第8話 さあ、行くぞ

「坂路はどうだった?」

「と、とてもしんどいです」

「できればお風呂に入って欲しいんだが、さすがにお湯はないよね」

「沸くところはありますが、ソージロー様を乗せて、そこで夜営してまた戻る、みたいになります」

「行って帰ってくるだけなら日帰りもできるかな?」

「はい!」


 ギュッと拳を握りしめるオケアであったが、握りしめた手の中にセロリが納まっている。

 俺はと言えば生のままはちょっと頂けないので、サツマイモを茹でて潰し、パンに挟んで食べていた。

 会話ができるので状態が分かるかなと思ったのだけど、彼女は頑張り屋なので今の状態を正確に伝えることは難しいのかもと判断したんだ。

 それで、怪我をした時や疲労を抜く時にも使うことができる温泉施設がないか聞いてみたんだよ。

 お風呂があっても温泉は使いたい。もっとも、お風呂はなく水浴びか体を布で拭くのがトレーニングセンタースタイルである。

 だったら、少しでもマシになるようにしてみようじゃないか。

 

「そこに座って足を伸ばしてもらえるかな?」

「はい」


 伸ばした彼女のスラリとした右脚の脛へ一肌程度まで冷ましたタオルを被せる。


「ひゃ」

「熱すぎたか?」

「いえ、とても心地よいです」

「反対側も被せるぞ。太ももは自分で被せてもらえるか?」


 彼女に二枚のタオルを渡し、俺は俺でもう一方の脛にホットタオルを乗せた。


「ふうう。こんなわたしのためにありがとうございます! これでしたら自分でも用意できます!」

「どれくらい疲労しているのか分からないけど、暖めることで筋肉が弛緩する。骨が痛かったりはしないか?」

「全然痛くありません」

「もし少しでも痛くなったらすぐに反応を返してくれよ。いいか、少しでもだぞ。絶対に我慢したらダメだ。大丈夫、大丈夫から骨折したってのはよくあること」

「わ、分かりました」

「坂路は疲労が溜まりやすい。その分力もつく。スタミナはもちろんのこと、オケアの武器を磨くにも適しているんだ」

「わたしの武器……ですか」

「そうだ。オケアの武器は瞬発力。レースとトレーニングで分かったことだ。だけど、まだまだ足りない」

「もっと頑張らなきゃ、ですね」

「だから、無理はダメだってば。そのままゴロンと寝転んでもらえるか?」


 仰向けになったオケアに目を閉じさせる。

 タオルの上から彼女の脛に触れ、筋肉と骨の様子を確かめた。整体の勉強をもっとやっておいたら良かったなあ。

 俺だとてジョッキーの端くれなので多少は人体について学んでいる。毎週のように専門のトレーナーからマッサージも受けていた。

 脛は問題なさそうだ。だけど、安心してはいけない。まだ初日だし、明日以降こそ注意深く観察しなきゃな。 

 ふとももは……うつ伏せの時に確かめよう。さすがに触れるには気が引ける。


「ごめん、嫌かもしれないけど、骨と筋肉の様子を見ているんだ」

「いえ、全然嫌じゃないです。むしろ、わたしのためにここまで気遣って頂いて申し訳ないです」

「気にしなくていい。オケアが万全の状態で出場できるこそが最も大事なことだから。俺は俺なりに全力でサポートするつもりだよ。今度はうつ伏せになってもらえるか?」

「はい!」


 うつ伏せになったオケアの脚をマッサージして行く。

 うーん、多少ではあるが筋肉が硬くなっているな。人間と同じだったとしたら、今日くらいの坂路トレーニングを行っても大丈夫と思う。

 

 ◇◇◇

 

 あれから三日間坂路トレーニングを続けた。

 残り二日はトレーニングセンターを軽く流すだけとして彼女の疲労回復につとめる。

 そしていよいよオケアのデビュー戦の日を迎えたのだった。

 

 オケアも初めてなのだけど、俺も騎手としてレースに参加するのは初めてなので勝手がよくわからない。

 オケアにはトレーナーとしてメロディが付いててくれている。

 出来れば俺がずっと付いてていたかったのだけど、そうはいかない。騎手は一旦騎乗生物と別れ、検査室に向わなきゃならないのだ。

 体重や尿検査といったものはなくて、簡単なボディチェックだけ行い全員のチェックが終わるまで待機という簡単なものだった。

 指示に従って順番に並ぶのだが、俺の後ろに並んだ騎手がめんどうなやつだったようだ……。

 

「おやあ、君も乗り手だったのかあ。風竜の騎手……ではないよねえ。僕と彼がいるからねえ」

「乗ればわかるさ」


 この粘っこい喋り方は聞き覚えがある。

 前髪を固めてピンとさせている特徴的な髪型で誰だったか分かった。

 この前観戦に来た時絡んできた若い男だ。

 アレな知り合いはアレだと言うか何と言うか、若い男と同じ風竜に乗るらしき同年代の男も彼と似ていけすかない感じだったんだよね。


「風竜じゃないとなれば、土竜かなあ」

「この距離でわざわざ土竜が出て来るのってどんな意味があるんだろうねえ。ギャハハハ」


 言い返すのも馬鹿らしい。

 少しでも会話をすると余計に絡んできそうだし、こういう輩は何も言わず曖昧に愛想笑いを浮かべるに限る。

 ふんと無視しても絡んでくるだろうし、面倒で仕方ない。

 俺とオケアのレースを見れば考え方も変わるだろう。舐められていた方が都合がいいしな。


「風竜だとて絶対ではない。勝負は終わってみるまで分からんさ」

「ソコ、ドク」


 狼の頭に全身からふさふさの銀色の毛が生えた男が二人に釘を刺し、彼の後ろから「ふん」と鼻を鳴らす華奢な女の子。

 彼女もまた人間ではなかった。長い耳に漆黒の肌に加え、口元からは牙がちらりと見える。

 しっしと手で男たちを払う仕草をした彼女はズカズカと彼らを押しのけボディチェックを受け始めた。

 彼女に狼頭も続く。

 

「ふん、犬に黒馬が竜にかなうわけないだろおがあ」

「ざあんねんでしたあ。ギャハハハ」


 お前らの捨て台詞の方が残念でならんよ。もう少し語彙力を鍛えて欲しいところだ。

 まあ、風竜が強けりゃそれでいいのかもしれんが。

 騎手とは勝ってなんぼである。いくら紳士的であっても勝てなきゃ評価されない。逆もしかりだ。

 実力こそが正義なのである。もちろんルールを守って、だぞ。

 ルール違反をするといくら実力があっても出場できなくなってしまうからな。

 ……ロイヤルレースでも同じだよな? うん、同じに違いない。ルール違反は絶対に禁止なんだぞ。

 

 バタバタのボディチェックが終わり、ようやくユニコーンの姿のオケアと再開する。

 メロディに礼を述べ、オケアにまたがりいよいよパドックを一周してからゲートに向かう。

 

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