第12話 再会

 海面に浮かび上がる細い砂の道は、まるで神の技を目の当たりにするようだった。一同は道が現れ、島まで繋がっていくのを息を飲んで見守る。ベアトリス公女によれば、道が浮かぶのは一時で、やがてまた海面に消えて行くのだという。


 水を含んだ砂地の上では車輪を取られて馬車は進めない。ここからは馬に乗り換えて島に渡る。乗馬経験のないジェシーを、ヘイデンの指示で騎士の一人が抱き上げて馬に乗せる。騎士の腕の中で不安そうに馬のたてがみにしがみつくジェシーを見て、デクシアは嫌な予感がした。馬車の前で立ちすくんでいると、ヘイデンが馬を引いて近づいて来る。


「殿下、こちらへ」


 ヘイデンがデクシアに手を差し伸べる。予感は的中した。ヘイデンはデクシアを抱き上げて馬に乗せようとする。


「……っ、冗談じゃない、私は一人で乗れる」


 デクシアは慌てて一歩後ずさるが、ドレスの裾を踏んでよろけた。


「どうかご辛抱ください。ご婦人の鞍は用意しておりませんので、そのお召し物では……」


 困ったような顔でヘイデンが更に近づく。失礼を、と言いながらヘイデンがデクシアの背中に腕を回したかと思うと、デクシアの体はふわりと浮いてあっさり抱き上げられてしまった。驚きと恥ずかしさにデクシアは思わず息を止めて身を固くしたが、ヘイデンはそのまま事も無げにそっとデクシアを鞍に座らせた。そして馬の手綱を取って静かに歩き出す。デクシアに遠慮してヘイデンは馬に乗ろうとしない。


 馬はゆったりとした歩様で、サクサクと砂を蹄で踏みしめて進む。驚くほど静かな歩みでほとんど揺れもしないが、しかしこれではどうにも遅すぎる。焦れたデクシアは、意を決してヘイデンに向かって短く命じる。


「……卿も乗れ。グズグズしていると道が消えてしまう」


「まさか、そのような恐れ多いこと……」


 ヘイデンは慌てて首を振って固辞する。デクシアは、乱暴にそれを遮った。


「二度も言わせるな。許す、卿も乗れ」


 そう言われてヘイデンは、まさか王子と二人、馬に相乗りなど前例のないことにためらったが、それもほんの一瞬で、すぐに手綱を握り直すと愛馬に跨った。


「ご無礼をお許しください」


 そう言いながら右手でデクシアの腰を抱き、左手で手綱を操る。腕の中の王子があまりにも華奢で、戸惑った。小柄な少年ではあったが、抱き上げたときも、あまりに軽くて力の加減が分からないほどだった。ヘイデンの合図で馬が駆け出すとその揺れは思いの外大きく、横乗りの不安定な体勢のまま、デクシアは落ちるまいと鞍の端を掴む。するとヘイデンが腰に回した右手に力を込め、デクシアの体を自分の方へと引き寄せた。


「それではお辛いでしょう、どうか私に体をお預けください」


 デクシアはサイドサドルも巧みに乗りこなすが、人に抱かれて馬に乗るのは初めてだ。諦めてヘイデンの言う通り、彼に体を預けて力を抜いた。するとヘイデンも安心したらしく、きつく腰を抱いていた手が少し緩んで、二人の体の重心が一つになった。


 一行は馬を走らせ、そびえる要塞のような島にたどり着いた。砂浜から門へと続く石畳を進むと、長い槍を構えた女神官たちが現れた。デクシアの合図でヘイデンは馬を止め、デクシアの細い腰をそっと掴んで静かに下ろす。そのままデクシアは神官の前に歩み寄り、門番と思われる神官に深く礼をする。ヘイデンら騎士たちもそれに倣った。


「ダーウェント王国第二王子デクシア、兄を迎えに参りました」


 槍を構えた神官たちはそれを聞いて意外そうな顔をしたものの、頷いて道を空ける。その後ろから進み出た別の神官に案内されて、デクシアの一行は広い建物をいくつか通り過ぎ、やがて最も大きく荘厳な建物へと進んだ。


 高い天井から降り注ぐ光の中、一人佇む老婆の前で、神官は膝を折って頭を下げた。この老婆がこの神殿で最も位の高い神官長なのだろう。


「デクシア王子をお連れしました」


「ご苦労だった。下がってよい」


 柔和に笑う老婆に一礼をして、女神官らは退室していった。老婆はデクシアに向き直り、より一層目を細めて笑う。


「エフシア殿下よりお話は聞いています。よく似ておいでだ」


 うんうん、とうなずきながら老婆はデクシアの手を取る。


「さあ、一時も無駄にはできません。殿下もお持ちかねですよ。ご案内しましょう」


 老婆に連れられて、神殿の奥、入り組んだ迷路のような通路を地下に降りていくと、やがて地下室にたどり着いた。地上に比べひんやりとした空気が流れている。とても静かな地下室の更に奥、貯蔵庫のような小さな地下扉を開けて、一段と細い通路を進むと、今度は上りの階段が現れる。はやる気持ちを抑えて階段を登りきり、天井に付いた木戸を騎士たちが押し開ける。


 ヘイデンに手を引かれ、穴から這い出るように外へ出るとそこは眩しい陽の光に照らされた美しい庭だった。東屋の椅子を蹴って立ち上がり、こちらを見ている背の高い男性は――


「アリステラ!」


 懐かしい声に、デクシアはいてもたってもいられず、もどかしげに嵩張るドレスの裾を掴むと、その男性に向かって駆け出した。デクシアの背中の向こうに見えるのは両手を広げて王子を迎えるエフシア王太子と、その隣でこちらを見ている黒髪の騎士、ヘイデンの兄パーシヴァルだ。

 

 ヘイデンは叫びそうになるのを堪えて、デクシアの後を追って駆け寄る。デクシアは兄に抱きついて号泣していた。エフシア王太子はそんなデクシアをきつく抱きしめて、額に口づけ、デクシアが泣き止むまでその髪を撫でた。


 そんな二人を見てヘイデンも思わず目頭を押さえる。デクシアが泣き止むのを待って、再会を果たした男たちは改めてその無事を喜びあった。三年ぶりに見るエフシア王太子はヘイデンの記憶の中のその人とはずいぶん印象が違っていた。


 ヘイデンが最後に目にした王太子は、母親である王妃に似た美しい顔立ちに、繊細なブロンドの髪色も相まって、とても優美な印象だった。それが今ヘイデンの目の前にいるその人は、美しさはそのままに、鋭い眼光と長い髪、日に焼けた肌に鍛え上げられた体。まるで獅子のような風格すら感じられる。


「さあさあ、涙をお拭きなさい。再び潮が満ちるまではあっという間です。この蝋燭が燃え尽きるまでに帰らなくては、エドワードに怪しまれます」


 神官長は、海の道が消える時間を知らせる蝋燭に火を灯した。デクシアらは頷いて、ここから王太子らを連れ出す計画を話した。

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