも」


 アーサー様があんまり嬉しそうに口元を綻ばせるから。

 珍しいものを見たと驚く気持ちとその顔が美しいと思った心と。

 素敵な品を見つけた瞬間のようなときめきに襲われて胸が騒がしい。

 パラソルの柄の彫刻を撫でる指に動悸が激しくなる。

 帰りの馬車の中でもずっと笑みを浮かべていたアーサー様に鼓動が収まらなかった。



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